【月刊★切実本屋】VOL.29 源でも富弘でもリゾートでもない星野考
「Title」の辻山良雄氏の本『ことばの生まれる景色』で『旅をする木』(星野道夫著)が紹介されているのですが、それを読んだら、なつかしさやせつなさや畏怖や後悔などの感情が一気に蘇り、現在、再読中です。
この本が出版された1990年代なかば頃、わたしは星野道夫さんの存在を知りませんでした。当時、看護学校の図書室で働いていたのですが、そこには星野富弘さんの画集がけっこうあって、「星野」といえば富弘でした。そんななか、職場の先輩司書が「これ、いいわよ。あなた向きかも」と貸してくれたのが『旅をする木』だったのです。
その頃はミステリーばかりを読んでいたので、最初はなかなかページが進まず、人から本を借りるのって苦手かも、と思ったりしました。が、徐々にその文章と自分の波長がシンクロし出し、なんかすごいなあ、探検家のくせに(?)、なんて繊細で静謐な世界なのだろうと圧倒されてページを閉じました。
そして「もしかしたら自分は、こと自然界に限らず、大事なことや見るべきものをことごとく躱して今まで生きてきたんじゃないか。これからもそうなんじゃないか」とゾッとしたりもしたのでした。
読了してまだ日も浅い頃、星野道夫その人は、子どものときから天啓を受けたかのようにこだわり、あこがれ続け、『旅をする木』でもその存在が繰り返し出てくる、彼にとっては自然界のランドマークとも言えるヒグマに襲われて命を落としました。43歳でした。
読み終わったばかりの、少なからず影響を受けたと自覚した本の作者の突然の死は衝撃でした。ただ、星野道夫がもうこの世にはいなくなってしまったのだという喪失感や悼みの気持ちより、人の運命はなんと皮肉だったりするのだろう、彼は最期の瞬間、「恩を仇で返された!」とその理不尽さを嘆いたのか、それとも「ヒグマに引導を渡されるなら本望」と受容したのか、いったいどっちなんだろう…などという、無神経で俗っぽい方向でわたしの心をざわつかせたような気がします。
そして、『旅をする木』にあんなに圧倒されたはずなのに、なぜかそれから彼の著作を読むことはなく、ゾッとしたことも忘れ、自分こそ今日まで「恩を仇で返す」ような日々を過ごしてきたのでした。
なのに今回、『ことばの生まれる景色』で語られる『旅をする木』の一節がやけに胸に沁み入りました。20年以上も経って、大事な忘れ物に気がついたような心持ちになっています。それは、文章に合わせて描かれたnakabanさんという画家の絵によるところも大きいかもしれません。私には「戻るべき場所」のように見える絵です。
そんなわけで『旅をする木』を再読しています。おかげで、「そうそう!私、この会話がもう一度読みたかったんだ」という文章に無事再会することができました。長い時間忘れていたくせに、まるで自分がずっと大切に守ってきたかけがえのない心情のような気がするのは、われながら、いくらなんでもずうずうしい話です。
少し長いですが、最後にそれを引用して、終わります。
ある夜、友人とこんな話をしたことがある。私たちはアラスカの氷河の上で野営をしていて、空は降るような星空だった。
(中略)
「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろう。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」
「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」
「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって……その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」(『旅をする木』「もうひとつの時間」より)
by月亭つまみ
【木曜日のこの枠のラインナップ】
第1木曜日 まゆぽさんの【あの頃アーカイブ】
第2木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊★切実本屋】
第3木曜日 はらぷさんの【なんかすごい。】
第4木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 やっかみかもしれませんが】
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
凜
つまみさんこんにちは。
いまさらのコメントですみません。
星野道夫さん、初めて知りました。そして読んでみました。
つまみさんのおっしゃるとおり、繊細で静謐な世界、そしてとてもみずみずしい感性と悟りの境地のような達観が同時にあることに心をつかまれました。これを書いたときの星野さんの年齢を思うと驚愕です。これは、たしかになんどでも戻っていきたくなる本ですね・・・。こころを遥かに飛ばせてくれます。
出会えたこと、つまみさんに感謝です。
つまみ Post author
凛さん、いつも「書いてよかったー」と心から思うことができるコメント、本当にありがとうございます。
星野道夫さんは、私も愛読者というわけではなく、たまたま、という感じなのですが、自然界や生きることの本質を突いた文章の数々、圧倒されますし、こんな、なんだかますます嘘くさくなるばかりな世の中だからこそ、あらためて、もうこの世にいないことがとても残念に思われます。
私も、折に触れ読み返して、そのときの自分の居場所を軌道修正したくなる気がします。
こちらこそ、コメントに感謝です!!