帰って来たゾロメ女の逆襲⑯ ~80%ぐらいの共感について、の巻~
週刊文春、週刊新潮、週刊朝日、サンデー毎日などの週刊誌に掲載されているコラムというかエッセイって、長期連載が多いと思いませんか?
林真理子さんや東海林さだおさん、椎名誠さんあたりは、たぶん昭和から続いていて、勝手に、これからも雑誌の顔として未来永劫的に続くもの・・と思っていたので、今年の3月、椎名誠さんの週刊文春エッセイ「風まかせ赤マント」が終了したときは驚きました。
どんなことにも終わりがあるのですねえ(しみじみ)。
そんな週刊誌長期連載エッセイ群の中で、私が唯一(書籍化されたものを)ずっと追いかけ、読み続けているのは中野翠さんの「満月雑記帳」(サンデー毎日連載)です。
何度かタイトルは変わっているものの、これも昭和から続いている長期連載です。
そしてこの連載は、年末になると1年分がまとまって単行本として発売されるというのがスタート当初からのほぼお約束になっています。
きりりとしたムダのない文章、鋭い観察力にクールでアツい物言い、なにより、世相や社会におもねることのない姿勢・・これが連載開始時から一貫して変わらないのが素晴らしい。
読んでいて衿を正す気持ちになります。
でも、だからといって私は、中野さんが書くことに対して、なんでもかんでも「そのとおり!」「中野翠さんが言うことに間違いはない!」とやみくもに共感するわけではありません。
共感することはとても多く、だからこそずっと読み続けているのですが、2割ぐらいは「そうかなあ」とか「この部分は同感だけれど、ここはちょっと違う」的な感想を持ちます。
どうやら、私は中野さんの書くもの、80%ぐらいに共感するようなのです。
そして、それがむしろ百%より心地よいのです。
身内にしろ友人知人にしろ、たとえ好きな人でも、好きじゃなかったり共感できないところはあります。
青臭さを承知で言うと、共感できない部分があっても好きだという気持ち自体が変わらない人が本当に好きな人のような気がします、男女間に限らず。
見ている方向も場所も範囲も、自分と自分以外が丸ごとカブらないのは当然。
違うからこそ、自分のモノの見方や居場所に気づくということが多々あります。
誰かの意見や見解に全面的に乗っかって丸ごと共感するということは、「信頼」というとよさげに聞こえますが、「依存」や「思考停止」との境界線があいまいになってしまう気がして、私にはちょっと怖いのです。
信頼できる人の見解だからこそ、自分なりに取捨選択しても芯は損なわれないんじゃないかなあと思うわけです。
中野翠さんの文章を読むと、よくそういうことを考えます。
80%ぐらいの共感のなせる技です!?
そして、中野さんの得意分野である、落語をはじめとした伝統芸能や古き良き日本のことや新旧取り混ぜた映画の話などを読むと、すぐに自分はそれらに飛びつかないかもしれないけれど、自分の間口が広がったような、いざとなったら取り出せるストックができたような、そんな心持ちになります。
今年ももうすぐ年末。
中野翠さんの単行本発売の季節が近づいてきました。
ここ3年は『ごきげんタコ手帖』(2010)⇒『金魚のひらひら』(2011)⇒『みずいろメガネ』(2012)、と来ましたが、今年発売の題名はなんでしょうか。
タイトルのセンスが好き。
そして装丁も大好きです。
このシリーズが今後も長く続きますように。
by月亭つまみ
こんなブログもやってます。ユルい気分のときにご覧下さい♪→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」