「桜が咲くよー。もうすぐ、咲くよー」と気合を入れる。
こんにちは、カリーナです。
この土日は、ひんやりと寒かったですねえ。毎朝、散歩に行く前に天気予報で温度を確認して行くのですが、大阪も7度や8度でした。
それでも桜は、日々、花の数を増やしています。いつも驚くのは、雪やなぎ。気づくと、満開。気づくと、たわわ。
わたしの前をスタコラサッサと行くスーに「桜が咲くよー。もうすぐ、咲くよー。一緒に見ようねー」と話しかけながら歩きます。もちろん、スーはそんなこと知ったことじゃない。名前を呼ばれたと思って、ちらっと振り返って、また、前を見てスタコラサッサです。

それでも、春のチカラは偉大ですからね。聞く耳をもたない犬にさえ、しっかりと言葉にして伝えておかないと、独り言のかたちでも自分の心に言い聞かせておかないと、花の季節の美しさを見逃がしてしまいそうな、胸いっぱいに吸い込むようには味わえないような、ちょっとバチがあたるような気がしてしまいます。
よく見ると、桜が終わるころを目当てに、つつじのつぼみも膨らんでいます。ちょうどゴールデンウィークあたりに鮮やかに咲くんだなあ。つつじって花が開いているとき以外は、特に手入れもされず、振り返られることもなく、じっと静かにしていて、時期が来ると真面目に咲き誇りますねえ。わりと目立つ強いピンクと白の組み合わせなんかで、くっきりと自己主張して。このコントラスト、さすがだなあ。
さくらについての詩があったなあ。茨木のり子だったっけな、と思ったら、やっぱりそうでした。
ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚もまぎれこみ重なりあい霞だつせいでしょう
あでやかとも妖しとも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を
ふららと歩けば
一瞬、名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生はいとしき蜃気楼と
茨木のり子66歳のときの詩集におさめられた「さくら」という一編。
夫の三浦さんが亡くなった17年後に書かれたものでした。
そうか、60代の詩だったか!そう思うと、一層、胸に沁みる。冒頭の二行!
さあ、今日も明日もスーと散歩しましょう。
「見逃さないぞ」と思ったからといって、何がどう変わるというものでもないのですが、せいぜい、スーに話しかけて歩きたいと思います。
オバフォーは今週もコツコツと更新します。時間のあるときに遊びに来てください。待ってまーす。