ゾロメ日記 NO.78 晩秋のちょっとしたお出かけ
◆11月某日 よくある(らしい)名前の坂
外出先に約束の時間より早く着いた。別にそのまま訪問してしまってもかまわない場所なのだけれど、お天気のいい昼下がりだったし、早く到着して張り切ってると思われるのも不本意なので(自意識過剰)、周辺をぶらぶらした。
新宿区愛住町。このあたりは、高低差好きの人(たとえばタモリとか)が喜びそうな場所が多い。幹線道路沿いはいかにも都心だが、一歩入ると、突如、急な坂道や階段が登場して風景が一変する。高層マンションも少なく、区画整理とは無縁な住宅街が段差上に屹立しているさまは、ちょっとした要塞のようだ。
セツ・モードセミナー(残念ながら今年の春、閉校。今、HPはこうです⇒★)もそのひとつだ。建物自体、モダンで渋くて風情があるが、地形的ロケーションがその印象をなおさら際立たせている気がする。
テキトーにうろついていたら、不意に暗坂(くらやみざか)というところに出た。字面になんだかハッとする。そういえば、島田荘司の小説に『くらやみざかの人喰いの木』のいうのがあったような。読んでないけれど。その小説の舞台かもしれない、と思わず周囲に人喰いの木を探すが、それらしきものはなかった。
あとで調べたら、この小説は「暗闇坂」で、舞台は横浜らしい。そしてなんと、都内だけで暗闇坂(もしくは暗坂)というのが7つもあるそうだ。そもそも、全国にこの名の坂はいくつあるのだろう。東京が特別多いのだろうか。日本くらやみざか協会に聞けばわかるだろうか。そんな組織があったとして、だけど。
今度、「くらやみざか めぐり」でもしようかな。さしあたって都内の。誰か一緒にどうですか。
◆11月某日 芸能を継承する方へのお祝いを買いに
瞽女(ごぜ)三味線の継承者でもある三味線奏者の月岡祐紀子さん の出産祝いの絵本を買いに銀座の教文館書店に行く。
月岡さんは「なんかすごい。」のはらぷ(敬称略)を通して知り合い、かつての職場でイベントをしていただくという縁のあった方だ。なので、本ははらぷと二人で選んだ。
月岡さんと知り合うまで、盲目の女旅芸人である瞽女さんの知識は『はなれ瞽女おりん』(小説ではなく映画の方)のイメージだった。肉体的なハンデを背負い、苛酷な旅を続ける悲劇の人たちという固定観念。平成17年、“最後の瞽女”だった小林ハルさんが亡くなり、瞽女さんはもういない。でも、月岡さんのようにその芸に惹かれ継承する人がいる。
月岡さんの瞽女唄ライブはとてもいい。実は先月も行ってきた。
演奏と唄がはじまると、それまで自分があたりまえのように享受(?)していた時間軸(自分が現在どの時代にいるかとか、自分が生きてきた時代を含めた過去との物理的心理的距離感みたいなもの)が根こそぎとっぱらわれる気がする。それは、心もとないと同時にとても自由だ。時間軸と一緒に、各種の呪縛的なものからも解き放たれるような気がする。瞽女さんに対する固定観念も然り、だ。
瞽女唄はおもいのほか、滑稽だったり明るいものも多い。月岡さんの瞽女唄を聴けば、瞽女さんの境遇、人生を安易に不幸方面にジャッジすることの不遜さ、狭さ、あさはかさ、が自動的に思い知らされるシステムになっている…かのようだ。
でも、なんだかんだと思考をめぐらすのはライブの序盤だけだ。気がつくと、ただ、たゆたうように聴いている。瞽女唄が芸能として受け継がれ、瞽女さん亡き今も継承されている理由はたくさんあるだろうが、そのひとつは、この「たゆたうように聴いてしまう懐の深さ」かもしれない。だって、本当に気持ちがいいんだから。
ちなみに、素顔の月岡さんは、率直で誠実でおっとりしていてとてもマイペースに見える。母になった今はさぞや忙しいだろうが、なんだか走る姿とか、想像できない。…いや、待てよ、そういえば私は月岡さんが走るのを見ているのであった。
上述の職場のイベントの打ち合わせに来てくださったときのこと。
打ち合わせが終わり、最寄りのバス停まで案内したのだが、途中、道路工事をしていてバス通りまで予想外に時間がかかった。通りに出たときは1時間に1本のバスがもう来ていて、二人で走った。結局、間に合わなかったのだが。
次の予定があって急いでいた月岡さんには申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、月岡さんが自分と並んでバスを追って真剣に走る姿がやけに可笑しくて吹き出しそうになった。あ、今思い出しても笑っちゃう。あらためて申し訳ない。今度、お会いしたときに謝ろう。「なんのことですか?」と言われそうだけど。
月亭つまみ
【木曜日のこの枠のラインナップ】
第1木曜日 まゆぽさんの【あの頃アーカイブ】
第2木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊 切実本屋】
第3木曜日 はらぷさんの【なんかすごい。】
第4、5木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 ゾロメ日記】
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
はらぷ
うふふ、我我ながら、なかなかよい絵本ラインナップだわ!(笑)
なんて、教文館ナルニア国のすばらしい選書よ、ありがとう。
月岡さんの瞽女唄を聴いていると、笑いも涙ものみこんだ人の人生、それも、ひとりのじゃなくて、連綿と続いてきた生の営みそのものを聴いているような気がしてきます。
ひとりひとり違うんだけれど、なにか普遍的な「自分たちの唄」を瞽女さんが代わりに唄ってくれているというような気持ちで、人びとは毎年瞽女さんの来訪を楽しみにしていたのかもしれない…と思います。
現代の私たちは、彼女たちが旅していた時代とは、ぜんぜんちがう生活をしているんだけど、それでも、そんなふうにしみこんでくるから不思議。
ニュースや世相や流行歌をもたらしてくれる、瞽女さんの唄にはそんな役割もあったと月岡さんのお話で知ったけれど、そういう外と内(心の中)の両方の顔があるというのも、おもしろいなあと思います。
瞽女さんの唄は、色っぽかったりするものも多い(笑)
月岡さんの唄を聴いていると、いいなあ、私も唄ってみたいな、と思ってしまう。できっこないんだけど、なんかのせられちゃうんだよね(笑)きれいで粋でかっこいいです。
ほんとに、普段の時とのギャップがおもしろくてかわいい。
バスに乗り遅れたエピソードは、ほんとに月岡さんらしくて、いいなあ、そんな記憶を共有していることがうらやましい。つまみさんにしたら、相当あせっただろうけど(笑)
月岡さんは毎年10月くらいに、江戸川区の一之江名主屋敷というところで、「椿の里の瞽女唄ライブ」というのをやっています。
来年もしご興味があればぜひ!ということをここで宣伝してみる(笑)
つまみ Post author
はらぷさま
そうですね。
月岡さんの唄を聴いていると、いろいろな、本当にいろんな人生、背景が浮かんでくる気がするよねえ。
>普遍的な「自分たちの唄」を瞽女さんが代わりに唄ってくれている
あー、でもこんなふうには思ったこと、なかった。
なるほどなあ。
時間、場所、目に見えるものと見えないもの、あの世とこの世、そういう、両極でも物理的な距離でも表裏じゃない、隣り合わせだったり、ねじくれているものたちをつなぐ架け橋、みたいなのかもね、瞽女唄って。
瞽女さんを介して、触れられる異界(彼岸とかって意味だけじゃなく)があるのかもなあ。
名主屋敷の瞽女唄ライブ、いろいろな人に聴いてほしいです。