ゾロメ日記 №59 勤労感謝の日の翌日記念「RCサクセションってやっぱいいよね」劇場
◆11月某日 宝くじは買わない
以前夫が、自分が宝くじを買わないのは、「歩いていたら落ちてきた隕石にぶつかる」みたいな低い確率の不幸に遭うつもりは全くないのに、「宝くじで高額が当たる」という低い確率の幸運の方だけは預かる気満々、ということが不遜だと思うから、と言っていた。
私も宝くじを買ったことがない。夫のような考えで回避していたわけじゃなく、どーせ当たらないだろうと思っていただけである。よく、買わなきゃ当たらないよと言う人がいるけれど、買ったって当たらないじゃないか、と。ただ、当たるつもり満々の人に対するうっすらとした違和感は、確かにずっとあった気がする。夫のコメントでその一部が明文化というか可視化された気がした。
「宝くじに当たるつもりなら、確率の低い、不運としか思えない不幸に遭う覚悟もしろ。人生はハイリスクハイリターンだ」と言ったら、大勢の人にもんのすごくイヤな顔をされるのか。されるのだろうな。
今回のゾロメ日記が更新される日は年末ジャンボ宝くじの発売日だ。営業妨害か。
◆11月某日 ぼくの好きな先生
告白された。男子に。50才年下だけど。
パート先の小学校の1年1組の何人かが「この学校の誰センセーが好きか」を言い合ったらしい。そこでHくんが「としょしつの、つきていセンセー」と言ってくれたそうだ。別な男子が教えてくれた。「Hくんが、センセーが好きだって」と。Hくん本人からの言質はとっていない。今後もとらない。
ソッコーでTwitterでつぶやきたかったけれど、これはゾロメで披露しようというスケベ心が発動して我慢していた。けっこうツラかった。とにかく、この3年の苦労(?)や最近のショボいもろもろを補って余りある金言である。ああ、生きててよかった!?
でも、あらためて考えるまでもなく、私の学校でのポジションはいいとこ取りなのである。気楽なのだ。先生方を見ていると、本当に大変だなあ、教師にならなくてよかった、とすら思う。
子どもたちは、クラス単位でも本当にバラエティに富んでいる。スキあらばふざける子、話を全く聞いていない子、どこかへ行ってしまう子、返事だけは調子がいい子、覇気が感じられない子、常に不満そうな子…。もちろん、私が図書室で見る彼らは、彼らのほんの一部でしかないし、教員…特に担任こそ、日々の苦労一切合切を凌駕するような幸せな時間を数多く経験しているに違いないのだが、それでも、自分は「本を読んだり、本を紹介したりしてくれる優しいオバチャン」一点突破で子ども達に接していられるのはお気楽なことよ、と思う。
◆11月某日 雨あがりの夜空に
夜はほとんど外出していない。現在のパートは16時前に終わるので、夕暮れに仕事場から家路を急ぐことすらない。なので、いちばん夜空を見上げるのは、夕食の後かたづけが終わって、ゴミを玄関脇のポリバケツに入れるときである。
この時間が好きだ。一日の家事があらかた終わって、突発事項がなければ、ホッと一息、コーヒーかルイボスティでも飲んで、あとはパソコンを見るか本を読むかして、お風呂に入って寝るだけ、というシチュエーションもさることながら、夜の住宅街の低い場所から見た矩形の狭い空が好きなのだ。
高い場所や、周りになにもないところから見る広い空は確かに気持ちいい。うっかり、世界を掌握したような気分になれたりもする。でも私は根っからの下層人間のせいか、文字どおり地に足のついた、周囲のにおいや濃度や事情…要するに街の、人々の、生活が営まれている場所から見る空が好きらしいのだ。
特に、雨あがりの夜空はいい。雨が止みたてで、まだ星も出ていない、空気に水気が残ったちょっと重めの夜空が好きだ。日中の雨や湿気は苦手なのに、夜の湿気は悪くない。どうしてだろう。
そういう夜空は、映画が始まる直前の映画館の暗闇にどこか似ている気がする。ここにいれば、いずれ明るくなって物語が始まる、それは楽しいことだけじゃないかもしれないが、つまらないことだけでもない気がするから、とりあえず居てみよう…そう思わせてくれる暗さは、カラッと乾いてはいないような気がするのだ。続いていく生活や物語は湿度を持っているってことか(いいことを言ったつもり?言ってないか)。
◆最近読んだ本
たまたまだけれど、小説以外の本ばかり読んでた。
『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』 ジェーン・スー/著
『芸能人寛容論: テレビの中のわだかまり』 武田砂鉄/著
『この素晴らしき世界?!』中野翠/著
みんな、アッタマいいなあ。分析して論じて、自分を高みには置かず、必要以上に謙らず、ちょっとペシミストで、怒っていて…。そういう姿勢というか矜持が、必ずしも本人を幸せにするとは限らないのが生きるってことの難しさだと思うけれど、甲冑やわだかまりや反語的なwonderfulが、この世界のどこか&誰かをひととき照らす灯りや指針になっていることは間違いない。少なくも、私の足元に漂っている靄は少し晴れたもの。また靄がかかるんだろうけれど。
中野翠さんの「サンデー毎日」連載は30年超。以前にも書いたけれど(⇒★)相変わらず80%の共感的内容。それにしても、30年以上って屈強な偏人じゃなきゃできないなあ、いい意味で。
by月亭つまみ
★毎月第一木曜日は、まゆぽさんの「あの頃アーカイブ」です。お楽しみに!
nao
そんな若い男の子に告白されたら嬉しいだろな(笑)
無邪気なだけにホントにそう思ってなかったら出てこないですよ!
きっと素敵なセンセイなのでしょう。
初めて行ったライブがRCサクセションでした。
清志郎は永遠の少年で、どんなおじいちゃんになるのだろうと思っているうちに
あちら側に行ってしまいました。
少し前にyoutubeで見つけた、清志郎の歌う500milesも大好きです。
会いたいなー
つまみ Post author
naoさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
昨日今日で、清志郎さんの500milesを何度も聴きました。
ああ、なんてせつないんでしょう。
リフレインのところを原曲の歌詞のままにしないところ、特に2番の「抑えて 抑えて 抑えて 抑えて」が効きました。
抑えるのが、帰りたい気持ちから泣きたい気持ちに移行する繊細さが、清志郎さんのどの詞にも通じる「難しい言葉なんて全然使っていないのに、気持ちの機微を漏らすことなく掬い(救い)とっている」であるなあと、あらためてその不在が哀しいです。
小学生、特に低学年はどんどん成長していくので、昨日までフレンドリーでニコニコしていた子が、いつのまにかそうでなくなることも日常茶飯事です。
わかっていながらも、がっくりしたりして。
でも、だからこそ、この一瞬の幸せを噛みしめようと思います!