【月刊★切実本屋】VOL.9 えいやっ!と写真集の感想を書いてみる
2018年も【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊★切実本屋】にお越しいただき、ありがとうございます。【帰って来たゾロメ女の逆襲】というタイトルで記事を書かせていただくようになって、早いもので来月で丸5年です。
いや~、ホントに早い!うかうかしているうちに50代も後半になっちまいました。どうしてくれよう。なんだかもう、過ごしてきた時間と、自分のやってきたこと…軌跡というか痕跡みたいなもの…の量が折り合わなくて茫然とします。
でも、昨年暮れに、ゾロメの記事数が全部で150を越えていることを発見し、少し元気を取り戻しました。「ふんがっ!あたしだってここにいるぞ!」みたいな。われながら、鼻の穴を膨らませる意味も方向も不明ですが、この数が、不透明でつかみどころのない中年(老年すぐそこ)道を往く自分にとって、思いのほか心のよりどころになっています。
【帰って来たゾロメ女の逆襲】は、今まで同様、今後も自分の変化と連動して少しずつ変わっていくと思いますが、ユルくお付き合いいただければ幸甚です。よろしくお願いします。
というわけで、2018年最初の1冊は写真集です。
私は、写真を撮るセンスはもとより、写真の見方がわかりません。
こう表明すると、心優しき人々が「見方なんてないよ。自分で好きなように感じればいいんだよ」と言ってくださいます。ええ、そうでしょうともそのとおりだと思います。ですから「確かにそう」と頷くわけです。頷くわけですが、内心では「それはわかってるんだけど、『なにかを感じるべき』という圧に対しての身の置きどころがわからんのよ」とつぶやいていたりします。
写真と向き合うときの自分は、周囲を意識してよそゆき顔になりがちです。的っぱずれなことを言ってないかとビクビクしたり、背伸びしてわかったふりをしているような居心地の悪さを感じたり…要するに自意識過剰値が急上昇するのです。
写真に対するハードルを勝手に上げて、勝手に劣等感を持っているだけだというのは自分でもわかっています。でも、長年着々と培ってきた劣等感はツワモノです。ですから、このサイトのCometさんが、ダンナさんへのクリスマスプレゼントに写真集を贈ったと聞いたとき、ソッコーで「どんな写真集か見たい!」とは思ったものの、こっそり見る予定でした。
見たことをカミングアウトしたら、私はきっと体裁のいい感想のひとつもひねり出そうとするにちがいない、それはウソじゃないにしても、そんな自分を自覚するのは少しうっとうしいなと思ったのです。
ところが、図書館で借りてきた半日後にはCometさんに連絡していました。感想を言いたくて。
アンドレ・ケルテスの『読む時間』は、無名の老若男女が無心になにかを読んでいる瞬間が集められた写真集です。1915年のハンガリーから1970年のニューヨークまで、という長い時間、そして広い範囲。人々は、街角で公園で図書館で外階段の踊り場で、ひたすら読んでいます。日本で撮られた写真もあります。
読まれているものもさまざまで、小さい字がみっちり詰まったハードカバーもあれば、折りたたまれたり広げられた新聞、散らばった広告らしき紙、手紙や雑誌、聖書のように見えるものも。
当然ながらカメラに目を向けている被写体はいません。自分が撮られているなどとついぞ思っていない(そういう意味で、きょうびは発表が難しい写真かも)、真性の無防備さと無自覚さが麗しいです。
「読む人」は、そこにいるのにいません。身体は居るけれど、心や思いは読んでいるモノと共に在る。
この写真集を見ていると、人はどこにいてもいつでも、自由で揺るぎない場所に行けるのだ、誰もそれを阻止したり邪魔できないし、そのことは選ばれし者の特権などではなく、すべての人に開かれていることなのだ、と静かに、でも力強く宣言されている気がします。
さらに感じるのは、読むことそのものが「正」だったり「善」だったり万能なのではなく、読むことで世界が拡がる可能性が「誤」も「悪」も込みで無限なのだということです。だからこそ、読む人の姿は静止していても可動領域の限界がなく見え、なんだかひとりひとりが小宇宙のように思えるのかもしれません。
谷川俊太郎さんの巻頭詩もとても美しく、モノクロの写真に彩りを添えているかのようです。告白すると、私、谷川俊太郎さんの詩をいいなと思ったこと、今まであまりなかったのですが、この本で初めて心からいいなあと思いました。…あ、調子に乗ってよけいなことまで書いた気が。まあいいか。
by月亭つまみ
【木曜日のこの枠のラインナップ】
第1木曜日 まゆぽさんの【あの頃アーカイブ】
第2木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊 切実本屋】
第3木曜日 はらぷさんの【なんかすごい。】
第4、5木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 ゾロメ日記】
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
m
はじめまして。
つまみさんの記事を読んで、図書館になかったので、この写真集、注文しちゃいました。
海外在住で、諸事情により英からの取り寄せなので日本版じゃなくて、
谷川俊太郎さんの巻頭詩が読めないのが残念ですけど。
一週間くらいで届くそうで、とても楽しみです。
つまみ Post author
mさん、はじめまして。
コメント、ありがとうございます。
わー!うれしいです。
えいやっ!とおもいきって書いて、良かったです。
お手元に届いたら、よろしければ感想を聞かせていただきたいです。
谷川俊太郎さんの巻頭詩も、機会があればお読みいただきたいなあ。
m
つまみさん、こんにちは。
今日やっと届きました。
思ったよりしっかりした装丁の赤い布張りのものが届いて、
嬉しくなりました。
大きすぎないサイズ感も好ましい。
人々が読んでますね。牛も。
なんでこんな場所で?とか、
どこから撮ったんだろう?と感じさせるものが多いような。
読み始めたら止まらない、
もういいや、ここでひと段落するまで読もう、という風にさせる本もありますね。
思い返してみれば。
いつ、何の本だったか思い出せませんが、
会社の帰りに買って読み始めて、
最寄りの駅のベンチで読み終わるまで過ごしたこともあったような。
多分冬で寒かったのに。
何語で読んでるのかな、
そして何より何を読んでるのかが気になります。
撮られてるとは知らない被写体が多いのかも知れませんが、
少しでもその情報があれば!と思いました。
特に最初の男の子たちと、
最後のホスピスのベッドの上の女性が読んでるものが知りたい。
日本でも電車の中で本を読んでる人がいると、
何を読んでるのか気になってたな。
谷川さんの詩、表紙に載ってる数行だけ、スクリーン上で拡大したら読めました。
ひとつ不満は、日本語のタイトル。
読む時間。悪くないけど、もうちょっと何か思いつかなかったかなー。
英語版はon reading となってて、直訳すると、読み中、とかしたくなるんですが、
これはok、偉そうですみません。
何がいいかなー、読んでいる、とかでしょうか。
時間をひらがなにすれば、ちょっと違ったかな?読むじかん。
読む人々?うーん、読んでいる?
それはさておき、今年最初の良いお買物になりました。
つまみ Post author
mさん、コメントありがとうございます!
いただいたコメント、わたしはもちろんん、Cometさんもうれしいと思います。
そうですそうでした!
絶妙な写真ばかりですが、牛が覗き込んでいる感じ、裸足の少年たち、印象的ですよね。
そして、みんないったい何を読んでいるだろうは、想像と妄想が膨らむばかりです。
タイトルについては、特に気にならなかったのですが、確かに「時間」と「じかん」はずいぶん違って感じます。
こっそり、谷川さんの冒頭の文章をここに置きます(^-^)
こっそり。
「読むこと」
黒い文字たちが白い紙の上に整列しています
静かです
音はしません
あなたの目は文字に沿って動いていきます
あなたの指が紙をめくります
そよ風があなたの頬を撫でています
でもあなたはそれに気づきません
あなたは本を読んでいます
椅子の上のあなたのお尻がかすかに汗ばんでいます
昨日の夕方傘を忘れたあなたは仕事帰りに
駅前の本屋さんで雨宿りしました
そのときその本があなたにウインクしたのです
いや本当にそうとしか思えなかったのです
どんな本かも分からずに手にとって
カバーを見て扉を開けて著者の写真を見て
それだけでレジに行きました
自分の勘だけを信じて
今あなたはもうもしかすると
この世からふらふらと抜け出しているのかもしれない
見たことのない光景がひろがっています
会ったことのない人に会っています
経験したことのない気持ちに溺れています
聞いたこともない音が聞こえてきます
そして自分とはまったく違う考えが
いつ間にか自分の考えとハグしているのに気づきます
ふと我に返ったあなたは
もう冷めてしまったミントティに口をつけます
そして思います
いまこの瞬間この地球という星の上で
いったい何人の女や男が子どもや老人が
紙の上の文字を読んでいるのだろう
右から左へ左から右へ上から下へ(ときに斜めに)
似ても似つかないさまざまな形の文字を
窓辺で木陰で病床でカフェで図書室で
なんて不思議…あなたは思わず微笑みます
違う文字が違う言葉が違う声が違う意味でさえ
私たちの魂で同じひとつの生きる力になっていく
しばらく目を木々の緑に遊ばせて
あなたはふたたび次のページへと旅立ちます
m
つまみさん、
谷川さんの詩、ありがとうございます。
味わいました。
「モノクロの写真に彩りをそえている」、
正にそんな感じです。