【月刊★切実本屋】VOL.38 コンプレックスってなに?
ずいぶん前のことだが、知人と会話していて何かの拍子に「それ、私のコンプレックスなんだよね」と言ったら、「コンプレックスなんて言葉は安易に使わない方がいい」と思いのほか強い調子で言われ、ちょっとビックリした。
そのときは確かに安易に使った。その証拠に、何についてコンプレックスと言ったのか今ではまったく覚えていない。でも、場合によっては、カジュアルに認めることで日常がラクになったり、自分を縛る心理の正体を察知し易くなることもある気がしたので、多少「賛同しかねる」的なことを返した。
すると知人の口調は「コンプレックスだと言ってしまうと縛られる。言霊って本当にあるから」と説得する感じになった。言ってることはわかるものの、やはり丸ごとは賛同はしかねた。が、よほどなにか思うところやそこに至る背景があるのかと思ったので「そうかもね」で会話を終了した。
以来、「コンプレックス」は相手や状況を見て使う言葉になり、そのうち、人との会話では意識して使わなくなった。
『コンプレックス文化論』(武田砂鉄/著)という本を読んだ。取り上げられているコンプレックスは
①天然パーマ
②下戸
③解雇
④一重
⑤親が金持ち
⑥セーラー服
⑦遅刻
⑧実家暮らし
⑨背が低い
⑩ハゲ
である。
コンプレックスってなんだっけ?とあらためて自問してしまうラインナップだ。特に、解雇、親が金持ち、そして、遅刻。…ん?遅刻!?
この本で立てられた仮説は【人が表現活動を始めるきっかけは、それしかできることがなかったとか、モテるため、ではなく、自分自身のコンプレックスに潜んでいるのではないか。ままならないモヤモヤをたどると、そこにコンプレックスがあり、コンプレックスが文化を形成してきたのではないか】だ。
そしてこの本で論議されるコンプレックスは【貧乏だとかデブだとかブスだとか、残酷に浸透し広まってしまったカテゴリではない。えっ、それくらい自分でなんとかしろよ、と牽制されがちなものだ。】なのである。
そこまでは理解できても、「遅刻」の違和感はぬぐえない。髪の毛がくるんとしていたり、酒が一滴も飲めなかったり、親が金持ちだとか実家暮らしでハングリー精神とは無縁だったり、小柄だったり頭髪が寂しい、からこそ、それをバネに表現活動をするというのは、ある意味(あくまでも「ある」意味)まっとうだと思うけれど、遅刻は今ひとつしっくりこない。「それくらい自分でなんとかしろよ、と牽制されがちなコンプレックス」とあっても、遅刻がコンプレックスだと言われたら、言われた方の多くはとまどうのではないか。そして「すんなり『そうかもね』と言えない自分は心が狭いのか」とあらぬ方向であらたなコンプレックスを生成しそうになるのではないか。
この本の各コンプレックスには、それを抱え持つ表現者のインタビューが掲載されているが、遅刻はあの人。そう、多くの人が「遅刻」といえばまず名前が浮かぶ安斎肇センセイだ。御大が登場とあらば、コンプレックスの新機軸に、さらに入れ子のように「遅刻の新機軸」を開陳してもらえるのではないかと期待してページをめくってしまうというものである。
ソラミミ安斎氏はしょっぱなに「遅刻って、言ってみれば軽犯罪だからね」とカマす。そして、ネットの検索で自分の名前を入れると、予測ワードで真っ先に「遅刻」と出ることに対して、「不名誉なことですよ」と笑い、遅刻のきっかけを聞かれると「親がとても過保護だったんですよ」と、まさかの育てられ方由来説!さらに、遅刻することの利点として「常に自分が負けた状態から入る。人と会うときはいつも下から入るから驕った人間にならなかった」と自己査定し、さらにさらに、「待ってる方もイライラするでしょうけど、遅刻する方も、今まで築き上げてきたものが、この遅刻によって崩れ去るかもしれないと想像してイライラする」と言ってのけるのだ、すべて「犯罪者の言い訳」としつつ。
この本の著者の武田さん同様、日々、ほとんど遅刻をせず、約束の時間の10分前には到着してしまうような私は脱力するしかない。腹が立ったり呆れるのではなく、脱力。そして、少しうらやましい。そこに、遅刻を補って余りある遅刻者の魅力が透けて見えそうな気がするから。「見える」じゃなく、「見えそうな気がする」だけど。
そして、コンプレックスという概念が一気に崩壊していくさまがちょっと小気味いいとすら思う。
人に「うらやましい」とか「小気味いい」と思われても、本人が「コンプレックスだ」と思えば、それはそうなのだろうが、なんだか自分的にはスッキリしない感覚」は、正直、読了後も解消されなかった。自分には新しいコンプレックスが見つけられずスミマセンみたいな、理不尽な玉砕感。
ことほどさように、コンプレックスはクセものだ。この本を読んだら、ますますそう思った。いろいろな角度から物事を考察するのはおもしろい、でもそこに結論なんてないな、が結論だ。唯一、確信を持って言えることがあるとしたらこの本の中では「天然パーマ」の章がいちばん面白かったということ。
…ここまで「遅刻」を重点的にフィーチャーしたのに、それ!?
月亭つまみ