ゾロメ日記⑱ 人生は亜流だ
◆8月某日 『言葉尻とらえ隊』の亜流
能町みね子著『言葉尻とらえ隊』を読む。週刊文春の連載コラムの書籍化。
以前から気になっていた能町さんだが、著作を読むのは初めてだ。
「以前から」と今あいまいに書いたけれど、最初にその名を認識したのははっきりしている。大野更紗さんの『困ってるひと』。こういう絵を描くのはどんな人だろうと思った。
このコラムは1編700字とのこと。これ以下の文字数ではテーマを回収しきれず説得力に欠けそうだし、長いと論点がぼやける気がするので絶妙な長さ・・と思わせるのはスゴい証拠だ。本当はいちばん難しい文字数だと思うから。
この本の中で彼女は、十年一日のごとく「ナンシー関だったらどう論じただろう」「ナンシーが生きていたら今のテレビも違ったはず」と口にするナンシー神格化集団に物申しているが、耳が痛いと同時に溜飲が下がる。「週刊誌の連載コラム」という、いわばナンシーのホームグラウンドだった場所で、同じく「辛口コラム」の書き手と括られがちでもある能町さんが書いているということがかっこいい。リスクをきちんと背負っているから。
この本を読んだせいか、つい私も、Twitterで「子を持つ親として(or○○を愛する者として)許せない」という表現にこそこそ物申してしまった。とんだ亜流。でもこういうことを言う人って偏狭な差別意識を内在していると思うんだよなあ。
内在していてもそれを自覚しているならまだ少しはいいんだけれど、「自分は正しいことを言ってる」と信じて疑わないっぽいのは怖い。子どもの有無(or既婚未婚 or○○愛好家かそうでないか orトラウマを含めた経験値)とかでその人の思考まで限定して、想像力を斟酌せずにグループ分けしてない?それってマウンティングじゃね?・・なあんて、私、リスクを背負って言ってるだろうか。(ここまで、ほぼ700字・・笑)
◆8月某日 『ひんやりと、甘味』の亜流
『ひんやりと、甘味』を読む。
おいしい文藝シリーズ第6弾。食にまつわるエッセイのアンソロジー。この本では夏の甘味についての41編が収録されている。
グッドタイミングで読んだ。盛夏というのもあるが、ちょっと夏バテ気味で食欲が失せかけていたのだが、これを読んだら無性にアイスクリームが食べたくなり、それが食欲回復の呼び水になった。ありがたや、夏の甘味。
高校の3年間、離婚して出戻った母と居候していた福島県喜多方市の祖母の家は商店だった。1970年代の「ビフォーコンビニ」の時代に学校の近隣によくあった、生鮮食料品以外の食品(お菓子、飲み物、パン、カップ麺などなど)が売っていて、ちょっとしたイートインコーナーも設けられている店。最大のお得意さんは部活の生徒、みたいな。
山間部過ぎて家から通い切れない女子高生を置く下宿屋もやっていたこともあって、切り盛りしていた祖母はなにかと厳しく、孫とはいえ店の商品に勝手に手を出すことは御法度だった(あたりまえか)。でもなぜか、夏だけは風呂上がりに50円のアイスを食べることが許された。
夕食後、後片付けをして順番にお風呂に入った後(間をあけると祖母に怒られた)、下宿生たちと店に下り、半分だけ電気をつけて、営業中にはさほど気にならないモーター音がやけに大きく感じるアイスケースの中に順番に頭を突っ込んで「今日のひとしな」を選ぶのは楽しかった。
とはいえ、私は毎回、アイスの中にイチゴジャムが仕込んであって外側がチョココーティングされている棒アイス(検索したところ、年代は合わないけれど「ジャムンチョ」というのが近い)だったけれど。
戦利品は、部屋に持ち帰らず、食堂でおしゃべりしながら食べるのが常だった。その時間はたかだか10分程度だったが、夕食時よりコアな会話をした気がする。仕事帰りに居酒屋で軽く一杯ひっかけるサラリーマンのごとく、一日が終わってくつろいだ気分になっていたのかもしれない。
下宿生たちと私は、高校や学年が違ったりもしたが、違う学校や年齢だからこそ私は、「うちは母親にお金がないから、大学に行かせてって言えないんだよね。働きながら行こうかな」などと忌憚なく口にできたのかもしれない。そしてそれは、そもそもはアイスを食べながらなんとなく口にしたことだったものの、当初の思いつきからどんどん具体的な話になって実現することとなったりした。
進路の悩みもコイバナも、みんな同等に真剣に聞いてくれているテイだったが、言い終わるか終わらないうちに、「つまみちゃん、口の周りにチョコが付いてるよ」と指摘されたりした。
あの、ジャムンチョ(のようなもの)、おいしかったなあ。そして、下宿していたみんな、元気かなあ。
by月亭つまみ
このところ、わりと頻繁に更新している友人との掛け合いブログです。♪→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
中島
中学生の頃、ジャムンチョが大好きでしょっちゅう食べてました!
年表と年代が合わないけど、確かにジャムンチョって商品名でしたよー
カフェッチョはなかったけどナッチョコも売ってました。
また、食べたいな。
復活して欲しいです。
カミュエラ
最近になって「ヨルタモリ」を知り、そこで能町みね子さんの存在も初めて知りました。
若いのになんだか色々なことから解放されてる印象が強く、羨ましいような方だなと思っていましたが、多才な方なんですね。著作、ぜひ読んでみたいです。
つまみさんのお祖母さんのお店の話を読み、私の実家も同じような商売をしていたこともあって昔を懐かしく思い出しました。夜な夜な店の電気を一ヶ所だけをつけてアイスクリームを物色したものです。(笑)
どういうわけか、店のものを勝手に食べても何も言わないうちだったのです。(だめですよね・・・・)
幼い頃、グリコのおまけだけが欲しくて店に並べてあるキャラメルの箱を全部開けたことがあり、さすがにそのときはすごく叱られましたが・・・・・とんでもない子供でした。(笑)
アメちゃん
ああ、耳が痛いです。
能町みね子さんのコラムは読んだことないですが
私もナンシー関さんとか中野翠さんとか、東海林さだおさんとか
クオリティーが高く、自分の好みの作家を基準に考えてしまいます。。。
ほかには
「筑紫哲也さんが生きていたら、どう思うカナ、、」とか。
私は、独身&子ナシなので、いろいろな風当たりを受けますが
それは(それを言っている)あなたの視野と想像力が狭くないかい??
と思うことありますね。
世界は、宇宙は広いぞーーと言いたいというか^^。
まあ、そもそも「・・・許せない」というのは
エゴの押しつけみたいで、私はニガテなフレーズですね〜。
つまみ Post author
中島さ~ん、コメントありがとうございます。
1980年代以前もジャムンチョでよかですか(*゚∀゚*)
ナッチョコも知ってます知ってます。
私もまた食べたい。
関係ないですけど、野沢那智と白石冬美が昔やってた深夜ラジオ、
ナッチャコ・パックでしたよね。
ホント、関係なかった(^^;)
つまみ Post author
カミュエラさん、こんばんは。
コメントありがとうございます!
ヨルタモリの能町さんもいい味出してますよねー。
そうですか、カミュエラさんのご実家もお店を。
閉店後、数ある店の電気のスイッチの中から、ピンポイントの一箇所を点けるって
おおげさですけど、そういうお店の人間にだけ許された
特別なことだった気がします。
閉店後のアイスって、営業中よりよく冷えていて固くて歯ごたえがあるのですよねえ。
キャラメルの箱を全部開けるとは、恐れ知らず!?(^O^)
つまみ Post author
アメちゃんさん、こんばんは。
いつもコメントありがとうございます!
自分の好みの作家をつい基準に考えてしまいますよね。
能町さんは、ナンシーの威を借る彼らは、自分の分析力のなさを棚に上げ、気に入らないことがあると
「自分達の考えに当然ナンシーは賛同し、見事に文章にしてくれるだろう」で正当化し、批評はそれで終了してしまう、と。
そんな茶番はやめて、自力でなにか言ってみろ、と言っています。
私も耳が激痛です。
固定観念にとらわれ、勝手に括って、視野と想像力を狭めてしまうと、そこはある意味ラクな世界なんですよね。
でも、その世界には「なんでもあり」という生きてる醍醐味のひとつはなく、浅くて薄い。
自分で考えた結果が浅いのならしょうがないけれど、考えることを放棄しての浅さはいかがなもんか
・・と言うは易しですが、難しいです。
人間にエゴはつきものですけれど、エゴの押しつけはイヤですよねえ。
自分にできる対策といったら、せめて常套句や定型句を使うときは、一度立ち止まって考えよう
でしょうか。