◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第26回 トラウマを蹴とばせ
私は結婚7年目の20代後半に妊娠して予定月まで順調だったのに生きて生まれず原因もわからず、その後は妊娠しなかった。30代はそのトラウマと妊娠を望む両極の気持ちで揺れた。事情を知ってる人から「本気で子を持ちたいなら不妊治療をすれば」と言われ「本気!?本気で言ってるのか」と絶句したっけ。 https://t.co/Nl5GVq8McI
— tsumami (@tsumami0806) October 16, 2020
私は先日、Twitterでこんなことをつぶやきました。Cometさんのツイートに触発されてうっかりつぶやいてしまった、というのが正直なところなのですが、つぶやいてみてわかったことは、この案件に対する自分の傷がとっくに癒えていたということでした。
この案件っつったって何十年前の話だよ?まだうじうじしていたら、その方がおかしいわ!というご意見もありましょうが、私はずっとバカみたいにうじうじしていました。子どもが持てなかったことにではなく、そのときに思い知った自分の弱さや小ささや限界みたいなものに。なんとなら、一生うじうじし続けるのだと思っていました。そう思いつつ、腹をくくる覚悟もできず、折に触れ、「ああ、一生こんな感じかあ。めんどくさいやっちゃなあ自分」などと脳内でつぶやいていたのです。
まさか、もう自分がとっくにうじうじしてなかったとはなあ(バカ?)。
感情や状況にひとつとして同じモノはなく、常に唯一無二なのに、既成のひとつの言葉で認識してしまったがために、十把一絡げにされ、雑に扱われるってこと、ありませんか。
私にとって「トラウマ」がその言葉です。
自分が20代の頃まで、トラウマなんて言葉は(一般的では)ありませんでした。突然出てきたそれは一見コミカル(だって、トラとウマですよ)で気安い分、怪しげに思えたので、世間に浸透するようになってからも心して使わないようにしていました。そういう言葉に限って厄介だから。
こう思ったのは、やはり私が十代の頃までは馴染みのなかった「ストレス」と同じにおいを、このトラウマに感じたからだと思います。
ストレスも1980年代の後半に爆発的に浸透しました。なぜ時期を断言できるかというと、森高千里が「ザ・ストレス」という曲を出したのがその頃だからです。マーケティングリサーチに長けた感じの当時のモリタカ(&ブレーン)のシングルのタイトルが、キャッチーな言葉じゃないわけがありません。
ストレスは瞬く間に世の中を席捲し、以来、原因が特定できないネガティブな状況はなんでもかんでも「ストレスのせい」になりました。私にはその乱暴さがちょっと不気味だった。
トラウマにもそれに近いものを感じたのです。
トラウマと聞いて醸し出されるイメージ、想像される状況は、どんなに実際は違っていても、同じ箱に収納されがちです。私はそれに違和感がありました。自分だけは違う、と思ったからではなく、同じ箱なんてどこにも存在しないと思ったから。そうは思っても、自分こそが忘れそうだから。自分はすぐに忘れることを知っていたから。
そんな風にトラウマ使用を回避していたわけですが、本当のところは、その事実こそ、傷は癒えず、うじうじしていた証拠なのだとも思います。そして、自分の傷の状態を長いこと確認も更新もせず、認識だけを存在させ放置していました、まるで包帯だけし続けているみたいに。
それを打破したのがTwitterだったのでした。
Twitterには140字というシバリがありますが、その字数ちょうどにつぶやくことが私のこのアイテムでの「趣味」です。140字で伝えきれない場合、ツリーにして繋げて続けたり、画像で文章を貼る人もいますが、字数ちょうどを趣味と公言している身にはそれは許されません(やっぱりバカ?)。
そして冒頭のつぶやきになります。
トラウマなんて言葉はもちろん使いたくはない、でもトラウマと表記しないと字数が足りない…なので、えいやっ!と書いてみたのでした。
するとどうでしょう。存外になんともなかった。平気の平太郎。
トラウマという言葉の呪縛から解放されたと同時に、自分がトラウマだと思っていた案件からも自由の身になったような気がします。おそるおそる、なんなら顔をしかめる準備をしながら包帯を外したら、傷なんてどこにもなかった、という感じでしょうか。私は長いこと、幻痛に苦しむ…いや、苦しもうとしていただけなのかもしれません。トラウマに庇護を求めていたのかも。
今回、私は「ああ、スッキリした」ということを書こうとしているのですが、上手く書けている気が全くしません。じゃあ、「ストレスとトラウマの多用は要注意だが、時々使ってみると、その空っぽさに膝かっくんしてラクになるかも」は伝わりましたか?…あ、これもムリ?
by月亭つまみ