ゾロメ日記㊾ 来襲と せつなさと 自己分析と~♪劇場
【主な登場人&物】
★Comet(コメット)さん・・・私には大場久美子より九重佑三子でおなじみの、宇宙のどっかからやってきたバトンを使う魔法使いのお手伝いさん…じゃない方。
★夫・・・尊敬する人物は野球漫画『キャプテン』の谷口君(推測)。
★つまみ・・日々いろいろあるが、6月だけでも、新宿のテルマー湯に行ったり、髪をベリーショートにしたり、用事のついでに岩本町のアカシヤでほっこりしたり、友人からお花とスイーツと選りすぐりの各種乾物をもらったり、気分転換&癒され業も営業中。
◆6月某日 来襲という僥倖
現在、私の居住区の近隣区で研修をしているという話は聞いていた。ほんの数日前、「時間があったらお家に遊びに行ってもいい?」とも言っていた。住所も聞かれた。だが、そうは言っても、定時で帰れる仕事ではないようだし、本人の家は東京の反対側だし、新入社員は日々疲れているに決まっているし、すぐには来ないだろうとタカをくくっていた。が、すぐ来た。Cometさんが。仕事の帰りに。わが家に。
夜7時半頃、ピンポーンと鳴る。「来ちゃった~」の声と共に、颯爽かつ飄々と本人登場!日に焼けてちょっと精悍な雰囲気。迎えるこっちは、スッピンで髪ボサボサで、颯爽とは真逆なビジュアル。もともと落ち着きがないので、うろうろするばかりでウェルカムな雰囲気を醸し出せない。
でも部屋に上がってもらってからは、しゃべりっぱなしの楽しい時間を過ごした。せっかく来てくれたのに、時間が限られているのに、興奮し過ぎて、自分の勤務先のディープな一家の話なんぞを長々としてしまい、もったいなかったけれど。
ナマCometさんにお目もじするのは約2年ぶり。記念に(?)懐かしのパフパフ式の血圧計で血圧を測ってもらった(自慢)。いつもより少し高めだったのは、やっぱりエキサイトしていたからだろう。居心地のいい部屋だね、と誉めてもらって舞い上がっていたからかも。
仕事帰りで汚れた顔のままの夫が、玄関先の二人の迫力に気圧されたように、挨拶のみでお勝手に避難(?)していたのだが、その後、コーヒーを煎れて再登場。が、やはり気圧されたようにすぐ退散。夫は、私の友人とは初対面でも比較的よく話す人なのだが。次回は交ぜてやるか。
◆6月某日 せつなさMAX
義父母エリアのトイレが詰まった。パート出勤の日と重なって、仕事先の夫、留守番の義姉共々、周章狼狽、右往左往の一日を過ごす。
そんなこんなで、身内では誰ひとり今日がわたしの誕生日だということを覚えていなかった。例年なら全く気にならないのだが、今回はあまりにとっちらかった一日だったので、トイレがようやっと復旧したら力が抜けて、思わず「今日、誕生日なんだよなあ」とつぶやいてしまう。
夕食後、義母から「誕生日なのになにもできなくてごめんね」という言葉と一緒に、ティッシュにくるんだ1万円札を渡される。ものすごくせつなくなった。うれしいのと物悲しいのと少しの情けなさが混在したせつなさって、せつなさ界のチャンプじゃなかろうか。
寝際に、今日友人知人からもらった携帯メールを読み返す。誕生日を忘れずにメールをくれたという事実はもちろんうれしいが、頻繁に連絡を取り合わなくても、取り合わないからこそ、みんなそれぞれの日々を、一生懸命だったり、テキトーだったり、かっこよかったり、みっともなかったり、正しかったり、たまには小狡かったりして生きているのだろうなあと想像が膨らんで、なんだかそれが、いとおしいような心強いような気持ちになる。篠原涼子のヒット曲みたいだけど、そういう感情は安眠の友だ。
■最近読んだ本
『くよくよマネジメント』 津村記久子/著
今、好きな作家ベスト5には入るであろう著者のエッセイ。エッセイというより自己啓発本っぽい感じがして少し警戒したが、あの津村記久子さんが内容の薄い自己啓発の書を書くわけがないし、考えてみると、私にとって彼女の小説は、ある意味、すごーく面白い自己啓発本を読んでいる感覚に近いかもしれないのであった。
やっぱりよかった。さばさば(=非くよくよ)人間が若干ステレオタイプに描かれている気はしたが、こんなに「自分」について語っているのに、暑苦しさ、うっとうしさ、がないのは、ささいなことから全て「自分」の思考と言葉で分析、検証しているからだと思う。
たとえ、出た結果や対処法は世間一般に近しいものであれ、必ず自分のフィルターを介し、徹頭徹尾、自らの言葉で書かれたモノには説得力がある。特に「明日の自分を接待する」「衝動と願望の区別」などの章は目ウロコだった。
日にちを置いて、もう一回読もうっと。
by月亭つまみ
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
きゃらめる
【くよくよマネジメント】を新聞広告で見てめちゃ気になっている、年中くよくよさんです。
あずみ
ティッシュに包んだ一万円のところで、台北駅のホームにいるにもかかわらず切なさマックスになり候。
つまみ Post author
きゃらめるさん、こんばんは。
『くよくよマネジメント』、序盤はわりと月並みな感じ(ナニサマ!?)ですが、どんどん津村さんの本領発揮です。
私もくよくよします。が、途中から何にくよくよしているのか忘れてしまいます。
VIVA!加齢!!と思います。
つまみ Post author
あずみさん、コメントありがとうございます。
今回の記事に登場したドラマ「すいか」にも、ティッシュに包んだ一万円が出てくるシーンがあります。
あれはもう、形状を見ただけで、せつなくなるものなのかもしれません。
せつなさの象徴としての「ティッシュ包み一万円」みたいな。
自分の駄文が日本列島を南下して、ひょいっと台北駅のホームに落ちた、みたいなイメージ映像が浮かびました。
なんか楽しいです。
はしーば
私も「ティッシュに一万円」のところでぐっと来てしまいました。
こう、「お金は裸で渡すもんじゃない」という日本人の慎み深さと言いましょうか。
大正生まれのうちのばぁちゃんも、孫に小遣い渡す時はティッシュに包んでくれてました。
そういう思い出を持っているから、郷愁感に襲われるのかしらん。
爽子
生Cometさん、さすがのフットワークでしたね。
颯爽とおいでになったのが目に浮かびます。^^
気圧されたご主人もいい味だわ~~。
ウチ周辺のオトナは、総じて「俺様」なので、読んでるだけで、癒されます。
そして、てんやわんやのお誕生日おめでとうございます。
ティッシュにくるまれた1万円。まだ、くるまれたままかしらん。
何に姿を変えるのかしら。
切なさ界のチャンプをチャンプルと読み違えて、こんな状況なのに、つまみさん
面白いな。。。と思った粗忽者をお許しくだされ。
つまみ Post author
はしーばさん、こんにちは。
そうですね。
日本人の慎み深さを象徴する感じですよね、ティッシュに一万円って。
ポチ袋はスマートですが、用意周到というか、余裕を感じます。
それに対して、ティッシュにくるまれていると、なんというか、切迫感があるような。
それがせつなさにも繋がるのでしょうか。
つまみ Post author
爽子さん、夫はきっと「なにがなんだかわからなかった」が正直なところだと思います。
Cometさんのことはざっくり伝えていたのですが、私の「来るかも。でもたぶん来ないんじゃないかな。だけどホントに来たりして」という意味不明なつぶやきに翻弄されたのかもしれません。
一万円は、まだくるまれたまま、小引き出しに入っています。
意外と、なんてことはない、たとえばPASMOもチャージに使っちゃうかも。
チャンプル!!(^O^)
せつないって、複合的なごった煮的感情のような気もしますので、それはそれで正解かも!?
okosama
「来ちゃった〜」を髪ボサボサで迎えるって、会いたさMAXで突然来たカノジョとカレシやな。と思ってしまった私をお許し下さい。
つまみ Post author
okosamaさん、
だからこそ、夫が気圧されたのかもしれんですねえ。
物理的にも精神的にも居場所がなかった!?…なんちって。