◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第8回 末端構成員の遠吠え
司書を20年以上やっている。それ以外の職種(事務員)もけっこうやったが、いつのまにか司書の方が長くなった。
ひとくちに司書といっても、図書館の種類はいろいろあって
①公共図書館
②学校図書館
③大学図書館
④専門図書館
の4つに大別される。厳密にいえば、国立国会図書館も加えて5つなのだけれど、国会図書館は特殊なので、ちょっと省略。
そんな中、私がいちばん長く働いたのは①だ。ちなみに、30代の7年間、都立看護学校の司書をしていたが、専門学校図書室って②なの?④なの?一見②っぽいけど、蔵書の7割は看護関係、2割は医学周辺(医学系の心理学や教育学も含む)、1割が一般書だった。看護・医学関係の雑誌もなんだかんだで40種類ぐらい購入していたので、自分としては④だと思っている。
あ、話が逸れた。①の末端構成員として、トータルで10年ぐらい働き、現在は②の超!末端構成員である。で、ここでやっかみ…というより、いろいろな図書館を経験して感じたことの主観カードを切らせてもらう。
①を経験しないと②の見方が偏るし、②に足を突っ込まないと①がアタマでっかちになる気がする。もっと言うと、①の現場からしか気づけない行政の現状、②だからこそ思い知る教育現場の違和感もけっこうあると思う。
んなこと、いくらだってあるだろうと言われればそのとおりである。たとえば、清掃員にしか見えない病院の問題点、大工さんだけが気づくマンション業界の危うさ、派遣スタッフだからわかる○○業界の全体像…などもあるだろう。だから、いろいろな図書館や各種業界を経験しろ、と説教くさいことを言いたいわけではない。
ただ、自分が経験したり見えているものは、たとえ管理者側にいたとしても、全体のごく一部だということを自覚した方がいいんじゃないかと、自戒を含めて思うわけである。…あ、充分に説教くさいですね。
これは、やっかみというより事実なのだけど、小学校の図書室で働くようになって、①より②のランクが下という社会通念、もっと具体的にいうと、「学校司書」という言葉を「どうせ学校司書だし」という文脈で使う人、思っている人、がけっこういることを知った。
いやいやいや、それはあーた固有の被害者意識で、卑屈なだけでしょ、と言われそうだが、そうとも言えない気がするのだ。なぜなら、そう思っていなかったし今も思っていない自分が、学校司書になってそういう空気で驚くことが何度もあったからである。
長いこと、「学校司書」という名称が単なる通称で、正式名称じゃなかったこと、いまだ小中学校には、図書室は、司書教諭資格を持つ教員がひとりでもいれば、あとは保護者のボランティアと図書委員で十分じゃね?専任の司書なんて必要じゃなくね?的風潮があることが、②を蔑む(←言い過ぎか)要因になっているのかもしれない。
そういう下地のせいもあってか、正規はもとより、非常勤や嘱託の学校司書すら少ない。雇用形態の多くは、そりゃもうひどいものである。比べる必要はないが、公共図書館の方がナンボかマシだ。
教育委員会は、公共図書館在籍の司書をローテーションで学校に回したり…するのはまだいい方で、多くの自治体が、民間に業務委託をし、週に一日ないし二日程度、申し訳程度に図書室にスタッフを入れ、「これで我が(市町村ないしは区)の小中学校の司書配置はOK!」にしている。ぜんたい、それでいったい、どんな仕事ができるっていうの?んなこと、ふつうに考えれば「ムリ~」だとわかると思うんだけれど。
いや、そんな劣悪な雇用環境でも「ムリ~」などと言わず、黙々と児童生徒のために精一杯頑張る学校司書は多いのである。でも、だからこそ、逆に今の状況が改善されないところもあると思うのだ。
みんな、なんだかんだ現状に文句を言いつつも、自分の領域に限ってはひどく頑張る。頑張れば頑張るほど、自分の首を絞めることになったりもするのだが、だからといって、今この瞬間の自分の仕事の手を抜けない。納得できるところまで仕事をしないと気がすまない…当然っちゃあ当然だ。そしてその結果、雇用者側に「この雇用条件で充分」と思わせてしまう。ああ、どこもかしこも、図書館業界は負のスパイラルである。
私は、司書では一度も正規職員になったことはない。常に非正規でちまちまやってきてしまったので、ボーナスや賞与という単語を見聞きすると、条件反射のように「っけ!」と思ってしまうような人間である。
そして、いずれ遠くない日に学校司書でもなくなるだろう。残念ながら、地位も名誉もお金も残らなかった。ホント、残念!?でも、経験や記憶や思い出は残り、たぶん消えない。しかも、現在の学校司書が、司書としていちばん楽しい現場だと迷わず言える。最後に「いちばん楽しい現場」を経験できているのは、たぶんシアワセなことだ。
…自分に必死に言い聞かせてない?私。そして、明らかに負のスパイラルに加担してる気が…。人生って難しい。
by月亭つまみ
【木曜日のこの枠のラインナップ】
第1木曜日 まゆぽさんの【あの頃アーカイブ】
第2木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊★切実本屋】
第3木曜日 はらぷさんの【なんかすごい。】
第4木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 やっかみかもしれませんが】
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
きゃらめる
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私は司書資格を持ってるけど司書経験はありません。それっぽいことは唯一、子どもが小学生のころにした図書室のボランティア。
学校にはのびのび読書を楽しめる広く明るい図書室がありました。しかし実状は十進分類すら充分にし終えてない数少ない蔵書と、本を買って並べてもらうのを待ち続けるがらんとあいた立派な書架。
図書室が子どもたちで賑わうのは図書の授業時間だけ。
図書室担当は、仕事をしながら何年もかけ通信教育で司書教諭の資格を取得した二人の先生。
ボランティアは週に2~3度放課後に、交代で部屋を開け、けして多いとは言えない本好きの子どもたちを待ちました。
本を読む子、宿題をする子だけでなく、
かくれんぼや鬼ごっこを始める子もいますが、広い部屋なのであまり厳しくせず、大声を出したり走ったり暴れないでする【特別ルール】を約束させて遊ばせていました。
時折遊びに夢中で約束を破り、一時退室させる子もいるものの、戻るとルール通り遊んでました。【声を出さずにやりとりする】ことを楽しんでたのかな。
これってほんとはいけないんでしょうね。でもまずは図書室に来てもらう、馴染んでもらう、でないと始まらないと思って。そんな子達もいずれふと、目に留まる本も出るだろう、と。
ボランティアだからこそルールを逸脱できたのかもしれません。
2年後わたしは総合科目(英語活動)のボランティアに移ったため、その後の事情はわかりません。なり手が減って大変という噂だけは聞いてます。
あれから16年。
今年、市の広報で学校司書のパート募集がかかりました。
担当教諭から図書室に司書を置くから是非応募してねと聞かされてからでも14年経ってます。
やっと実現するのね、毎日開室かしら?とぼんやりその記事を眺めました。
子どもたちにとっても司書さんたちにとっても、より良い方向に向かってほしいなと思います。
つまみ Post author
きゃらめるさん、早速コメントありがとうございます。
「内容不適切なら…」ってどこが?どうして?と、仕事帰りのおやつを口にくわえたまま(←イメージ画像)返信を書かせていただいています。
その放課後の図書室は素敵なところだったと思います。
利用していた子どもたち(今は大人ですね)は図書室のことをくっきり覚えているでしょうねえ。
羨ましい記憶です。
個人的に、小学校や中学校の図書室の役割としていちばん大事なのは、いつも開いていることじゃないかと思っています。
そして、司書を置くと決めたのなら、少なくても子どもたちが学校に来る日はいるべきだと。
今、私は、いない日の方が多い司書、という存在で、それだとやっぱり信用がない気がします。
もともと、頼りがいのあるキャラでもないのに、たまにしか来ないんじゃ、期待されなくて当然です。
線として継続的な仕事をしたくても、点で寸断されがちですし。
【特別ルール】麗しい響きです!
私も、直接学校から雇用されているなら、もっと自由なことをしたい。します!
公共図書館にしろ、学校図書館にしろ、民営化や業務委託に反対するのは、それによって、顔色を伺う箇所が増えること、というのもあります。
間に仲介や商社が入るとモノの値段が上がるように、雇用も、間に業者が入ると、よけいな不純物が付着して、自分で判断して動けなかったり、気軽にものが言えなくなって、息苦しくてしょうがありません。
民間の会社は、契約を更新してもらうために、スタンドプレー的なイベントで心象をよくする、みたいなスケベ心も発動しがちですし。
話が脱線して申し訳ありませんでした。
でも、きゃらめるさんのコメントでいろいろな思いを誘発させてもらいました。
もうしばらく、出来る範囲で、ジタバタ、ドタバタ、やってみます!