第60回 小説の力を信じたくなる小説はこれだ!の巻
春ですね~。
目鼻に沁み入る花粉によって本格的な春の到来を感じる、悲しい人生を営業中です。
「帰って来たゾロメ女の逆襲」は回を重ねて第60回です。
実は、第13回が2つあり、厳密にいえば今回は通算61回なのですが、「帰って来る」にあたっては、それがどこからにせよ、道中、二の足やたたらを踏んだりもするであろうし、ダブりもまあいいかということで、特に修正もせず(怠惰なだけ?)現在、ほんの少し何かを達成したような、感慨深いような気分になっております。
50回のときはとりたてて何も感じなかったのに、どうして60回に反応するのかわれながらフシギです。
意外と60進法で生きているんでしょーか、私。
わが敬愛作家、飯嶋和一さんの新刊『狗賓童子(ぐひんどうし)の島』が発売されました。
6年半ぶりの新作です。
舞台は、神々が住むという出雲から北東へ海上二十里も離れた隠岐島。
江戸末期、流人の島である隠岐島の島後に15才の少年がやってくるところから物語ははじまります。
その少年の名は、大坂町奉行元与力の大塩平八郎の挙兵に名を連ねた父の罪で、自身も乱から9年を経て遠島になった西村常太郎。
大塩平八郎の乱に加わった人々を敬愛し支持する人々はどの地でも多く、隠岐島も例外ではなく、常太郎はそんな島民の助けを借り、米の作り方や医術を学びます。
そして医師になった常太郎は、島を襲う疱瘡やコレラ、麻疹などの疫病に、島民と共に立ち向かうのです。
黒船、大地震、飢饉、疫病などなど、時の幕府は数多の「災厄」に対応しきれず、世は乱れ、ついに幕府は倒れ、庶民の暮しはますます困窮します。
離島もその例外ではありません。
それでも人々は必死に生きて行こうとしますが、苛酷さはそれを上回り、島民の心身を蝕み、負の連鎖はとどまるところを知りません。
飯嶋小説はどれも質量ともに厚く濃く、さらっとは読めません。
今回も例外ではありません。
史実も当時の生活も、細部にわたって深く掘り下げられ(米の作り方、漢方薬、廻船などについてハンパない情報量の描写が続きます)、時代背景、世相、市井の民、そしてそれぞれの思いが幾層にも丹念に、高ぶることなく、同時にぐりぐりと力強く描かれているので、読み手にも相応の覚悟が求められる感じです。
そこがいいんっすよね~。
そっちがそう来るなら、こっちも腹を括ってその世界と対峙するしかないという自分の内なるスイッチが押される感覚。
新鮮です。
自分の日常にはそういう局面が少ないからかもしれません。
準備万端、読書環境を整えて1~2日で一気に読むというのもアリでしょうが、物理的に難しいし、単純にもったいないというのもあります。
だって6年以上待ったのですから。
そんなわけで、じっくり時間をかけて読みました。
その間には、仕事に行って「よみきかせ」で絵本のページを1枚飛ばしたり、久しぶりに会った元同僚年下男子のここ数年の恋愛遍歴に同行友人とぶったまげたり(逆ナンってあるのねー)、ピラティスに行ってインストラクターに「今日は足が攣らなかったんですね。がんばりましたねっ!」と言われて複雑な思いになったり・・と、ゆるゆる日常生活もやっていたわけですが、常に自分の心の一部は、「深山には聖なる天狗が棲み、その天狗に選ばれし狗賓童子がいるという島」にありました。
その証拠に、読んでいる間、気がつけばほとんどネット上に出没しませんでした、私。
そして、読み終わりました。
いや~、やっぱり凄かった!
さすが「書けば傑作」と言われる孤高の骨太作家!
彼の作品の主人公、そして脇を固める主たる登場人物はみな、どんなに困難な道であろうと、自分が正しいと思う生き方に迷いがありません。
「正しい生き方」などというと、堅苦しく面白みがなく、教条主義くささを感じるかもしれませんし、どちらかといえば私は、そういう「くささ」には過敏な方だと思いますが、飯嶋小説は別。
それはきっと、どんなリスクを背負っても正しくあろうとする人々が圧倒的な迫力で描かれているからです。
要するに、桁外れの正しさなのです。
その迫力の前には「くささ」など付け入る隙がありません。
そして何より、作者の「小説の力を信じている」としか思えない揺るぎない筆致に触れると、小説の力、ひいては人間の底力や想像力を信じたくなります。
自分や世界が揺れたりブレたりしていても、これからどうなってしまうのだろうと暗い気持ちに陥りがちでも、そんな自分や世界にも「小説の力を信じたくなる小説がある」と思うと心強いです。
少なくても今の自分には、それが、そういう小説が、すごく大事みたいです。
あ~、読んでよかった。ちょっと疲れたけど。
お疲れさま、自分!
by月亭つまみ
こんなブログもやってます♪→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
okosama
祝60回。
一区切りついた感じは、十干十二支的な何かでしょうか?(笑)
ただいま25ページ辺りを読んでおります。つまみさんに倣って、少しづつ読み進めます。
つまみ Post author
okosamaさん、おはようございます。
早速お読みいただいているとのこと、ありがとうございます!
飯嶋ワールドは入口が必ずしも気安くないので(タイトルは読めないし、厚いし)入らないまま引き返してしまう人が多い気がして、常々「もったいないなあ」と思っています。
そんなこともあって、ついついアツく語ってしまいました。
じじょうくみこ
即買いしましたm(_ _)m チャリーン
飯嶋さん、初めてです。落ち着いたところで外部シャットアウトで読みたいと思いますっ。
今から楽しみー♪
最近こういう「全部持ってかれる本」にちゃんと取り組んでないなー。
そもそもちょっと読書から離れていました(^_^;)
いかんいかん、あったかくなってきたし、読書読書!
(あったかくなったから読まなくなるとも言える??w)
つまみ Post author
わ~!
じじょくみさん、安くないのに即買い感謝!(って関係者でもないのに、私)
渋いです地味です直球です。
それよりなにより、こちらからすみませんが、明日の崖っぷちが待ち遠しくてたまらないです♥
花蓮
つまみさんの誘惑wがオソロシクて、暫くは記事を読まないように…と思ってたのに~。
いつも好きな作家に出会うと偏愛して、結果決まった作家しか読まなくなってしまいます。そんな私がつまみさんのせいで、いやおかげでどれだけ未知の作家さんと出会ってしまったことか。
そしてどれだけお財布が痛んだことか。
買おう。こんな力の入ったレビューを読んでしまってはもう諦めるしかありませんw
つまみ Post author
花蓮さん、お財布を痛めさせてごめんなさい!でも、とてもとてもうれしいコメントです(^O^)
読了直後だったこともあって、われながら力が入ってしまいました。
プロの本読みの方は決してこんなレビューは書きませんね。
私のは「書評」では全然なく、あくまでも「私的感想」なのだと思います。
私は、本については、プロの書評家の方が(たぶん)書かない
「読んだ自分がどこに持って行かれたか」が書きたいみたいなのです。
それは、私情や主観を前面に出して開き直っているに等しいので
私の感想は、人によっては全然面白くなくて、うっとうしいと思います。
あーたがどこに連れて行かれようが、自分を持って行かれようが
全く興味がないよ、と言われれば、「ですよねえ」と言うしかありませんもの(^^;)
ですから、花蓮さんのコメントはうれしくてありがたくて小躍りしています。
書いてよかったです!!
花蓮
「読んだ自分がどこに持ってかれたか」って書くのは、とても精神力のいることですよ。
つまみさんのコメントで気づいたのですが、私は人間の心理に関心が強いので、心が動かされた力の源にも比例して関心が行くみたいです。
私の本好きも、人間が時代や状況他の諸々のどこに触発されてどう心が動くのか、というところに興味が強いからかもしれません。
この世で一番怖いのも、一番喜びをもたらすのも「人間」だと思うんです。
だから色んな人間の心に触れたくて読むのかも知れません。
思いきってコメントしてよかったです。つまみさんに少しでも私の喜びが伝わったみたいでうれしいです。
あ、「狗賓童子の島」もすでに到着待ちです。最近夢中になる機会がなくて、心をどこににもっていかれるかドキドキしてます。
つまみ Post author
花蓮さん、私も、おもいきって自分がこのゾロメ女で書きたいと思っていることを書いて、よかったです。
たとえば、読むまでは目に留まらなかった風景や物事や人が、ある小説をきっかけに急に存在感を増して、ありありと立体的に自分に迫ってくる、みたいな感覚が大好物です。
それはもしかしたら一過性で、しばらくすると元の遠い場所に戻ってしまうことが多いかもしれませんが、でも一度迫ってきた感覚の残滓みたいなものは自分に残っていて、ある日ふとした瞬間に「一度親密な気持ちになったっけなあ」と思い出す、そういうこともいいなあと思います(^-^)
小説を読む前のドキドキっていいですよねえ。
okosama
つまみさん、こんばんは
近畿以西の馴染みのある地名に、ほうほうと読み進め、本日読了しました。
私は仙五郎さんが好きだなあ。(そんな感想しか書けへんのかい>私)
実は人の気持ちのやりとりに焦点が当たる小説が苦手なのですが、情報量がたっぷりで読み通す事ができました。
歴史小説好きの夫にも勧めました。
つまみ Post author
okosamaさん、こんにちは。
読了、ありがとうございます。
私がお礼を言うのもなんかヘンですけれど。
「人の気持ちのやりとりに焦点が当たる小説」が苦手なのですか。
okosamaさんの守備範囲の広さの理由の一端が垣間見えたような見えないような(どっちなんでしょ、私)。
史実をベースにした「歴史小説」に興味を持ち始めたのは私は30代後半ぐらいからです。
といっても、もう15年以上になるんですが(^^;)
たとえば、Aという史実と、それにまつわるBという史料を、書き手の裁量や力量で結びつけて物語に編むって、面白いだろうなあと思います。
あんまり数は読んでいませんが、逸品に出会うと、なんだか時をかけた目撃者のような気分になります。
単細胞です。
okosama
三たび登場。しつこくてすみません。
史実と資料をつなげて物語を編むのは楽しかろう。なるほど書き手の立場にある人はそういう視点を持つことができるのですね。
私は読み手なので、同じ史実を切り口を変えて書いたものを読み比べるのは楽しかろうと思いました。テレビの「英雄たちの選択」(NHKBS)が好きでよくみます。
飯嶋和一さんの既刊本が市内の書店に見当たらないのが残念です。パラパラと読んでから買いたいので。
この本は小説を敬遠する私にも本当に面白かったです。画報系雑誌の倍くらいのお値段ですよね。決して高くはないのでは?
つまみ Post author
okosamaさん、私も読み手ですが「書き手は楽しいだろうなあ」と想像してしまいます。
それも読書の醍醐味です。
飯嶋さんの本、そういえば新刊以外は店頭に並んでませんね。
私は、迫力なら『神無き月十番目の夜』、内容なら『雷電本紀』、高揚感なら『始祖鳥記』です。