【月刊★切実本屋】VOL.21 70代をナメんなよ!…のつもりだった
なるべく種々雑多な自分をやりたいものだ、と思って暮らしている。
義母のトイレで幾度も眠りを中断されたり、手首や腰をかばいながら介助をしたり、義母が通所リハから帰ってくるまでに戻らねばと大急ぎで買い物をしたりして暮らしていると、「介護をしている自分」が自分の中心人物で、ややもすると自分は丸ごとそういう人、全方位的に真面目で頑張り屋さん、などと思いそうになるが、自信を持って言う。
違う。
それは私のごくごく一部でしかない。
たとえば、デイサービスのお迎えの車を待ちながら、ふと現実から気持ちが飛んで、全てを投げ出し逃亡者として生きる妄想に駆られ「はあはあはあ」と息を荒くすることだってあるし(イメージは「あまちゃん」の八木亜希子?)、洗濯物を干しているときに不意にラジオからオフコースの「さよなら」が流れれば瞬時にありもしない悲恋の思い出に胸が締めつけられ「はあ~」とため息が出るし、パートで小学三年生に「そのえほん、むかし、よんだよ」などと言われた日には、その子と自分の「昔」の長さのあまりの差に「はあぁぁぁ!?」と言いたくなる。
「はあ」ひとつとっても、いろいろな自分がいるわけである。そして、「はあ」はたくさんあった方がおもしろいと思っている。だから、手っ取り早い「はあ」の宝庫で、各種の「はあ」を疑似体験できる読書をしない手はない。純粋な楽しみはもちろんだが、特定の自分にデカい顔をさせない、あらぬ妄想&想像力&くだらないことが好きな自分、を今後も枯渇させたくない、という意味でも大事なのだ、私には。
そんなこんなで、各種の足かせがさぞやあるだろうと推測される60代以上で、現役で、枯渇をモノともしない想像力と創造力を感じる小説家の存在は、うれしい。触発されるし、頼もしいし、勇気づけられる。勝手に「人生の先輩」と仰ぎ見てしまう。
『エリザベスの友達』と『草薙の剣』を続けて読んだ。作者の村田喜代子さん、橋本治さんは共に70代。非常に心強い人生の先輩である。
『エリザベスの友達』は一風変わった介護小説だ。物語の中心は、97歳の初音さん。初音さんは、まごうことなき認知症である。老人施設で暮らしていて、ふたりの娘が足繁く通ってくる。娘と言っても60代と病を持つ70代。そのせいもあって、綴られるトーンは、物静かで抑制が効いている。哀しみや諦めすら希薄なくらい。
娘から見ると心ここにあらずの初音さんだが、それも道理、彼女は天津にいる。
太平洋戦争前のきな臭い時代、結婚を機に天津に渡った彼女は、しばらくその日本租界で暮らした。その後、長女を出産して命からがら日本に戻ることになる彼女だが、97歳の今、初音さんは脳内でタイムスリップし、心細さや不穏な気配を感じながらも、自由に、華やかに、同性に憧れたりしながら天津で生きているのである。
もちろん、娘も施設の職員もそのことは知らない。でも、初音さんを「認知症」の鋳型に嵌めない…いや、嵌めていることにはなるのだろうが、いろいろな可能性を踏まえた鋳型の中の彼女を見て、看ている。
そのことは、現在、介護周辺にいる自分、将来、要介護になるかもしれない自分にとって、小さくない違いだと思えた。
施設での初音さんの隣室にいる牛枝さんの世界はもっと強烈だ。骨太で荒々しく、でも優しい。彼女の名前の意味、彼女の枕元で繰り広げられる魂のこもったやりとりは本当にズシンと来た。我が身を訝しく思うほど鼻の奥がつんとした。
『エリザベスの友達』は、認知症についての概念を揺さぶられる小説だ。認知機能が低下するということが、現在から自分が戻りたい過去に戻る、やり残したり、宙ぶらりんの何かをまた続ける可能性を秘めているとしたら、それは本人にとっては幸せで自由なことかもしれない。
もちろん、そんなきれいごとを!という向きもあるだろう。でも、あらためて、認知症って、老いってなんだろうと思わされる。きっとそれは、1945年生まれの村田喜代子さんの差し迫った自身への問いかけでもあるのだろう。
そして『草薙の剣』である。
年表には決して載らない日本の庶民の百年史はものすごく面白かった。とはいっても、橋本治である。一筋縄ではいかないし、あらすじでその凄さを紹介できる力量は私にはない。
とにかく、時代の空気感や時代が醸し出すにおいを感知し、いちばん翻弄されるのは市井の人々だ。でも本人たちにその自覚はさほどなく、生きることは、思考停止と紙一重の、決断や逃避や努力や漂流を、一見淡々と繰り返すことだったりする。この小説は、今までや目の前の日々に思いを馳せたり、無自覚に歩を進めたりする、そんな人々の暮らしの土台や浮遊感がありありと描かれている。
橋本さんの訃報に触れたのは、この小説を読んでいる最中だった。病気だとは漏れ聞き及んでいたが、なんだか橋本治と死ぬことが結びつかなかったし、それはこの小説を読み始めてますます顕著になっていたから、橋本治がもういないことに対して「そんなー」と、なんだか理不尽な怒りさえこみ上げてきた。
享年70歳。訃報を知るまでは、「次回の【月刊★切実本屋】のタイトルは『70代をナメんなよ!』に決定!」と思っていた。
by月亭つまみ
【木曜日のこの枠のラインナップ】
第1木曜日 まゆぽさんの【あの頃アーカイブ】
第2木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊★切実本屋】
第3木曜日 はらぷさんの【なんかすごい。】
第4木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 やっかみかもしれませんが】
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
mikity
つまみさん、「エリザベスの友達」先日読んだところです!
私は施設内での音楽会の場面がとりわけ好きです。あの高身長で大声の元大学教授のおじいさん。いいキャラクターですよね。ああいうおじいさん、いかにもいそうで、お顔つきまで目に浮かんできます。それと水彩画のような柔らかい色調の装丁も好き。
その後に読んだ、藤谷治の「燃えよ、あんず」でも最後に認知症のお父さんがでてきます。この方の振る舞いがとてもとても感動的なのです。よかったらぜひ読んで見てください。
つまみ Post author
mikityさん、こんばんはー。
おおっ!エリ友 仲間!?(^O^)
そうそう。
音楽会の場面、いいですよね。
本の感想を書いていてよく思うのは、あたりまえですけど、魅力のほんのわずかしか触れてないよなあということ。
書いたあとにしょっちゅう、あの場面も、あのシーンもあったのに、と思います。
藤谷治さん、『船に乗れ!』のあと、数冊(チーズの名前が入ったタイトル…なんだっけ?調べろよ自分)読みましたが、ご無沙汰しています。
それ、読みます!