◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第29回 そこのあなた、先回りでいい人、疲れませんか?
よいお年を、とご挨拶をした前回の「やっかみ‥」から早ひと月。新しい年に今のところ「よいお年」の兆候はなく、その理由は憎くき感染症の拡大のせいであることは99%間違いないのですが、さすがに、いいかげん疲れませんか。
私は疲れました。
このひと月で、感染は、よりいっそう身近になりました。それはもうびっくりするほど距離を縮められました(罹患はしていません)。
でも、私などよりずっと不安を覚えながら最前線で仕事をしている方は数知れません。当然ながら、すでに罹患した、現在闘病中、検査結果を待っている、家族が‥仕事が‥なという人もたくさんいる。そういう人に比べれば自分は、とも思うわけで、これはもう、思い始めたらキリがありません。
なので、おおっぴらに「疲れた!」などと言っていいものか、と思ったりするわけです。でも言う。だって、実際に疲れたんだもん。
ことほどさように、われわれはわりと頻繁に、具体的な相手を想定せずに、やみくもに忖度心(?)を発動して、自分の発言をセーブしたりします。「〇〇さんに比べれば自分はまだマシだから愚痴や弱音を言うのはやめよう」ならまだしも、「世の中には、もっと大変な人がいっぱいいるのだから、こんなことでブツブツ不満を言ってはいけない」などと、やたらザックリしたことをふつうに思います。
それが、自分をもう少し頑張らせる、もしくは立ち直らせる、モチベーションみたいなものになったとしても(私はそれを期待して「もっと大変な人」を想定しがち)ネガティブな感情を、強引に雑であいまいなところに封じ込めているわけですから、そのモチベーションとやらも穴だらけ。すぐに「ああ、やっぱりダメ」ってことになって、さっき頑張ろうと誓った、その舌の根も乾かぬうちになんだよ私は、と堪え性のない自分をますます卑下することにもなりかねない。
なあんて、理屈っぽいことをだらだら言っているのは、最近「察しがいい、理解力があるって、そんなにいいことなのかな」と思ったからです。
他者に心を添わせる、自分の経験値と照合しつつ想像力を駆使して相手の気持ちを掬い取ろうとするのは、決して悪いことではない。コミュニケーションを円滑にするためのの原理原則と言っていいかもしれません。
ただ、「わかるよわかるよ」「それは要するにこういうことだよね」と言い募るような、サービス精神過多な自分は、わかったりわかろうというより、相手を喜ばせたい(がっかりさせたくない)気持ちが先行し過ぎているきらいがあります。
もちろん、相手をがっかりさせたくない、という気持ちを間違いだと思っているわけではありません。自分も幾度、相手のそういう心理から発せられた言葉に救われたかわかりません。
紅白でsuperflyが【愛をこめて花束を】という曲を披露しました。私は初めて聴く曲でした。
その中に「私は泣くのが得意で 最初から慰めを当てにしてたわ」という歌詞があって、彼女の伸びやかな「届く歌声」だからこそ忌憚なく響く(私はMISHAよりsuperflyの声の方が自分の深部に入る気がします)フレーズにちょっとドッキリしました。
そして、そうか、共感することされることは、いろんな意味でフィフティフィフティ、ギブアンドテイクなのかもしれない、であるなら、そのやりとりを「正しいこと」「絶対善」に設定せず、急性いい人症候群、急性慰め待ち症候群のままのやりとりでも別にいいんじゃないか。発見!
こんなことを思うに至った理由、心理の経緯をカミングアウトすると、年末からこっち、末期癌のおかあさんの介護をしている友人と頻繁にメールをやりとりしていて、無力感というか、自分の言葉の「ものわかりが良すぎる」がゆえの空虚さにちょっと疲弊していました。わかっているヅラというか、なにかというと、自分の介護経験を引き合いに出すことも、なんだかなあと思ってしまっていたのです。
でも、ある日、友人だって、なにも私にだけ苦しい胸の内を綴っているわけではないという当然のことに気づきました。
だからといって、自分は「降りる」わけではないけれど、こういう場合、友人としてはどう返すべきかを過剰に気にすることはない、私だけが彼女の友人ってわけじゃない、と思うと、少しだけ気が楽になりました。
そんな、あたりまえのことにも気づかないほど、私は、先回りをしていい人をやることに躍起になっていたのかもしれません。
我に返ることができてよかった。
コロナを中心としたあれこれで、疲れた、もうやってらんない、なんでいつまでもこんなに大変なのさ、と思ってしまうことも、上記の事例とは逆のようですが実は同じで、それはもう事実そうなのだから、無理に封じ込めようとしなくていいんじゃないか、ハタから見たら、そんなに大変じゃないかも、なんて気にしなくていいよね、と思ったわけです。
なんだよ、私、コロナ疲れより、いい人疲れだったのか?
とりあえず、今のところ自分も周囲も無事です元気です。あとは、いい人症候群の残滓(?)として、友人が少しでも長く、おかあさんと穏やかな時間を過ごせることを願うばかりです。ここでも邪魔するのはコロナだ!ああ、もう!!
by月亭つまみ
Jane
つまみさん、あなたと私はパラレルワールドで生きる同一人物ではないですか。
確かにコロナ禍が広がってから、もっと不幸な人がいるのだから、もっと不幸なことが起こりえたのだから、現状に感謝しなくてはとよく聞きます(特に教会で…なんたって、いい人になるために努力するよう奨励されているのだから)。私も、いい人になりたい傾向がかなりあるので、40数万人の死者に毎日何度も思いを馳せ、「感謝」で自分をなだめようとしますが、自分の感情はそうそう長く抑えておけないのですね。(人間は、自分は時々感じることのある考える生き物であると思いがちだが、感じることは神経の自然の反応であり、感情を思考で制御できるものではないと…今日読んだ記事にあり)。
私もカミングアウトしますと、ここのところ学校父兄のボランティアグループの、新年度の責任者選出に伴う心理戦の渦中にいます。で、押し付ける人も押し付けられる人も逃げる人もみーんないい人でいたい、いい人ばかりなので、それぞれがやむにやまれぬ個々の事情を述べながらも相手の事情にも理解を示し、どういう条件なら残るのやめるのと交換条件を出され、そんなにあれならやめてくれと思いつつ、感謝と賞賛の言葉で慰留。これはチェスの選手権ですかと皮肉りたくなるような(いい人にふさわしくない言葉なので言いませんでしたが)、今この駒を動かしたら、1年後、2年後はこうなって…、と戦略的頭脳を持つ強豪と対戦し、精神消耗。と思っていましたが、実は「いい人疲れ」のほうが大きかったのかも。
それで私が選出されてしまったのですが、だてに年を取ってないので、なったからには自分のやり方でやるのでござる。
都忘れ
世界中の人が、何かしらコロナ疲れをしていると思います…が、私自身は、コロナにはあんまり興味がなく、去年の夏に死んだ犬のことばかり考えています。
でも、外弁慶なので、外に出ると「早くコロナが何とかならないかしらね~」なんて調子を合わせています。
他人の目になって私を見たら、犬のことばかり考えていられるなんて、お気楽な、お幸せな人やな~と思います。本当に。
こういう感情は、ごくごく個人的なもので、自分で昇華しくしかないんだろうな~と。それと、やっぱり人に慰めてもらうと、ありがたいと感じます。(たまにピントはずれなことがあっても)
コロナに興味はないけど、一応、感染症対策はしていますよ。(笑)
アメちゃん
私は仕事もフリーランスで、公私ともに他人と接する機会が少ないのと
自宅にテレビを置いてないためニュースやワイドショーを見ないので
このウイルス騒動に飲み込まれないですんでいます。
人と会えない(私自身は会っても構わないのに…)のには困ってますが。。
無意識でも、自分からいい人であろうとしてしまうのはいいんですけど
私が昨今の現象でイヤだなぁと不快感を感じるのは
世間から「いい人であること」を押し付けられることですね。
そういう空気感、同調圧力。
最近、JRに乗ってびっくりしたのは
医療従事者の方への感謝の言葉や
「感染対策にご協力くださってる皆様、ありがとうございます」とか
音声テープが流れるんですね。
戦時中か!?ってつい思ってしまいました(ああ、ごめんなさい・・)。
なんか、公の場でやり過ぎじゃないかなぁと感じます。
つまみ Post author
Janeさん
おおっ!
Janeさんとつまみのパラレルワールド説、それぞれの人生を生きているのに、思いもかけない瞬間瞬間に妙にシンクロして、でも本人たちは気づかず、それを俯瞰している誰かが、物語に書き起こす、みたいなの、読みたいような怖いような(^^;)
>感情を思考で制御できるものではない
そうなんですよね。
制御できる、と思う人の方が自分を追い詰めるような気もします。
ボランティア、まさにいい人疲れの温床かもしれませんが、いい人疲れ回避の突破口を見つけられる入口かも。
ムリはなさらず、自分を死守しつつ、これぞという駒で無事にチェックメイトなさることを祈ります。
つまみ Post author
都忘れさま
そうですか。
興味がないってうらやましいです。
私も言ってみたい。
犬のことを考えられる、考えてしまうときは、考えているのがいいのではないかと思います。
昇華の方法はそれぞれで、誰しも、ひとつの方法だけをチョイスしているわけでもないと思いますし。
この道、とか、このやりかた、とたとえ選んだとしても、きっといろんなことも同時にやっていて、常に人は、複合的に暮らしているんじゃないかなあと、自分を省みて思っています。
あ、ちょっとうさんくさかったっすか?(^^;)
つまみ Post author
アメちゃんさん、こんにちは。
同調圧力は、その言葉を初めて聞いたとき、目からウロコが百万枚ぐらい落ちました。
ずっとずっと、幾度も幾度も感じてきたもやもやが、名前が付けられていると知ったとたん、突如、もやが消えてありありと見えた感じで。
JRでそのような放送を!?
せめて、肉声ならまだしも(それでも引っかかりそうですが)。
感染のリスクを肌でありありと感じつつ仕事をすることの大変さ、ストレスは、本当に頭が下がりますし、それは医療従事者の方だけではもちろんないわけですが、月並みですけど、感謝するなら、その方たちの負荷を少しでも下げる方向に自分たちの行動を剥けるしかないんでしょうねえ。
ブルーインパルスのとき、ちょっとグッとくる自分もいたのですが、称賛とか感謝とか自己犠牲精神みたいなものを前面に出し、自分たちはこぞって安全なところに下がる、みたいな同調隠れ蓑、は違うなあとも思いました。
まさに、同情するなら金を出せ、かと。