【月刊★切実本屋】VOL.86 アホケーンの威力と、せつなさと、「捧ぐ」相手の間違いと
話題の『死んだ山田と教室』(金子玲介/著)を読む。
話題の、と書いたがネタ元は一点のみ、「本の雑誌」の2024年上半期ベスト10での第1位だ。とはいえ、タイトルも、表紙も、メフィスト賞受賞であるということも、正直、当初はそそられる理由にはならなかった。でも、本の雑誌の上半期ベスト1といえば、去年はあの『水車小屋のネネ』である。お礼の意味でもスルーしたくないし(←意味不明)しかも読んだ人の感想がこぞってアツい!‥なので、中学校の図書室の選書の参考にしたいという下心も手伝って読んでみることにした。
舞台は、名門と思しき大学付属男子高校の2年E組。夏休みの最後に、クラスの人気者の山田が交通事故死したという事実を知らされたクラスメートのモノローグから話は始まる。明るくて、クラスの中心人物で、でも威圧感がなく、気配りに長けて、先生のモノマネも上手だった山田の突然の死は、その事実に混乱しているとはいえ、クラスメートの口から「クラスに山田がいないのなら死にたい」と言わしめるほどである。
そんなわけで、夏休み明けのクラスは意気消沈している。その空気をなんとかしようと担任の花浦が安易に席替えを提案するものの、反応はない。そこに入る<盛り下がりすぎだろ>というツッコミ。スピーカーから発せられるその声は山田のそれなのだった。
担任やクラスメートはもちろん、山田自身も、なぜこんなことになったのかわからない。固まる教室。山田は、身体の感覚は一切なく、<声だけの存在になったっつーか>と言うのみで、混迷は深まるばかりだ。が、山田の出した新しい席の配置案があまりに完璧なので、みんな盛り上がり、感動し、担任を含め不自然なほど自然にその不可解さを受け入れる。そして、山田と自分たちのために、この現象を2年E組だけの秘密にしようと決めるのだった。
ところで、Twitter‥あらためXで、しつこいほど「小4と中2男子アホ説」を提唱しているわたしだが、この小説を読んで、ここに高2も加えることを強く提言したい。お勉強ができそうな生徒の多い高校といえども、周期的に襲来するアホのハリケーン、人呼んでアホケーン(わたししか呼んでないが)からは逃れられないのだ。アホケーンは、偏差値などという脆弱な防壁は軽く超えてくるのである。山田と話すときのためにクラスで決めた合言葉がその象徴だ。
前半に繰り広げられる2年E組の生徒たちの会話や、新聞部の泉と倉持による「山田の死の真相究明」や、文化祭での山田を偲ぶ「山田カフェ」の会話は、ひたすらくだらない。そこに的確にツッコミを入れる山田はさすがだ。くだらない会話こそ楽しいことがひしひしと伝わる。ここまでのくだりだけでも、読んでよかったと思うほどだ。
が、もちろん、話はそれで終わらない。なんならまだ序の口だ。少しずつ、でも確実に時間は流れるが山田はなぜか成仏しない。声だけとはいえ、なぜ存在し続けるのか解明もできない。スピーカーを通した彼の声は日常になり、だからこそ違和感を口にする者も現れ、上述の山田カフェを発端に山田の過去の知られざる面が徐々に露わになったこともあり、クラスメートたちのテンションや気持ちは、表面上ですら一枚岩ではなくなる。
当然といえば当然の経緯だが、この小説の構造が特別なのは、自分も十代の頃に感じていた「今が永遠に続くという、自覚すらない錯覚」が、残酷にも山田にとっては錯覚ではない点なのだ。人は、同じ場所にいるつもりでも常に動いているものだが、山田だけは違う。死んだ山田は単なる星ではなく、教室という小宇宙の北極星になってしまったのだ。
われながら美しい喩えをしてしまったが、これってホラーだ。そして、日々は永遠に続かないからこそ輝くのだとも思い知る。山田の心中は、せつなさとか孤独では言い足りない。死んだ方がまし(死んでるが)と思ったりする。そのあたりの不安や恐怖は、クラスメートたちの「ずっと同じところにいない身体や気持ち」とどんどん乖離度が膨張していく。まるでビックバンの予兆のように(宇宙喩え第二弾!‥北極星でやめておけばいいのに)。
山田は、2年E組の生徒たちは、どうなっていくのか‥興味がある人はぜひ読んでみてほしい。山田はラジオ好きという設定のせいもあって、私はこの小説を読んで、森絵都の『カラフル』のみならず、いとうせいこうの『想像ラジオ』も思い出した。この連想はきっと月並みだが、月並みも含め、読んだひとりひとりがそれぞれの感想を持ち、それぞれの方向を見てくれるといいな…ってことで、昨日、中学校の選書リストにこの本を入れた。図書だよりで薦めるために、この本を組み込んだ特集テーマを決めなければ。今浮かんだのは【すべてのアホ男子に捧ぐ】だが、ジェンダー的にも、それ以前にも、よろしくない‥よね、やっぱり。
by月亭つまみ