ゾロメ日記 №53 枯渇と復旧と心配と警鐘劇場
【主な登場人物】
★まゆぽさん ・・・まゆぽ&つまみの「チチカカ湖でひと泳ぎ」はもうすぐ十周年だが、実は極私的な場所でやっていた「ブエノスアイレスの春」「コペンハーゲンの夏」という前身があり(秋と冬はない)、そもそもこの形式のスタートは2001年なのであった。掛け合い歴15年!自分でも今、その事実にビックリしている。
★義父・・・コーヒーとお菓子と小動物と蒸しタオルを顔に乗せるのが好きな、福島県会津若松市出身の93才4ヶ月半。息子が覚えている印象的な父の言葉は「朝起きて、夜寝る前に、昼寝して、ときどき起きて、居眠りをする」だそう。
★村上春樹・・・1月生まれ。春樹なのに?じゃあ、角川はどうかと調べたら、こっちの春樹も1月生まれだった。1月と春樹の関係やいかに。
◆8月某日 村上春樹的夏休み
まゆぽさんと、都心の「由緒ある隠れ家」のような閑静なホテルのプールに行く。まゆぽさんがお知り合いから利用券をもらい、私もそのおこぼれにあずかったという次第。
ふだん、「身の丈に合ったつましい生活がいちばん!」などと声高に口にしている、その声高さがいやらしい自分だが、人間、たまにはこういう気分も味わっとくべきよねーとあっけなく宗旨替え。気持ちの軸、弱いなあ自分。
プールはとても空いていた。水着を着るのは十年ぶり以上で、そのビジュアルはどうでもいいとして(いいのか)、クロールの息継ぎができないという、ほぼ「泳げない」私が今回知ったのは、ビート板すら下手だということ。足が攣って溺れそうになった。ビート板を使っているのに、なにゆえ?
でも、寝心地のいいデッキチェアの並ぶプールサイドやジャグジーやミストサウナやアメニティーグッズ…などなど、ハイソなホテルのプールを満喫した。デッキチェアでくつろいでいたら、なんだか村上春樹の短編が読みたくなった。初期の。『カンガルー日和』とか、『回転木馬のデッド・ヒート』とか。
枯渇していた自分の一部がちょっと復旧した気がした一日だった。
◆8月某日 休憩条件を乗り越えろ!
義父が新しいリハビリ施設(デイサービス)に通い始めた。去年の夏から行っているのは、イケメントレーナーがうじゃうじゃいるリハビリだが、そこをやめたわけではなく、もう一個増やしたのだ。このところ、比較的体調が落ち着いているので、ケアマネージャーのアドバイスもあって話を進めてみたのであった。
よって今月中旬から
●イケうじゃリハビリ・・・月水金
●新しい(非イケ)リハビリ・・・土
というラインナップ。すべて午後のみだが、なかなかなスケジュールである。嫁よりよっぽど外出回数が多い。
でも、今回の新規開拓に関して私はどちらかというと及び腰だった。数ヶ月前、義母がもう長いこと通っている一日コースのデイケアに、義父も土曜日だけ通う話が出た。本人も了解し、わりと手間ひまかけて準備や契約をしたのだが、一回行っただけでやめてしまった。
今回も心配だった。心配というと、まるで義父を案じているようだが、そうではない。振り回されるのがイヤなだけだ。心配なのは自分だ。
今のところは順調に通っている。マッサージがとても気持ちいいらしい。不満は、イケうじゃリハビリと違って、休憩時間に出るのが飲み物だけなところ。チョコレートやビスケットなどのおやつがないのがとても物足りないようだが、その、義父にとっては超苛酷(!)な休憩条件を乗り越えて、なんとか続いてほしいものだ。
■最近、読んだ本
『彼女に関する十二章』 中島京子/著
著者の真骨頂である「過去の文学作品(時には史実)をモチーフに、想像力を駆使して新しくて魅力的な世界を生み出し、尚且つ、元ネタも読みたい気にさせる」シリーズ最新作。
今回の元ネタは、伊藤整が戦後まもない頃に書いた『女性に関する十二章』。この、一見ジェンダー的にキナ臭そうなタイトルの作品の本質が、ヒロイン聖子さんの日常とリンクしたりしなかったりしながら明らかになっていくさま、興味深くおもしろい。そして、派手さはないが、クレバーでクールでチャーミングで調子に乗らない(C始まりで統一してみました)更年期世代の聖子さんがとても魅力的だ。その証拠に、聖子ちゃんモテるのである。
中島京子さんは、今の世の中というか日本に相当危機感があって、憤ってもいて、その怒りや焦燥感がこの小説を書かせたとわかる。それは、伊藤整が記し、この小説でも繰り返し言及される<夫のため、親のため、子どものため、国家のため、自分を犠牲にすることが美しいとされる『日本的情緒』と『軍事化』が一体化するとマズい>で明らか。
この小説は、おおげさではなく、中島京子という作家の、今の日本に対する警鐘なのだ。世の中に伝わることを切に願う。
自分が、作者の真意や深意をきちんとくみ取れたとは思わないが、この夏、わりとたくさん読んだ本(家に居がちなので)の中から今回この本の感想を書こうと思った(無意識に書き始めていた)のは、直接的過ぎることをものともしない程の強い気持ちで警鐘を作品にトレースした、作者の切迫感や真剣さがものすごく伝わったからだと思う。
も一回書くけれど、世の中に伝われ!
by月亭つまみ
★毎月第一木曜日は、まゆぽさんの「あの頃アーカイブ」です。お楽しみに!
まゆぽ
「ブエ春」「コペ夏」懐かしい。
「なんちゃらの秋」もあったような気がしているのですが、
「キンシャサの秋」…? うそ? 妄想?
夏休みの一日、楽しかった〜。
優雅なホテルプールで泳ぎ、白くて分厚いタオル地のバスローブに包まれて
マダムな気分を満喫した後、
カウンターで食べる野菜つけ麺ランチはばりばりのおススメコースでした。
図書館に予約中の『彼女に関する十二章』が楽しみ!
やっぱり伊藤整を読んでから読むべきでしょうか?
nao
「カンガルー日和」は大学時代に読んだ気がします。それまでなかったような読後感で印象的でした。懐かしいな。
1月生まれの春樹さんは新春だからかなと思いますが、
中学の同級生に10月生まれの春一くんがいました。
親の好きな季節を選んだのか、出生届を出すのが遅れたのかわかりませんが(笑)
日本がどこに向かっているのかみんな危惧しながら
思いもかけない方向に行ってしまうのかもしれません。
そうならないように小さな小石を積むような積み重ねを心掛けてはいるのですがどうでしょう。。
爽子
ダッシュで図書館リクエストしてまいりました!彼女に関する十二章。
人気です。うちの市では8冊購入されてました。でも、三巡目。
一ヶ月後くらいには、手元にくるかな?楽しみだ。
真正面マダムな夏休み、いろいろ生き返りましたね。ヨカッタヨカッタ。
味わわなくては。
イケうじゃリハビリ、わたしも通いたい。
友人の同居のお義母さんは、デイ命で、大変喜んで通ってはるみたいです。一緒になった人に、配るモノを用意させられるので、手土産のネタが尽きて、大変らしいです。
本当は配ったらあかんのとちゃうの?笑
つまみ Post author
まゆぽさん、
思えば長い付き合いになったねー、私たち。
ブエ春、コペ夏の頃は私らも若くて(笑)今よりずっと攻撃的だった気がします。特に私。
キンシャサや北京、も候補になったけど、採用しなかったという記憶が。
ホテルのプール、めっちゃ楽しかったです。
まったりし過ぎて眠くなったけど。
鋭気を養ったってことで、今日は出チチアップだわ。
行くわよ!?
追伸
私もまだ伊藤整を読んでません。
本当は、伊藤整から入った方が、中島さんの目ウロコ感がひとしおかも。
読んでないくせに言ってみた。
つまみ Post author
naoさん、おはようございます。
村上春樹は、全般的に初期の方が好きです。
そして、はっ!新春!!
そりゃそうですね。
1月生まれの「夏子」という友人がいるので、つい、現在の四季に換算(?)して物事を考えるという視野狭窄に陥っていましたよ。
お恥ずかしい!!
今までの人生、社会や世相に限らず、学校とか職場とかでも、群集心理というか集団ヒステリーみたいになって、みんなしてヘンな方を向いちゃう、というのがあったと思うのです。
流行でも、社会通念でも、上司のリコール的気運でも。
そのときは、その方向を疑っていなくて、正しいというより、そっちしか見ていなくて突き進んだりしていたけれど、後で思い起こすと「あれ、絶対へん」とか「なんであんなにアツくなったんだろう」とか「集団催眠術にでもかかっていたのか」と思うことがけっこうある気がします。
流行なら笑ってすますことができますが、今の日本の空気は、取り返しのつかない気配を孕んでいるようで、正直、怖いです。
かといって、私も、何か行動をしているわけでもなく、小石を積むようなこともしていないかもしれません。
ただ、そわそわしている。
でも、周囲に「なんであの人、そわそわしてるの?ちょっとうっとうしいんですけど」と思ってもらうことが、自分にとっての小石のような気もします。
つまみ Post author
爽子さん、おはようございます。
いつもお気遣い、ありがとうございます!!
私も、将来通うならイケうじゃリハビリがいいです!
車の送迎付きですが、嫁はほぼすっぴんでの対応が習慣化してしまい、今になって「化粧してもうちょっとマシなかっこうで、優しく舅を送り出し出迎える嫁」をやっときゃよかったぜ、ちっ!などと思っていますが、あとのまつりです。
モノ配り、あかんと思いますが、それを楽しみ(配る方)にしている利用者が絶対多いと思います。
はらぷ
ホテルのプールと村上春樹。似合うなあ。いや本人がじゃなくて。
すらりとした手足を持つ、ちいさい水着を身につけたキュートな女の子と
「キャンプの朝」
「かっこう」
って言うのかな(←妄想)
私も村上春樹は初期の作品が好きです。草むしりする話とか。
そういえば夏のイメージだないつも。
伊藤整の『女性に関する十二章』、図書館で借りられていたりするのかな…と思って職場で検索してみたら、4月以降ちょっと動いている形跡がありました。
おお…!やはり読んでいる人がいるのだな。
わたしも予約しました。
『彼女に関する十二章』はさすがの予約多数でした。ううむ、買うか…。
中島京子さんは随分前から、創作以外の場でも、日本はほんとうに危うい方向に走り出しているんだよ、ってことをすごくストレートに言い続けていますよね。
「自分は作家だから政治的なことに直球でコミットのはどうなのか…」「政治的文脈からは一線を画したい」みたいな、矜持があるようで実は逃げてる(?)ようにも見える空気はすかっと蹴っ飛ばして堂々と言っている。
そして自分の領域である創作の場でも、出来の悪い寓話みたいなんでなく(←そこはかとない嫌味)、高いクオリティでこういうものを出してくるすごさ、あッこれはまだ読んでないのに言う資格がない…。早く読みたい。
そして、実際に話してるところを聞いたときの驚き。
なんかきゃぴきゃぴしてる…!
このギャップも好きです(笑)
「伝われ!」って切実で、ちいさな希望があって、いい言葉だなあと思いました。
すごい力をこめても、たぶんちょっとしか伝わらないんだろうという気持ちがこもったうえでの、希望、というか。
影響されて、今朝ツイッターで回ってきたすごくいい記事を読んだとき、
「この記事みんなに届け!」って思いました。
(すぐに影響される。)
つまみ Post author
はらぷさん、こんばんは。
村上春樹の草むしりの話って、『中国行きのスロウ・ボード』の「午後の最後の芝生」でしょうかね。
80年代なかばまでの村上春樹の短編は、本当に何回も読んでいるので、けっこうすぐに出てきます。
若いときの記憶は廃れない。
90年代以降は全くダメです、村上春樹に限らず。残念ながら。
中島京子さんは気骨のある人ですよね。
最近、豊崎由美さんが、Twitterで「わたしは百田氏の本を丁寧に読んだ上で批判をしています。書評家の仕事をなめないでいただきたい」とつぶやいていましたが、なぜか、中島京子さんと豊崎社長は似てる、と思いました。
ビジュアルは違いますけど。
50代女性をなめないでいただきたい、と一応、言っておこう。