◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第49回 なるべく小さな幸せと なるべく小さな不幸せ
会話の中で「幸せ」「不幸せ」を多用する人のことをちょっと警戒してしまう。そして、自分が通常よりそれを多く使い出したら危険信号点灯だと思っている。
とはいえ、その概念を極力回避して暮らしているわけではない。美味しいものを食べれば「幸せだなあ」と思うし、身体に不具合が生じたら、生じていなかった、たとえばギックリ腰発症直後における5分前を思い「あの頃は幸せだった」と遠い目をしたりする。幸せ、不幸せなんて、その程度のものだと思っている。「その程度」とは必ずしも、どうでもよかったり軽く見ることを意味するわけではないが、あまり囚われたくないというのが正直なところだ。
「自分は幸せ」と言い過ぎる人はその逆に見えるし、不幸せであることをちょいちょい匂わせる人は、そのとおりだろうなと思う。要するに、どちらもいいことがない気がする。言葉には言霊というものがあってだな…と浅い知識を開陳するほど言霊信仰はないのだけれど、幸せ不幸せの自覚はあんまり要らなくね?と思う。
よく思い起こすのは、ドラマ「すいか」(また出た!)の第9話。単位が欲しくて飛び降り自殺未遂をした女子大学生が、退院し、担当の崎谷教授(浅丘ルリ子)のところにやってくる。教授は彼女に、一寸先は闇、人生は先のことなんて誰にもわからない、と諭して帰す。教授と同じ下宿で暮らすヒロイン早川基子(小林聡美)は、そのあと教授に、教授はああ言っていたけれど、自分はあまり幸せそうじゃない20年先の自分が見えるんですよ、と言う。
それに対して教授はこう答える。「それは、今のあなたが考えてるだけの未来でしょう。本当は、どんな20年後が待ってるかなんて、誰もわからないんじゃない?」
でも、だいたいのことは見当がつく、と食い下がる基子。教授は、じゃあ、あなたは自分がここに住むと思ってた?友達(小泉今日子扮する馬場万里子)があんな事件(三億円横領)を起こすって想像していた?と聞く。口ごもる基子。教授は「20年先でも、今でも、同じなんじゃないかしら。自分で責任をとるような生き方をしないと、納得のいく人生なんて送れないと思うのよ」と静かに言うのだ。
このドラマを最初に見た約20年前のわたしは、最後の教授の締めの言葉はちょっと凡庸だと思った。責任をとる生き方とか、納得のいく人生なんて、安直な人生訓によく出てきそうな言葉だし、と。
でも、人は変わり、見える景色も変わる。それらが変われば、言葉は別な側面を見せてくれる。
たとえば、憂鬱な予定が控えているとする。緊張する仕事とか検査とかバンジージャンプとか。カレンダーを見てはため息をつき、どよんと暗い日を過ごす。テンパったり、不本意な状況になったり、体調が悪くなる自分を想像して、そんな予定がない人(たとえば家族)がのん気に見え心底うらやましくなる。私はつくづく不幸だ、ぐらいに思う。
なのに、前日になるとたいていは肝が据わり、ちょっと無に近い感じになる。嫌だけど、逃げたいけれど、明日の今頃には、この憂鬱さから解放された自分に戻れるのだ、上手くいかなくたって終わればオールOKじゃないか、に気持ちがシフトチェンジする感じ。
ほとんどの場合、結果は、長々とネガティブに考えていたよりは幾分かマシだったりする。直後の多幸感たるや!である。
今考えている未来なんてまず来ないわたしにとって「責任をとるような生き方」とは、気が進まない予定の前の数日間(もしくは数週間)の憂鬱さを、渋々ながらでも引き受け、最後は開き直ってやることだ。「納得のいく人生」は、そんなある種のわだち(!)を性懲りもなくリピートすることでしかない。予期せぬアクシデントも例外ではなく、基本的にはこの公式を当てはめて対応するしかないと思っている。
幸せ不幸せを多用する人は、人生を長いスパンで考えているのではないだろうか。それも大事なのかもしれないが、それだけが大事ではない。少なくても、他者に安易に自分をジャッジされるのを快く思わないという人は、自分に対してもそうなんじゃないですかね、と老婆心で言ってみる。
実はこのお題、ミカスさんとカリーナさんと話そうかってことになっていた(よね?)のだが、先に主観を書いてしまった。ごめんなさい。
by月亭つまみ
アメちゃん
つまみさん。
私はあれですね。
ふわふわっとしたスピ系や自己啓発系の方が、よく
「足元の小さな幸せを感じましょう」的なことを言ってると
「ホントは、エッセイストとかインフルエンサーで有名になるという
大きな幸せを感じたいんじゃないの?」
ってイヤらしく思ってしまいます。
「自分は幸せ」を言いすぎる人は、ホントはそう思ってない自分を
幸せだと思い込ませようとしてる風に見えますね。
私は以前、取引先がギャラ(25まんえん)未払いのまま倒産し
1円も回収できずに終わるという、まぁ一種の不幸が降ってきましたが
その話を知人にしたら
「うちは何百万円もの不払いを経験してますよー(笑)」
と言われて、上には上がいるなって
ムーディー勝山よろしく、不幸は右から左に受け流しました。
ちなみにこの会社、各所に不払いをしたまま
すぐに社名を変えてフツーに営業を再開しました。
ムカつくーと一瞬思ったけど、
もうどーでもいいやって思い出しもしません。
(久々に思い出した)
つまみ Post author
アメちゃんさん、こんにちは。
エッセイスト、インフルエンサーのくだり、小気味よくて大笑いしました。
昨日更新のPodcastでカリーナさんも、アメちゃんさんのコメントのことが印象的だったと言ってました。
そういう「ちょっとうさんくさげな気づき系」に、今回取り上げたテーマは利用されそうなこともありつつ、なかなか一筋縄ではいかないジャンル(?)だと思います。
ギャラ!
不幸を乗り切るコツは、もっと不幸な状況の人を見て「自分はまだマシかも」と思うことだったりしますよねえ。
ちなみに、夫は長く自営業でしたが、数百万円コースの経験者です。
しかも、相手先の社長は自死するという、怒りにも転嫁できない案件で、しばらくどよんとした日々を過ごしました。
もう二十年ぐらい前のことですが。
私も久々に思い出しました。