ゾロメ日記㊱ 人生はKKがらみだ
◆2月5日 K.Kさんから銀座百点
ゾロメ仲間の友人K.Kさんから『銀座百点』が届く。浅生ハルミンさんと嵐山光三郎さんの対談が載っているから、と。
創刊60年越えの風格ある雑誌である。括りとしては、タウン誌、フリーペーパーなのだろうが、体裁の醸し出すものといい、方針的なものの揺るぎなさといい、執筆陣や広告の豪華さといい、さすがバックボーンが「THE GINZA!」であることよ。
ハタチの頃、タウン誌を研究するサークルに入っていた。本拠地は神田の喫茶店で、当時、40代ぐらいだったそのお店の経営者のNさんという女性が会を束ねていた。ある日、Nさんから、遠方に出張をしなければならないのだが、夫もその日は泊まりなので小学生の娘を一晩見てくれないか、と頼まれた。
Nさんはちょっと山村美紗似で、かっこうはヒッピーっぽかった。お店も年季が入っていてお世辞にもキレイとは言えず、プライベートもアンダーグラウンドな感じかと思っていた。が、水道橋の自宅は豪華なマンションだった。あとで他の人から聞いたのだが、ご主人はいわゆる高級官僚とのことだった。人にはいろんな顔があるなあと思った。
そんなわけで、当時は『銀座百点』もよく見ていた。向田邦子さんの連載は終わっていたような気がするが、「この雑誌は別格」と思いつつめくっていたものだ。あれから30数年、私にとってはまるで昨日の続きのような「銀座百点」だが、当然そんなことはない。最新号の中に全ての時間が内包されつつ平常心。すごいことだ。
◆2月6日 気になる存在のK.Kさん
お正月に放送されて録画した「小泉今日子50歳 ニューヨーク」を見る。
このK.Kさんを見ていると、自分が好ましく思われたい人の眼こそが人を成長させる気がしてならない。あけっぴろげだったり、「素の自分です加工してません」を前面に出して気がついたら今のポジションにいた、のではなく、その都度、自分が好きな人、がっかりして欲しくない人や層、の期待を敏感に察知していて今のK.Kさんになった、と思ってしまう。なぜか。
取捨選択のさじ加減が絶妙で、やり過ぎず、素の混在のしかたもイヤミがない。そこが気に入らない人もいるかもしれない。私も百回に一回は気に入らないが、気になる存在であることはまちがいない。それにしても、大江千里、オッサンになったなあ。上條恒彦かと思った。ちゃんとトシをとるのはいいことだ、と私は思う。
50代になるとき、私は特に感慨はなかったが、50代後半戦突入にあたっては指針を決めようと思い立った。そして先日、cometさんが以前【いろんな言葉】で取り上げた「根拠のない自信を持て。それを裏付ける努力をせよ。」に決定したところだった。
なんだかこの番組がそれにシンクロした気がした。このタイミングで見てよかった。
◆2月7日 K.K選手にまつわる、いわゆるKKドラフト事件
清原選手というと、私はどうしても30年前のあのドラフトを思い出してしまう。衝撃だった。大人って汚いと思った。自分を含めて「汚れているもんだ」とは思っていたけれど、こんなにおおっぴらに汚くていいのか、と義憤に駆られさえした。アンチ巨人になったのはあれからだ。
でも、あのドラフトと今回のことを安易に結びつけることにはあまり意味を感じない。同時に、「どんなに辛いことがあっても、その後ちゃんとやってる人がいるのだから」的な見解もなにか大事なところがまとっぱずれなのような気がする。
遠い人のことなのに、どう思っていいかわからないことに混乱する。病気として治療するより他ない、でお茶を濁すだけだ。
◆最近読んだ本
『永い言い訳』 西川美和/著
ジャンル分けすれば「ダメ男小説」かも。
主人公の衣笠幸夫(キヌガササチオ)は、理解ある美容師の妻夏子の後ろ盾を得て、出版社を辞め小説家になる。しかし、作家「津村啓」として名を成すことと反比例するように、夏子との関係は冷えていき、お互いに修復の努力も放棄するようになる。そして、夏子がバス事故で突然亡くなる。
幸夫は、悲しみや喪失感とは少し違う戸惑いで混乱するが、同じ事故で亡くなった夏子の友達である大宮ゆきの夫陽一、そしてその子どもたちである真平、灯の3人と知り合い、自分でも予想だにしなかった生活を送ることになる・・。
終盤で幸夫が亡き妻に向かって語りかける「愛するべき日々に愛することを怠ったことの、代償は小さくはない。」や「俺たちはふたりとも、生きている時間というものを舐めてたね」はこの物語の明確なキーワードだと思うが、今ここに記すととおりいっぺんで陳腐だ。
でも、生きることに本質があるとしたら、それは気の利いた言葉になどならない、ありふれた、俗っぽいことのような気がする。だからこそ、人はついそれを軽視し、失って初めて取り返しのつかなさに身悶えするほど後悔するのではないか。時に、怒りという形にもなって。
とはいっても、この小説は、そんな後悔や怒りばかりを描いているわけではない。他者とのかかわりは、人を傷つけたり疲弊させたりもするが、癒し再生させもする。そしてそれは時に、傷や悔い以上に人を翻弄する。
要するに、生きるって、どの道を進んでもキツくてせつないのだ。それに関しては腹を括るしかないのだ、きっと。みなさん、一緒に頑張りませう。
by月亭つまみ
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
★毎月第三木曜日は、はらぷさんの「なんかすごい。」です。
Comet
つまみさん
「いろんな言葉」とりあげてくれて、嬉しい〜!
自分で書いたのに改めて読むといい言葉だね^ ^;
いまの自分に自信がもてないのは
それを裏付ける努力したとは言いきれないからだな。
絶妙のタイミングで思い出させてくれてありがとう(^ ^)
つまみ Post author
Cometさ~ん!
ここ数年、自己評価を下げることで逃げてラクをしようとしてきたなあと思うことが多くて、この言葉を紹介してもらったときにとてもガツンときました。
でもどうしても、時間が経つにつれその気持ちが薄まってしまうのですよねえ。
なので、いっそのこと、五ヶ年計画の旗印(?)にしようかと思いましたのですよ。
Cometさんは、こちらから見ると、裏付ける努力の連続の2年間だったと思いますが、ここに来ての集大成のハードルは、いくら努力してもし足りない心持ちなる高さなのだろうなあ。
努力したとは言い切れないという謙虚な精進が、良い結果をもたらすと信じて、祈っております!!
体調に気をつけてガンバレ。