ゾロメ日記㊷ 出口さんは入口さんでもある年度明け劇場
★主な登場人物★
サヴァランさん・・・このサイトのオープン時からのメンバー(現在、休部中)
私・・・このサイトのオープン時からのメンバー(現在も迷走中)
◆4月某日
公共図書館で働き出して以降、年より年度の境目に区切りを感じるようになった。学校でパートを始めてからそれはいっそう顕著だ。そんなわけで、リセット感MAXの春だ。
昔、知り合いに「出口秋子」さんという人がいた。難しい漢字は一個も使っていないのに、すごくインパクトがある名前だと思った。彼女のあだ名は、私の命名で「入口春子」になった。・・われながら、くだらない!
この春、当サイトでは、オープンからのメンバーであるサヴァランさんが連載を終了し、休部を宣言した。フェイスブックのヘッダーの汽車からもいったん下車となった。
大人は、物理的にも精神的にも事情だらけで、「じじょうくみこ」さんに限らず、こぞって事情をくむことに右往左往する毎日だと思う。私もここ数年、溢れかえる諸事情を、穴のあいたバケツでやみくもにくんでいるのがデフォルトで、もし今この瞬間、「な~んにも気にしないで好きなことをしていいよ」と言われたら、むしろ混乱すると思う。
サヴァランさんの休部もいろいろな事情によるものだろう。今までの記事でもわかるように、ちょっと類を見ない明晰さと繊細さと洞察力を持った人である。私には想像できない思考や分析もあるだろうし、それが新たな事情を生み出しているかもしれない。もしかしたらそれが本人を苦しめてさえいるかもしれない。だから個人的には、結論を急がないでほしい、と思った。
でも、サヴァランさんは「休部」という決断をした。本人の選択こそ最優先すべきである。当然だ。わかっている。けれどやっぱり淋しい。そして少し腹立たしい。このオレを淋しくさせやがって、と。
「帰って来たゾロメ女の逆襲」(←この記事のもともとのタイトルです。ハイ)と、サヴァランさんチョイスの「(カリーナさんの)ブログの言葉」は、長らく一緒の更新日だった。ゾロメがとっちらかっても、サヴァラン&カリーナの最強タッグが隣にいると思うと、とても心強かった。今は隣がスカスカしている。
淋しいと不安はセットだなあ。人はその只中で生きているのだなあ。
数年前の春に自分が個人的なところに書いた文章をひょんなことから読み返したら、やけに沁みた。自作自演みたいでバカっぽいが、なんだか今の気分にしっくりするので、ちょっと抜粋してみる。
【生きるって不安なことだらけだ。私など本当は不安神経症で、そのことを書き出したら止まらない。なので、怖くて書けない。ネガティブな自分を臆せず文章にできる人は強いなあと思う。「臆せず」なんかじゃない、と言われそうだけど、私はそう思ってしまうのだ。
恐れ知らずの自分も確かにいる。転職とか、義父母との生活に縁がない人、ハナっからそれを回避する人は、私を「スゴイね」と言ったりする。スゴイとは思わないが、世界中を旅したり、怒涛の恋愛体質だったりする人を自分が「すっげえ!」と思うのと同じように、人は「自分にはそれはちょっとできない」と思い込んでいる分野を恐れる。恐れるから、近寄らないから、やっている人をスゴイと思う。ただ、それだけだ。
とりあえず、何食わぬ顔をして必死に生きている。いろんなことを心配しながら、なにも気にしていない風にしてる。今この瞬間は平常心でも、明日は、いや、5分後はどうなっているかわからないよ、と思ってる。
しょうがない。不安は打ち消せないし、心配は日常の一部だけれど、それを受け入れて日常をやっていくしかないのだ。私は根っからの日常至上主義だから。】
サヴァランさん、そんなわけで私は長いこと、浅はかでブレまくりのみっともない日常を、不安を抱えながら生きています。だからこのサイトは、読み手にとっても、書き手にとっても、広義な意味でのオアシスであり続けて欲しいと願っています。
扉がいつでも開いている場所。こちらの心のありよう次第で、温かくもクールにも崇高にも、時にバカバカしく思うのも自由な、多面体な場所。触発されたり、ホッとしたり、我が意を得たり、時に反論したくなったり・・でも決して、説教くさくは、底意地が悪くは、ない場所。そして、そこに在ると思うだけでなんだか心強い場所。たとえば、ゾロメにおける「ブログの言葉」のように。
最後に、出入り自由で、離れても戻ってこられる場所。
出口は入口だから。
by月亭つまみ
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
カミュエラ
「事情をくむ」って本と難しいですね。
個人が抱えた諸事情が、他の人間とかかわって新たな事情を生み出したりして、はああ~~世の中くんでもくんでもくみ切れない事情にあふれています。
私自身、事情をくんでもらって単純に嬉しい時となんだか情けなくなる時、はたまた悲しくなる時もあって、我ながら「あんたは一体どうして欲しいんだ?」とつっこみたくなります。(笑)
「日常至上主義」・・・・・ほんとそれで行くしかないですよね。不安や後悔などでいつも不安定になりがちな日々、目の前のことに真摯に取り組んでいくしかありません、はああ~~~(ため息、笑)
サヴァランさんはそのうちまた英気を養って戻って来られるのではないですか?
私も楽しみに待っていたいと思います。
ねこちゃんの「てへぺろ」?が可愛すぎです!
つまみ Post author
カミュエラさん、コメントありがとうございます。
そうですよねえ。
くめどもつきぬ事情が、くんづほぐれつしている世の中だと思います。
自分も、いろいろな人に事情をくんでもらっていて、でも気づかないでいることもたくさんあるのですね、きっと。
確かに、たとえば「物わかりよく、よけいな詮索をされずに」というのがうれしいときと、それが少し、淋しいというか、悲しいときがありますね。
サヴァランさん、戻ってくるときはヴァージョンアップしていること、間違いなしだと思います。
ネコはとにかく見飽きないですね。
ありがとうございます。
さり
私も長いこと、浅はかでブレまくりのみっともない日常を、不安を抱えながら生きています。
…こんなふうに言語化できることが素晴らしいです。不安神経症気味な私を代弁していただけたような気もします。
日常至上主義、素敵です。私は日常にもっときちんと向き合えたらと思いつつ、将来の不安が先立ちふわふわと落ち着かない日々…というか、悪癖ですね。
今のところ介護はないけれど、難しい受験生の息子がいたりと、ずれたり、重なったりするアラフィフです。
サヴァさんのファンでもありましたので、共感しきりです。
共感できるってありがたいです。ありがとうございます。
つまみ Post author
さりさん、こんばんは。
望外なコメント、ありがとうございます。
私は心が汚れているので、どんなにかっこよく見える人でも(今で言えば、小泉今日子とか?)そう見えるからこそ、そう見られるのは不安だろうし、苦痛だろうな、などと思ってしまいます。
弱音を吐くこと、自分の暗さを表明することって、かっこつけないというポーズを装う処世術だったりもしますよね。
大人は、中年(私)は、姑息です。
でも、姑息な戦法でもありったけ駆使してでも、不安にからめとられたくはありません。なんとか共存したいのですよねえ。
さりさん、できれば不安を手玉にとって、がんばりませう!