帰って来たゾロメ女の逆襲⑬ ~姉妹についてぼんやり考えたら、アノコトと身近な数字と「自分は特別派」への文句になった、の巻
私には兄しかいないので、子どもの頃はおんなきょうだい(この言い方でいいのでしょうか)に激しくあこがれました。
妹は総じて生意気そうなので(偏見)、できれば、ふだんはおっとりしているのにいざというときは頼りになって、勉強もできて、かといってマジメ過ぎずに話が面白く、品良くオシャレでケチじゃなくて、友達がうらやましがるようなキレイなおねえちゃんが欲しい~!と、日々妄想を膨らませていたのでした。
血のつながりとか遺伝子という認識がまだ自分の中に存在していない、本当にシアワセな時代のことでした。
月日は流れ大人になって、身近で、一緒に買い物や旅行に行ったり、洋服を貸し借りし合ったり、仕事や恋愛問題を忌憚なく相談している姉妹を見るにつけ「姉が第一希望だけど妹も可」(ナニサマ?)と思うようになり、大人の時間も倦きるほどになると、今度はまた違う意味で姉妹がいる人がうらやましいと思うようになりました。
それは親の介護のとき。
母親の闘病生活に付き添ったときつくづく「姉か妹がいれば、物理的にも精神的にもキツいこの状況を分かち合えたのに」と思ったのでした。
それは、のちに水村美苗さんの『母の遺産 新聞小説』という小説を読んだときにも蘇り、母娘、姉妹の確執に鉛を呑み込んだような心持ちになる一方で、「やっぱり姉妹がいると介護の負担が分担されていいよな」と思う自分がいました。
姉妹がいるからといって、そう単純に「分担」できると思ってるわけでも、そもそも、介護は娘(女)だけの役割などと思っているわけでも、全然ないのですけれど、それでも私には姉妹の存在自体がなんだかとてもうらやましかったのでした。
ところで、姉妹について考えていて思ったのですが、姉妹をモチーフにした小説やドラマって、『若草物語』をはじめ、『細雪』や『阿修羅のごとく』、『華和家の四姉妹』など、やけに4姉妹の話が多くないですか。
3姉妹じゃダメなんですかね。
3姉妹と聞いて私がすぐに浮かぶのは『やっぱり猫が好き』の恩田3姉妹くらいです。
なんで4人なんでしょう。
特殊物件ゆえに物語性が高いってことでしょうか。
それとも、4人いれば女性のパターンをくまなく網羅できるとの判断?
「4パターンなんかで女は括れるもんか!」とお叱りを受けそうですが、同じく介護を扱い、『母の遺産 新聞小説』とは双璧をなす傑作(だと私は思っている)平安寿子さんの『神様のすること』の中にこんな一節がありましたのですよ。
<人をたった四種類の血液型で判別するのはおかしいと言う人もいるが、わたしは血液型判断をかなり信用している。人間には多様性なんて、ない。せいぜい四種類くらいのものだ。下手な小説はキャラクターが「類型的」だとよく批判されるが、生身の人間って、それぞれが自分で思っているよりずっと類型的だと、わたしは思うのよね。>
これ、ちょっと衝撃でした。
同時にスカッともしました。
よくぞ言ってくれた、と。
多様性があってこそ人間、人を型にはめるな、が現代社会のいわば「正論」でしょう。
「もともと特別なオンリーワン♪」みたいな。
でも実際、「全員が特別」という一人一派閥(ひとりいちはばつ)論まできちんと掘り下げるならまだしも、この「正論」を楯にして、更にその上に正論を重ねて押してくるような人って、「自分(だけ)は特別」という自尊心がインフレを起こしてるっていうか、自意識肥大症を患っている人も多い、気がします。
たま~に存在する、根っから個性的な特別な人って、自分を特別だとは思ってませんしね。
姉妹の話はどうした自分!
コホン。
この際、人間・・いっそ万物はすべて、血液型や東西南北や加減乗除と同じで4つに分類される!ということでどうでしょう。
どうでしょう、と言われても・・ですよね。
でもこれで、4姉妹モノ多発の謎も解け、四季や四つ葉のクローバー、四天王、四肢、四苦八苦・・の数の意味も腑に落ちる・・わけないか!
by月亭つまみ
こんなブログをしています。正体不明な女二人のブログ。 お昼休みなぞにのぞいてみてください♪→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」