わたしたちのふるまいは、「憧れたもの、なりそこねたもの」のアーカイブ。
パラダイス病院(仮名)に入院する夫の主治医は、50代半ば。いつも脚をかすかに揺らして、白衣の前は開け放ち、細身のパンツをはいてやってきます。話し方は、ちょっと投げやりでカジュアル。中学生男子が休み時間に仲間と集まってしゃべっているような雰囲気といえばいいでしょうか。どことなく「不良ドクター」風。ドクターだけど不良、50代オヤジだけど少年、真剣だけどいいかげん。
少年時代に誰かに憧れたのでしょうか?ショーケンとか?柴田恭平とか?永ちゃんとか?それともクラスのモテていた男子とか?なんにせよ、彼のイメージのなかに「ある人」もしくは「ある人たち」がいる気がするんですよね。憧れて何度も見て、やってみているうちにカラダのなかに「気どり」とセットになって入ってしまっている。ちょっと気どると自然に発動されてしまうのです。オートスイッチ。
わたしも、感激したり、感謝したりするとき、「ぶりっ子」が発動してしまいます。今さら、可愛く見られたいと思っているわけではなく、自然に発動するのです。先日の夫のカンファレンスのときがそうでした。理学療法士の先生が、「こちらの言うことは認識されていますよ」と夫の口に手をあて「わかっていたら、声をだしてください」という言葉に従うかのように、夫が声を発した瞬間!つい涙ぐんでしまって自動的にスイッチオン。
どうも「感激のあまり涙ぐむ」と「ぶりっ子」がセットになっている模様です。「ありがとうございます!よろしくお願いします!」と言ってお辞儀をする、その仕草が、もう、われながら昭和40年代レコード大賞新人賞受賞の女性アイドル風!医療スタッフは年下ばかりだからわからないのが救いですが、年甲斐なく、お恥ずかしい。できれば封印したい。
「不良ドク」やわたしとはタイプが違いますが、義母の場合は、「気取り」と「上流の奥様」がセットになっています。夫の病室に、中高時代の同級生がお見舞いに来た瞬間にオートスイッチ。口調も姿勢も表情もガラリと変わり、上流の奥様風会話を交わしていました。夫は、中高一貫の進学校出身なので、義母はちょっと誇りに思っているのでしょう。その関係者や卒業生を前にするとスイッチが入ってしまうんですね。
不思議なことに、わたしの亡くなった母にも同じようなクセがありました。母の場合は、「初対面の人」全般に「上流の奥様」が発動され、「ようございましたねえ」「そうでございますか」を気どって言うあまり、「よござんしたね」「よござんす」という、ちょっと系統の違う姐さん言葉になっているときもありました。
義母や母は、だれをモデルにして、だれをイメージして「上流の奥様」をカラダのなかに叩き込んだのでしょう。ふたりに共通するのは、現実には「上流ではない」ということ。
それでもここぞと思う場面では、やや滑稽なほど上品ぶってしまう。その原型はどこにあるのか。ふたりともテレビのない時代に育っているのですから、芸能人ではないはず。今度、義母に聞いてみようかな。「時々、ものすごく気どって上流の奥様風になっていますが、あれ、だれのマネですか?」って(笑)。
みなさんにもある場面で自動的にスイッチのはいる「なんとか風」ってありますか。他人から見るとちょっと滑稽、本人は気づいていないことの多いふるまい。わたしたちの行動は、「あこがれたもの、なりそこねたもの」のアーカイブともいえそうですね。
いやあ、もう、今年もわずかになってきました。ぐっと寒くなって年の瀬感が深まります。そんな師走もオバフォーはコツコツと更新します。忙しい合間の息抜きに遊びに来てください。カレー記念日やよもじ猫の投稿もお待ちしています。「いどばた。」でもおしゃべりしましょう。