ことさらオンリーワンをめざさずとも、「模造品」がつくる愛しき世界。
「日日雑記」だと思うのですが、晩年の武田百合子は、ずらりと並ぶ色とりどりの食品サンプルを見た瞬間、「ああ。この世界にもっと生きていたい」と強く思ったと書いていました。ああ、なるほど。そのような景色に、そう思うのかと強く印象に残り、いまも、しばしば思い出します。
フォークが宙に浮いて麺を巻きとるナポリタン、シュワシュワと泡の浮いたクリームソーダ…。ガラスケースに並ぶ見慣れた食品サンプルという市井の職人たちが技を凝らして精緻に作った原色の模造品の数々。たしかにそれは、天国にも、地獄にも、そのどちらにも居場所の与えられない模造品です。この世ならではのもの!
この世には、「本物」とも「偽物」ともいえない、あまたの「模造品」があふれています。意匠を凝らした模造品、善きものに似せようと改良を続ける模造品、芸術と認めてもらえない模造品、どこかの店を模した店、だれかの歌を模した歌。だれかを模しただれか…。
大量生産であれ、限定生産であれ、たとえ一点ものであれ、模造品に満ち満ちているのが、この世なんだなあ。武田百合子がその瞬間、つきあげるような執着を感じた「生きている世界」そのものなんだなあと思います。幾千万の模造品が、この世界に色とりどりの華やぎとおもちゃ箱のような楽しみを与えている。
模造品だから、ことさらに崇めたてまつることもなく、注目することもなく、ときにぞんざいに扱うことも、ときに無視することもできる。そんな雑なつきあいでかまわないものに満ちているから、この世はどこか気楽で、美しくて、猥雑なんだ。
昨日の日曜日、クリスマスの飾りつけでにぎやかな街を歩きながら、そんなことを思いました。ことさらにオンリーワンに憧れずとも、自分の立場から眺めて偽物に見えるものを責めたてなくても、この世界の猥雑さの一部として生きているだけですばらしいじゃないか。そもそも、そういうわたし自身が、本物とはいえない模造品じゃないか。つかの間で、はかなくて、キッチュなこの世界。
もろびとこぞりてあわただしく新年に向かっていくこの時期。なんやかやと、愛しさに心が満ちますな。
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