【月刊★切実本屋】VOL.59 サンキュー 津村記久子
もう長いこと、津村記久子の書くものにハズレなしと思っている。
出会いは今から12~3年前に読んだ『ミュージック・ブレス・ユー!!』。常時ヘッドフォンをしている歯列矯正中の高校生の女の子が主人公の小説だが、浮足立っていない瑞々しさに、当時40代(たぶん)の私は衝撃を受けた。
それまでは、人はいくつになっても、映画や小説を通してなら、あらゆる年齢に「飛ぶ」ことが可能だと思っていた。でもこの小説を読んで、必ずしもそうではないらしいことに気づいた。
読んでいる間ずっと、自分は現在の、当時で言えば50間際の、「人生後半戦の女」のポジションにとどまったままだった。そこから物語を見ていた。でも俯瞰とは違う。目線はもっと低く、「添う感じ」とでもいうか。
『ミュージック・ブレス・ユー!!』は、わからないけれどわかる、わかるのだけれどわからない小説だった。ヒロインの年齢には飛べなかったが、それは、物語のおもしろさを少しも損なわなかった。想像力でカバーする必要すらない、新鮮な素材感に満ちていて、ああ!これこれ!と幾度も思った。「これ」の定義をうまく言うことはできない気がしたが、「これ」がかけがえのないものだということはわかった。
作者である津村記久子という人は相当な曲者だと感じた。以来、新刊を追いかける…ほどではないものの、未読の本を見つけると必ず読んでいる。
その後読んだ津村さんの小説は、生きづらさやままならなさを抱えたシングルの就労女性が描かれることが多かった。主人公は、負の状況に表立って立ち向かうことはあまりなく、さりとて世界を完全に閉ざすのでも、ことさら明るく振る舞うわけでもない。たいてい、ちょっと他者には理解されづらい、独自の規範やルーティンを自分に課すことで、ネガティブな事態を躱したり、周りの状況に左右されない軸を設けてやり過ごす。なぜかそこには、切実さだけでなくうっすらとおかしみも漂う。
その、ちまちました自作自演、唯我独尊な感じが私には心地よい。目の前の問題が解決するわけではないが、それがなんだというのだ、という気持ちになる。世界はそこだけじゃないぞ、そもそも解決することだけが正しい対処法なのか、と思えてくる。月並みな言い方だが、元気が出るのだ。
津村さんの書くものを読んで、今回はつまらなかったな、と思ったことは、記憶の限りでは一度もない。
いちばん最近読んだ『現代生活独習ノート』もおもしろかった。今回は短編集で、近未来のSFっぽいものや、ブラックな心理分析系もあって、今までと毛色が違う印象もあるが、どれもさすがだった。よくもまあ、こんなニッチなところから話を拡げられるものだな、どんな些細な糸口からでも物語を紡ぎ出せるのか、天才かよ、と思った。
全8編のなかでは、ある種のサイコパスに目をつけられた人々を描いた「牢名主」のインパクトが強いが、貧弱な食事を延々とインスタにアップし続ける『粗食インスタグラム』もよかった。心安らいだ。
そう、津村さんの小説は心安らぐのだ。そして、心安らぐための方法や言葉には、一定の方向性がないばかりか、時には通説の真逆がそうだったりすることに気づかされ、ハッとすることが多い。
そして、自分にはもう、とおりいっぺんの人生訓や、おためごかしを再包装したような言葉は要らないと強く思うことも多い。大いなる野望どころか、小さな希望も特に要らない、ただただ自分のささやかな規律を守って、それが叶った日には、規律に見合ったささやかな満足感を覚え、表面上はひっそり生きていくことに勝る心の平穏はないのではないか、それで十分だと心底思うのだ。
そんな自分にはなかなかなれないし、心底思ったはずのことを忘れて過ごす日々も実は多い。けれど、時折そう思えることが、自分にはとても大事な気がする。帰る場所はひとつじゃないと思える、とでもいうか。
だから津村記久子さん、ありがとう。
by月亭つまみ