◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第69回 すべてのままならないひとへ(大きく出た)
不安や懸案のない日常を最後に生きたのはいつだろう‥と考えてみて、そんな瞬間は、物心ついたときから一瞬たりともなかったことに気づく。幼い頃から常になにかしらの懸念を抱えていた。たとえば、明日の体育が大嫌いな鉄棒だったらどうしようとか、給食は常に憂鬱な時間だけれど、その中でも今日は特に苦手な肉野菜炒めだから4時間目に地球が滅亡しないかなとか、あー肩が痛い、「サインはV」のジュン・サンダースと同じ病気かも、などなど。どれも不安で、真剣に悩んでいたのだった。
よくぞ今日まで不安につぶされずに、まっすぐ(言葉のあや。最近は身体も曲がってきた)生きてきたものだ。踏ん張った自分がエライというより、ただただラッキーだったと思うばかりだ。
仕事、家族、健康、そして恋愛や人間関係‥不安の温床やタネは無尽蔵にある。なにひとつ思い煩うことなく暮らしている人なんているわけがない。いや、わたしがいますよ、と言われたら、口では「あら、すごい!さすがですわ」と褒めたたえながらそっと後ずさりし、安心できる距離をとったらクルッときびすを返して一目散に逃げようと思う。
健康面での具体的な不安を抱えて3年ぐらい経つ。検索などをしてみるとかなり悲観的な表記もある疾病だが、今のところ咳と痰以外の症状がないのでわりと元気だと思われがちだし、症状が出ない時間は自分でもそう思ってしまう。でも、ひどいときはとてもつらい(あたりまえか)。午前中はへこたれることも多く、自分をだまくらかして(←方言?)仕事には行っているが、気休めの龍角散ダイレクトのヘビーユーザーだ。これのせいで、今度はそれでなくても高い血糖値がさらに上がらないかと心配である。
咳のせいで、月に一度の業務研修を欠席し続けている。図書室での仕事はごまかしながらなんとかできるのだが研修は厳しい。咳が出るのもキツいが、人の多い場所で咳を意識し続けるのがつらい。研修内容が頭に入ってこない。咳が出ても大丈夫ですよ、と言ってもらったりもするし、自分も他者に対してならそう言うだろうが、そこが不安や懸念の自分本位制なところだ。不安は本音と建前の本音エリアに在るのだ。
この程度のことで、とか、もっと大変な思いで頑張っている人がいるのだから、という見解は常に念頭にある。午後からはラクになることも多いので、そうなると、午前中の自分に対して午後のわたしが「根性ねーな」と思ったりする。咳がラクな時間に巡回してくる雇用先の人には「今はあんまり咳をしてませんけど、さっきまでは本当にひどくてですね‥」と元気に言い訳をする始末で、自分でもなんだかなあと思う。
「同じところにとどまってはいない不安の小宇宙」はどの人の脳内にもあるのだろう。その種類や濃さは違えど、人は、期待したり裏切られたり奮起したり絶望したり怯えたりして日々を生きているのだ。不安材料に対して、誰しもひとつの感情で生きているわけじゃないと思えることが、上手く言えないけれど、わたしのよりどころだ。
ままならない人生を長くやっていると、気に病んだり気落ちしても多少は復活することを経験で知っている。ツラくて限界だ、と思った翌日もテレビを見てへらへら笑っていたりする。みんなもわたしも、じたばたしつつ、どこか肝が据わっているのではないか。泣いて弱音を吐きながら、心を震わせたり、怒ったり夢を見たり爆笑もしているのではないか。
2018年からおもに祝日に不定期で放送されているNHKの『病院ラジオ』を見ると、毎回「輝く不安の小宇宙を持つ人もいる」と、誰かとアツく語り合いたいような感動を覚え、同時にとても静かで敬虔な気持ちにもなる。そして自分の中に脳内病院ラジオをイメージする。
自分の不安を吐露し、自分的サンドイッチマンがただただ寄り添って聴いてくれる、そして自分のリクエスト曲を自分にかける、みたいな。なんと完璧な一人芝居!でもその想像は番組で可視化できている分リアルだ。いや、もちろん可視化なんてできませんよ、できないんだけど、これから不安の数も深刻度も上がる一方であろう人生を「自分の不安の小宇宙」を転がすのは自分だ、自分の言葉だ(たまに曲だ)、と思いたいのかもしれない。
ちょっと、なに言ってるかわからない‥と自分でも思いつつ、セオリーゼロで、令和6年度前期よ、さよーなら またいつか!
by月亭つまみ
ガンビー
うんうんと頷きながら、読みました。
不安と道連れの毎日、これからも続いていくけれど、つまみさんの言葉に、そっと背中をさすってよしよししてもらったような気持ちになりました。
この先も不安は消えないだろうし、自分でなんとか折り合いをつけていくことになるけれど、励ましてもらった気持ちになりました。
ままならないのは自分だけじゃない、とわかっていながら、どこかもやっとしていたところが、すこし輪郭が見えてきた気がします。
この回、また読みにこようと思います。
つまみ Post author
ガンビーさん、コメントありがとうございます!
不安と道連れ、なにげなくお書きになったフレーズかもしれませんが、支配されるでも、こっちが封じ込めようとするのでもなく、「道連れ」というスタンス、いいですね。
なにかと、受容受容と言われたりもしますが、受け容れ難いとき、道連れなら、勝手に隣に居て併走してるけど受け容れてはいないからね!と言えそうです😅
励ます、なんておこがましいですが、ままならない同盟、今回いただいたコメントで、私も励ましていただいた気持ちになりました。
今後ともよろしくお願いいたします。