◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第25回 明日はわからない
ブレないこと、行動や言葉に一貫性があることは、人として正しく、信用できるとされている気がします。その観点からいえば私は、人として間違っていて、信用が置けません。
気持ちや行動や言うことが日によって変わります。昨日は「仕事が休みでも、朝は早く起きて、やるべきことを先にチャッチャカ済ませれば充実した一日を送れるからそうしよう」と心に決めたはずなのに、今日はもう「朝早く起きることばっかり考えていると、夜早く寝ることばかり考えるようになって窮屈。仕事の日はどっちにしろ早く起きなきゃならないんだから、休みの日はもっとフレキシブルでいいんじゃないか」になっていました。
家事関係にしても、シーツや枕カバーを妙にマメに洗濯する時期があるかと思えば、最後に洗ったのがいつか思い出せないほど装着しっぱなしのときもあります。
料理も、特に好きではありませんが、「めんどくさい!人間用ロイヤルカナン(我が家の猫のごはん)はないものか」というやさぐれ期ばかりでもなく、「私ってけっこう才能あるかも」とひそかに自画自賛モードに浸ることだってあります。昔、夫の後輩がしょっちゅう大挙して家に来て、ごはんを食べさせていた時期だってあったわけだし…などと自分で自分に言い訳したり。
誰も何も言ってないっつうの。
どの私がデフォルト?という話です。つくづく、ポリシーや人生訓をインタビューされる立場の人間じゃなくてよかったと思います(バカ)。
こんなことを書くと、「誰だってそうなんじゃない?ブレないとか一貫性があるっていうのは、そういうことではないんじゃない?」と言われそうですが、ならば聞きたい、じゃあ、どういうことなのでしょうか、と。逆ギレしているわけじゃなく、本当にわからないから。
もっと俯瞰した、大局的な、自然や人間全般や社会や政治に対する考え方などがきちんと確立されていることを「ブレない」というのでしょうか。でも、それでも疑問。ブレないこと=信頼に値する…としたら、世の中や自分が変わっても、決めたことを頑なに変えようとしない、思考停止している人も含まれてしまうんじゃないのかな。
一度明らかにした見解でも、時には勇気を持って翻す人の方が私は信頼できます。自分の気持ちも立ち位置も、知らず知らずのうちに変わっているものだし、それが悪いことだとは思わないし、相手(自然や人間や社会や政治や事象などを含む)もずっと同じところになんていないと思うから。
カイゴ・デトックスの小冊子Zineを作って、多くの方からいろいろな感想をいただいています。同じ文脈はひとつとしてなく、どれも唯一無二です。
つい最近、友人からもらったのは「読んで、黒い感情を持つのは自分だけじゃないんだと心強く思ったが、自分のネガティブな気持ちをあまりに肯定してしまうと、結局、自分で自分の首を絞める気もして、ちょっと複雑な気分にもなった」というものでした。
これ、ものすごくわかります。やっとの思いで決めた覚悟を変えたくない、揺さぶられたくないという気持ち。
介護のキーパーソンになることで、それまでの生活を大幅に変えることになったりします。私もそうでした。わかりやすいところでいえば、遅番は無理なので、それまでの仕事を辞めました。覚悟したつもりでしたが、仕事の制限は意外とダメージがありました。
要介護者がいると、想定外の事態が高頻度で勃発することもあり、試行錯誤、紆余曲折、艱難辛苦、敵前逃亡…などなどが脳裏をよぎる日々を過ごすことにもなりました。そしてなんだかんだを経て、一度は、自分の中で波立つ気持ちを鎮めて折り合いをつけるところまでたどり着いたりしたわけです、自画自賛なども随所に挿し込ながら。
そりゃあ、「せっかくここまで来たんだから揺さぶられたくない」と自己防衛本能も発動するってもんです。わかるー。
でも、介護がひと段落した今、あのときの自分の気持ちを揺さぶるようなことを書きます。
変わらないことを善とするような、揺さぶられることを拒む介護はあやういと思います。当事者がそうしてしまったら、変わるべきところも変わらない。他の可能性や選択肢が育ちません。
介護に限らず、選択肢が増え、それぞれの(選択)肢と人が可能性を広げなければ、いつまでも、マジメな人や自分の気持ちを素早く表現できない人が割を食うばかりです。状況に応じて、深く関わったり距離を置いたり、対峙する頻度や内容を調整できる世の中が来ないと共倒れが増えるばかりだよ~。まずは自助ありき、じゃない。
揺るぎない正解など決めず、日々悩んで迷って物事を決めている人こそパイオニアだと思います。そして、誰しも自分業界のパイオニアです。人としての正しさや信用より、選択肢や可動領域を増やし拡げましょうぞ、自分のために。
うさんくさくてスミマセン。
by月亭つまみ