自家発電を可能にする会話が幸せ、と実感した「在宅デトックス」
土曜日の9時にはじまった「在宅デトックス」は、予定を超えて10時半過ぎまで続きました。もっと長かったかも。ZOOM恒例、「ときどき固まる人」がいたり、「一瞬、消えてしまう人」がいたりするのもご愛敬。ミカスさんのユーモアある懐の深い進行と参加くださったおひとりおひとりの切実ながらもオープンでなごやかな姿勢に、わたしもすっかりリラックスしてしまいました。
最近、つくづく思うんですが、何かを、特に自分のことや自分の考えを話すことの楽しさや充実感って、実は、「聞き手がどのように理解するか」に委ねられているんですよね。
ほとんどの場合、人は、考えをなんとか言葉にして、さらにそれを声にかえながら、「ああ。これ、ちょっと違う」「この意味とこの意味をこの言葉にとりあえず乗せてみる」「ああ、待って、ここで迷っていることもはさんでおきたい」などと軌道修正しようとしてできなかったり、軌道修正はしたものの支離滅裂になったり、途中で勢いづいてまくしたてながら、「ああ、言いすぎてる。そろそろ黙れ、わたし!」と同時進行で反省したりしながら言葉を継いでいきます。
いつだってうまく言えたためしはない。
だから聞き手が、その全体をバシっと理解したとばかりに、もしくは理解しなくてはいけないと思うあまりに、「こうすればいいよ」と言ったり、「あなたってこういう人なんだね」と言っちゃったりすると、いや、違うんだと言いたくなる。かえってストレスがたまる。モヤモヤする。
自分で言うのもなんですが、オバフォーのカイゴ・デトックスは、「聞いているわたしたちが、あなたのことを全部理解できているとは思っていない」という前提があるので、取捨選択して捨てられたほうの言葉が何かはわからなくても「どこかにあるんだろうなあ。それって何だろうなあ」と思って接する場になっていると思います。メンバーだけでなくて参加者のみなさんもその姿勢なのがすごいんだなー。毎回、思う。
わたし自身も「自分が話しながら自然に頭が整理されたり、何かひらめいたりする」のです。聞き手が出す結論や忠告がそうさせるのでなく、むしろ、言葉少ない問いかけやうなずきや視線や笑顔によって。それが気持ちいいし、少しずつ少しずつエネルギーに変わっていくのがわかります。
土曜日の「在宅デトックス」でも、とっちらかった話をしながら、「あ。こういうことを考えていたんだなあ」と見えてくる瞬間があって気持ちよかったです。楽しい会話って、そういう自家発電を可能にしてくれるものなのかもしれません。
何が言いたいかというと「在宅デトックス」、参加の価値ありますよということ(笑)今後も続けていくつもりなので時間が空いたときにぜひ参加してみてください。明日、ミカスさんの記事でまた報告があるかも。そちらも併せてお読みくださいね。
今日は、プリ子さんの「日々是LOVE古着」が更新されています。自分に似合うものがよくわかっている洋服選び!わたしも紹介されているオンラインサイト、これからガン見します!