帰って来たゾロメ女の逆襲⑬ ~衝撃の事実漏洩より自分が恥ずかしいと思うことについて、の巻~
ヒトサマの恋愛にはあまり食いつかない方かもしれません。
人の話を聞くこと自体は嫌いじゃありません。
コイバナも、相手が話してくれるなら聞くし興味も湧きます。
ただ、自分から積極的にインタビューしたり、進捗状況を頻繁に確認(or詮索)はしません。
若いときからわりとそうでした。
すっかり若くなくなった今、その傾向は方向性を少しズラしつつも変わっていません。
老中若男女関係なく、恋愛をする気力や意欲があることは素晴らしいと思うのでエールを送ることはやぶさかではありませんが、たとえ友人でも、自分の身の置きどころは外野アルプススタンド応援席にしがちです。
それは、年齢と共に「恋愛は素晴らしいけどみっともないものだ。知りたくない、見せたくない自分が漏れ出たりもするから、近しい人ほどむしろそっとしておこう」と思う度合いが強くなってきたせいです。
そんな自分を長らく営業中のせいか、『向田邦子の恋文』という本を発見したときは複雑な気持ちになりました。
この本はタイトルどおり、向田邦子さんの恋文と、恋人の日記を主軸にした本です。
2002年刊行で、著者は妹の和子さん。
向田さんの恋人だったカメラマンN氏は既婚者で、よってふたりの恋は秘められていました。
しかもN氏は体調を崩し、1960年代なかばには自殺してしまったのです。
向田邦子さんの作品とセンスに憧れ、早すぎる死を悼んでいるものの、遠巻きの1ファンに過ぎない私は、当然ながらそんな“秘め事”までは知りませんでした。
そしてこの本を読んで、覗いてはいけない井戸の底を見てしまったような落ち着かない心持ちになりました。
有名人のプライバシーを白日の下に曝すことにはいろんな意見があると思います。
生前は【暴露】だったことも、亡くなってそれなりの時間を経れば【研究】に変わることを私達は知っているし、知られざる一面が開示されることで、文豪や芸術家の作品の多様性にあらためて気づくこともある。
『向田邦子の恋文』でも、向田さんが一人暮らしを始めたりその才能をますます開花させた時期とN氏の病気や死が無関係ではないことが示唆されていて、感慨深いものがありました。
向田さんの恋を知ることで作品にいっそうの奥行を感じた人も多いでしょうし、もしかしたらそのことで、これからだってあらたな解釈が生まれるかもしれません。
和子さんがこの本を出すことに踏み切ったいちばんの理由はそのあたりだったかも。
でも、それでも、私は、向田さんの私信や日記を見ることに、没後何年経とうが後ろめたさや申し訳なさを覚えるし、今後も覚え続けると思います。
『向田邦子の恋文』を買ってしまった自分が言うのも激しく説得力に欠けるわけですが、私の罪悪感は、私信によって秘していた個人的な事実を知ったことより、ただひとりの人のためだけに書かれた文章を、ただひとりでもなんでもない自分が目にしたこと、それに尽きます。
手紙やメールって、たとえ同じような内容でも相手によって微妙に言い回しを変えて書きませんか。
そのちょっとした文脈やニュアンス、てにをはの違いこそが、相手と自分との唯一無二の関係を示すもので、それを相手以外に公開することは、自分と相手双方に対する背信行為のような気がするのです。
おおげさでしょうか。
「ふ~ん、つまみって、この人にはこんな言い回しをするんだ」と思われることが、衝撃の事実の漏洩より私は恥ずかしかったりします。
・・衝撃の事実ってたとえばなによ?ですけど。
今年は向田邦子さんの三十三回忌だそうです。
そうかー。
あれからもうそんなになるんですねえ。
by月亭つまみ
こんなブログをしています。正体不明な女二人のブログ。 お昼休みなぞにのぞいてみてください♪→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
みもり
はじめまして。私はこの小説より先にテレビドラマ(山口智子さん主演)で知り、
今一度見たくなりレンタルしたほどです。、静かに淡々と時間の流れる
それでいて、何かしらしのびよる足音のような、そんな空気がドラマから流れてきていました。
人は人によって、様々な顔を見せて生きていくものだということを、恋愛にからめて
読んでおりましたです。
つまみ Post author
みもりさま
コメントありがとうございます。
本当に、人は人によって、様々な顔を見せて生きていくもの、ですよね。
仕事でも家庭生活でもそうでしょうが、やはり恋愛はそれが顕著に表れるというか、それこそが恋愛の威力、という気がします。
山口智子さんのドラマはまだ見ておりません。
見なくちゃ。