ゾロメ日記㊲ 人生はちょっとした復活だ&男子本2冊
◆2月16日 気絶からの
義父が、お風呂上がりに、短時間だが意識を失った。すわ救急車!と思ったが、本人が、寝言のようにトイレを所望したので、とりあえず連れて行ったところ、徐々に落ち着いて大事にはいたらなかった。どうやら湯あたりだったようだ。ふだんより長く湯船に浸かっている気はしたが、寒い時期だし、まあいいかと思ってしまった。
あらためて、わが家は薄氷、または細っこい平均台、の上を歩いているような日常なのだと痛感する。気が抜けない…というか、ちょっと抜いて「まあいいか」と思うと、けっこうな頻度でしっぺ返し的事態が勃発する。
◆2月19日 苦手な花からの
気絶からこっち、リハビリを休んでいる義父だが、元気になってきたので近所を散歩する。遊歩道は河津桜が満開。
兄が闘病中の2006年の年明け、「今年の桜が見れますように」と願った。けれど、日に日に状況が悪化し、「せめて河津桜まで」に願いを修正した。どうして、梅ではなく河津桜だったのか、今となってはわからない。兄は1月の末に逝った。以来、河津桜を見ると、まだこんなに春の入口なのになあ、としんみりするようになった。
でもさ、お兄ちゃん。あれから10年、世の中にも私にもいろいろあったけれど、報告があります。河津桜がもう苦手じゃなくなったよ。
◆2月20日 忘却からの
デイサービスから夕方帰宅した義母に、義父が「何か食べるものはないか。お昼を食べていないんだ」と言ったと知る。
ひゃー!とうとう本格的に始まってしまったか。今までも、口に入れたコーヒーやおやつのことを忘れることはあったが、食事をまるっと、というのはなかった。お昼の状況を詳しく説明してみる。「そうかあ。思い出せない」と苦笑いする義父。
なのにその後、息子(夫)が何十年も前の、我が家と隣家の間のブロック塀建立(おおげさ!)の経緯を質問したところ、義父は理路整然と詳細を語った。
さっきまでとはまるで表情が違う。ブロック塀の話で脳が活性化されたのが、文字どおり目に見えた。これからも活性化と不活性化を繰り返し、徐々に後者が幅を利かせていくのだろうか。ま、しょうがないか。
◆最近読んだ本
『学校の近くの家』(青木淳悟/著)
ヘンな小説だ。
主人公は杉田一善(かずよし)君という小学5年生。物語は全部で7編あって、常にこの小5男子の視点だが、時系列が前後したり、同じようなことが繰り返し描かれていて幻惑される。そして、一善(愛称ゼンちゃん)の視点は一貫してクールでクレバーで用心深く、でも危うい。
ゼンちゃんの家近辺、埼玉の描写がとにかく細かい。これでもかこれでもかで、執拗と言ってもいいくらい。最初は匿名でS山市、I川だったのが、編が進むにつれ実名になっていく。四半世紀前が舞台なので、1980年代の終わり、この地域で実際に起こった「連続幼女誘拐殺人事件」についても触れられ、それでなくても全体に漂う不穏さに拍車がかかる。
面白いのかそうでもないのか、正直よくわからなかった。が、「学校から家が近い」というのがとにかく効いている。この設定だけで、もう成功だと思うくらい。
私は子どもの頃、転校が多く3つの小学校に通ったが、奇しくも3校とも遠く、どこも徒歩30分以上かかった。でも「学校の遠くの家」じゃ、道中いろいろあることを考慮しても、なぜか「近く」よりおもしろい小説にはならない気がする。
『私の息子はサルだった』(佐野洋子/著)
そうか…佐野洋子さんはもういないのか。
特にファンというわけではなく、表現すること全てに共感するわけではなかったが、いないことを思い出すと妙にがっくりする。
小学生男子特有の、繊細さを秘めたバカっぽさが麗しい。バカ騒ぎしているくせに、好きな女の子の視線がどこに向いているか、表情がどんなだったかは見えている。そして、バカ友達(実は優秀ぞろい)とのエピソードは涙なしには読めない。
息子本人によれば、彼女の「息子モノ」は虚実入り乱れているらしく、だからこそ、親の願望も含めてリアルに映る。「魅力的な友人関係を持つ繊細なバカ息子」が理想だったのかな、とか。つい、自分の母のことを思い出し、親が放つ「自分の好きなようにしなさい」の圧は相当なものだなあ、と回想したりした。
先日見た『風に立つライオン』という映画でも、恋人とのアフリカでの生活か、離島での親との暮らしか、に迷う真木よう子が、毅然とした母親にこの言葉を「宣告」されていたっけ。娘は後者を選んだ。
私は三十数年前、母親の圧をひしひしと感じながら、感じないふりをして前者を選んだ。アフリカではなく東京だったけど。そのときは、拒否することでしか進まない親子関係があると思った。今も思っている。でも、母親に対して「済まなかった」という気持ちは年々強まる。もういないのに。
自分が年取ったからかな。人って、いくつになってもめんどくさいものだなあ。
by月亭つまみ
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
爽子
なんと、御宅の近所の遊歩道に河津桜が?
2日前、バスツアーで河津桜を見て来ました。
病院のベッドで父に画像を見せると、「こんな時期に、なんと見事な!」と喜んでくれました。
わたしは、母から数々の禁止事項になすすべもなく、がんじがらめの学生時代を送りました。
今思えば、反発しても、全然平気だったのになー。という感じです。
逆なら逆でそういう思いをするんでしょうか。
うん、つまみさんと同じように思ってる気がします。
nao
高齢の方のお風呂は気が抜けないですね。
突然立ち上がれなくなったりするので。。
実家の母は、数年前小さな脳梗塞のため発作的に認知機能が落ちてしまう、という状態になり
会っても顔つきに生気がなくなり、もう長くないんじゃないかと覚悟したのですが
何故か持ち直し、今は当分大丈夫かな、という感じです。
要介護3になったのですが、自分で買い物に行ってますw
まあ遠距離なので毎日見ている訳ではないのですが、わからないものですね。
それでも、あと何十年、と言うわけじゃないでしょうし(私が持たなくなる)
みんな通るし、みんな悩みますね。
同年代友人との一番の話題です。
つまみ Post author
爽子さん、コメントありがとうございます。
河津桜つながり!
都内に住む友人も、mixiで河津桜のことを書いていて、三つ巴の偶然(?)でした。
お父様、喜んでくださってよかったですね。
それで思い出しましたが、3年前、義母が3ヶ月入院したとき、義父が家で咲いている藤の花の写真を撮って持っていったことがありました。
毎年、母が咲くのを楽しみにしていたので、見せたかったのですね。
ふだん、義父は義母に文句ばかり言っているのに、病院にはバスでしょっちゅう通っていました。
その頃は目が見えて、ひとりでなんでもやれていたんだよなあ(しみじみ)。
私の場合、地元に通える大学が皆無、というのが、親元を離れる大義名分になりましたし、一度離れるとなし崩しに物理的に「親離れ」してしまうものなのかもしれません。
でもね、ホント、冷たい娘だったなあと思います。
もう一度やり直したからといって、優しい娘をやれるとは思えないところがなんともはや(^^;)
そんなことを思っても、詮無いのですけどね、ついね。
つまみ Post author
naoさん、こんばんは。
高齢者のお風呂、ホントに気が抜けません。
露骨に見張っているのもゆったりできないだろうと、遠巻きに見守っているのですが、自分が半身浴などで長湯するせいか、ちょっと油断してしまいました。
そうですか。
お母様、持ち直されたのですか。それはよかったです。
要介護3の認定で自分で買い物をなさっているとは、すごいです!
確かに、長期戦はキツいですし、遠距離は大変ですよね。
私の周囲にも、高齢者の親と向き合っている人がたくさんいて、そこにパターンなどないほどそれぞれですが、みんな大変です。
自分の心身をいたわりつつ、頑張りましょう!!