【ゾロメ日記】 NO.70 全てのぼくのようなロクデナシのために
◆5月某日 この星はグルグルと回る
映画『ラ・ラ・ランド』を見た。家から徒歩5分の場所に映画館があるっていいな。中年になってますますそう思う。ちょっと遅れてかかるのがたまにキズだが、自分にはむしろそのぐらいがいいかも。
映画は、ストーリー展開と音楽にワクワクしつつ、終盤は胸がつまった。人はどこにでも行ける、なんでもできる、かもしれないが、踏み出す瞬間の選択肢は常に一個だ。可能性は無限なのに実行はひとつ。せつない。パラレルワールド好きはそこがたまらんのだ。そしてこの映画はプラネタリウム好きにもたまらない。効果的に使われていると思う。
一時期、都内のいろいろなプラネタリウムに行った。その中では、地味だが葛飾区郷土と天文の博物館 がけっこう好きだった。『ラ・ラ・ランド』でも登場したフーコーの振り子もある。フーコーの振り子は、悠久的で刹那的、有限で無限、見えて見えない、そんな相反する時間の概念がすべて可視化されているみたいで、見ていると果てしない気分になる。そして時空に吸い込まれそうな心持ちになる。なので、つい、手すりをぐっと掴み、足を踏ん張ってしまう。
◆5月某日 はみだし者でかまわない
「アメトーーク」高校ダブり芸人 の回を見て、高校のときに同じクラスだったオオタ君を思い出した。彼はひとつ年上だった。1年生を2回やっているわけではなく、学校を受け直したらしかった。痩せていて、髪が長く眼光鋭く無口だった彼は、近づきがたいオーラを放っていた。
私は家庭の事情で、受験して合格した高校には行かず、同じ県内だが離れた、母親の実家の近くの高校に、入学式を待たずに転入した。当然、知っている人は誰もいなくて、しかも転入先の高校は女子が少なかったので、最初はやたらと心細かった。だが、じきに頭文字ゾロメ女子KKと親しくなった。
KKの席はオオタ君の隣だった。私は休み時間のたびにオオタ君の席でKKと話をした。いつもオオタ君の席が空いていたからだ。彼は学校には来ていたけれど、休み時間に教室にいることはほとんどなかった。
ある休み時間、いつものようにオオタ君の席でKKと話していると、彼が背後から近づいてきて、ぼそっと「席、替わろうか」と言った。私は驚いて振り返って彼を見上げた。話に夢中で、授業開始のチャイムが鳴っていたことに気づかなかったのだ。無表情なオオタ君に内心ビビリながらも、私は「(替わらなくて)いいです」と言って自分の席に戻った。
1年生のときに彼と話したのはそれだけだった。2年生になるときにクラス替えがあって、またオオタ君と同じクラスになった。2年生でも話す機会はなかった。
文化祭恒例の仮装行列で、われわれのクラスは百姓一揆をやることになった。隣のクラスはベルバラだというのに、そのまた隣はピンクレディとその仲間たちなのに。人間の不平等さを思い知った高2の秋だった。
私は村の百姓のこどもに扮した。よどんだ色の短めの着物を着て、髪をヤワラちゃんのように結び(私の方が先だけど)、頬を赤く塗って、枝付きの柿を持って市内をねり歩いた。本番当日、百姓役で鍬を担いだオオタ君は私を見て笑った。自分でもハマり役だとは思ったが、笑われるのは不本意だった。自分だって、落ち武者感もある複雑怪奇なたたずまいで相当似合ってるくせに!と彼に毒ついた、心の中で。
3年生では違うクラスになった。たまに見かけるオオタ君は相変わらずだったが、目つきはそんなに鋭くなくなっていた。ある日、私は売店で彼の後ろに並んだ。彼はジャムパンを買った。私も続いてジャムパンを買おうとしたが、売り切れだった。私が「えーっ」と不満を表明すると、立ち去ろうとしていたオオタ君が私を見た。一瞬、なぜかパンを譲ってくれるような気がした。甘かった(ジャムパンだけに)。失笑されただけだった。
教室に戻って、3年生になって再び同じクラスになったKKに憤懣やるかたない感じで今の出来事を報告すると、KKは「オオタ君、1年生のときにあーたのことを『こえーな』って言ってたっけね」と言った。初耳だった。初耳だったが、きっとそれは「席、替わろうか事件」のときだろうなと思った。
オオタ君との思い出はそれだけだ。少女マンガのように、実はふたりは密かに…とか、その後、街で偶然…的なことは何もなかった。ただ、アメトーーク!を見ていたら彼の記憶が蘇った。オオタ君が1年生のときに、休み時間に教室にいなかった理由も少しわかった気がした。
番組のエンディングで、出演者「髭男爵」のひぐち君の、番組に対する感謝の言葉と、今ダブっている高校生たちへのエールが読み上げられた。グッときた。番組中何度もブルーハーツの「ロクデナシ」が流れているのも良かった。
オオタ君は、私が高校のときに別マに連載されていて、今でも私のベストワンのマンガ『おしゃべり階段』のマーシに少し似ていた。ほんの少しだけ、だが。そういえば、マーシも同級生たちより年上だったっけ。
by月亭つまみ
第1木曜日 まゆぽさんの【あの頃アーカイブ】
第2木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊 切実本屋】
第3木曜日 はらぷさんの【なんかすごい。】
第4、5木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 ゾロメ日記】
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
アメちゃん
マーシ!
真柴くん!!
私もコミック持ってますけど、「おしゃべり階段」は名作ですよねぇ。大好きです。
でも、ひそかに可南に想いを寄せるマーシが線とニアミスしたりして
ちょっとせつないんですよね。
パラレルワールド、ふしぎですね。
ある不思議な能力をもってる方のブログで
明晰夢を見てる最中に、別のパラレルワールドに存在する自分を見るんですけど
それが、今の自分と生活はもちろんのこと、姿形も違うんですって。
(でも「自分だ」と分かる)
その話を読んだときに、もしかして他のパラレルワールドに存在してる自分も
ちゃあんと同時に存在してるのかなぁ、、とか思ったりして
そうすると、向こうの私は向こうの私でちゃんと意識もあって、、とか
考えれば考えるほど不思議なんですけど、面白くて好きです。
つまみ Post author
アメちゃんさん、おはようございます。
「おしゃべり階段」のことは、いくらでも語れるワタクシでございます。
マーシより断然、線派でしたが、マーシがいることで、加南も線もくっきり浮き上がって輝いてましたよねえ。
連載時は、ミュージシャンに憧れる年頃でもありました。
パラレルワールド、その昔、筒井康隆の『時をかける少女』を読んだとき、一緒に『果てしなき多元宇宙』という小説も載っていたのですが、そこに確か「宇宙は一枚の布。縦糸が時間で、横糸全てに世界がある」と書いてあって、ああ、隣の横糸にはこことちょっとだけ違う自分がいるんだなあと思った記憶があります。
横糸が離れれば離れるほど、自分の姿や生活も変わっていく、という理論(?)で、それを読んで以来、何か失敗したとき「ああ、違う横糸の自分はこんなミスはしないで、よろしくやってんだろーな!ちくしょー」と思うようになりました。
けっこう、マジで(^^;
爽子
パラレルワールド、横糸にやらかしてない自分がいるなら、ずいぶんすくわれますよね。
横糸の自分に望みを託したい。
最近なにがしか、やらかし続けるわたし。あうあう
つまみ Post author
爽子さん、お疲れ様です。
あ、私は反対に、横糸にもっとひどいことをやらかしている自分がいることを想定すると、「そっちよりまだマシか」と救われる性質です(^^;
でも、爽子さんの理論(?)も一理ありますね。
イケてる自分を妄想してそこに望みを託す…今度、やってみることにします!