【月刊 切実本屋】VOL.3 森の声を聴け
あっついですね。暑いと読書が進みません。
災害でたいへんな思いをしている方々のことを考えると、暑いくらいでなんだ、とも思います。自分よりたいへんな人がいると思っても、自分の感じる負荷が消えるわけではありませんが、状況の耐性が少しだけ上がる気はします。年々無理はきかなくなっても、物理的な枠外の自分も、まだちょっとだけいるような気もするのです。
そんなわけで、今月も【月刊 切実本屋】いかせていただきます。
最近読んで印象深かったのは『暗い時代の人々』(森まゆみ/著)です。
満州事変(1931年)から太平洋戦争終結(1945年)にいたるまでの、著者曰く「暗い谷間の時期を時代に流されず、小さな灯火を点した人々」 9人の評伝です。
書き手本人も意識していると書いてあるとおり、文章が平易で読みやすいので、ハードな内容でもハードルは高くありません。こういう内容をぐいぐい読ませる力こそ筆力だなあと感じ入りました。
取り上げられている9人が9人、気骨ある唯一無二の存在ですが、特に、リベラルな保守主義者の衆議院議員で帝国議会で粛軍演説をした「ねずみの殿様」こと斎藤隆夫、大部屋俳優で文化新聞「土曜日」を創刊した斎藤雷太郎が印象的でした。どこか、著者の思い入れも強く感じ、この2章は二度読みました。
W斎藤LOVEです!?
精神が抑圧された暗い時代に、精神の自由を掲げて闘うのは、とてつもない覚悟の人か、とんでもなくわがままか、のどちらかだと思います。いずれにしても、その生きざまは、暗さに不自由を感じる者にとっては一縷の望みの光です。人々は、その光を通して、進むべき方向、進んではいけない道を判断してきたのでしょうし、これからもそうなのでしょう。この本を読むこと自体も、光を探す行為なのかもしれません。そんなつもりで読み始めたんじゃないにしても。
同時にこの本は、単に抑圧の時代を深刻に記しただけでなく、たとえば竹久夢二が渡独して、ベルリンでナチスの台頭を肌で感じたことや、著者の叔母である作家の近藤富枝さんが「いい男ってのは山宣だねえ」と何度も言っていたという性科学者で社会運動家の山本宣治の、当時としては斬新な性知識の定義など、興味深い近代史のエピソードもたくさん出てきます。
京都に行ったら、ぜひとも、斎藤雷太郎の章に出てきたフランソワに足を運ばねばと思いました。舞台になった喫茶店が今も営業中だなんて、なんて麗しいんでしょう。
映画『FAKE』を見ました。
ゴーストライター騒動で時の人だった佐村河内守氏のその後をフォーカスした作品は、公開時、世間でも私の周辺でもかなり話題になり、当サイトでもuematsuさんが記事にし、(こちらをどうぞ⇒★)
コメント欄もにぎわいました。私は見ることができず残念に思っていましたが、このたび日本映画専門チャンネルでディレクターズ・カット版が、しかも森達也監督のインタビュー付きで放映されると知り、前のめりで録画しました。
満を持して見た『FAKE』は、期待どおりの怪しさ、うさんくささでした。佐村河内守氏も、彼のそばにずっとついているもうひとりの「主役」佐村河内夫人かおりさんも、絶妙で姑息な距離感とコメントで絡む監督も、器量良しのネコすら、こぞって何を考えているのか本当のところはわからない、わかったつもりになるとしっぺ返しを食らいそうな、場面場面によって、誠実だったり嘘くさかったりするクセモノぞろいに見えます。この主要メンバーに比べれば、テレビ局の人間たちはみんな平たいうさんくささなので、なんだか力不足に映ります。
そして、まんまと監督の術中にハメられたかのようなオープンエンド的なエンディングには、唖然というより、忸怩たる思いがしました。もしかしたら、実際に「っち!」と声に出したかもしれません。
ああ、おもしろかった。
忘れかけていましたが、ほぼ1年前にゾロメ日記で森達也氏のことを書いていました。(⇒★)
第三次森達也ブーム到来中だって(失笑)。なに言ってんだか。
最後に
「完璧な人間などと言ったものは存在しない。完璧な森が存在しないようにね。」
…あ、戯言です。村上春樹の『風の歌を聴け』の出だしをちょっとアレンジしてみました。
by月亭つまみ
第1木曜日 まゆぽさんの【あの頃アーカイブ】
第2木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊 切実本屋】
第3木曜日 はらぷさんの【なんかすごい。】
第4、5木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 ゾロメ日記】
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」