ゾロメ日記 NO.71 ひろい空よ僕らは今どこにいる
◆6月某日 僕はこの国の明日をまた想う
このサイトの【最近、映画見た?】でおなじみのイラストレーター小関祥子さんが、このたび第一子を出産されたとのこと。小関さん、おめでとうございます。
去年の秋の「オバフォー祭り」は、ある意味、小関さんが主役だった。【夫婦というレッスン】第5回でカリーナさんがタイトルにもしている名言のせいだ。後日、小関さんが明かしてくれたところによれば、出典は、ジャッキー・チェンにツッこむ人に向かっての(誰かの)言葉らしいが、とにかく金字塔的名言だった。そそり立ってた。
小関祥子さんと実際にお会いしたのはオバフォーのイベントだけだ。でも一方的に強度の(?)親近感を抱いている。それは【最近、映画見た?】やTwitterでのつぶやき、私の記事にいただいたコメント、に共感を覚えることが多いからだ。
以前、私が自分の記事で、「東日本大震災を『サンテンイチイチ』と言う人に引っかかる」と書いたとき、いち早く同意のコメントをくれたのは小関さんだった(アメちゃんさんからもいただいた)。同じ福島出身ということもあるかもしれないが、「ああ、やっぱり小関さんも。だよね」と思った。泣くツボより笑うツボが一緒の人の方が気が合う、と言ったりするけれど、引っかかるツボの一致もかなり重要だ、私には。
小関さんの出産の報で、最近、ネガティブなニュースを聞くたびに自分の脳裏をよぎる「世の中が悪い方に行っても自分はこどもがいないからまだ気楽」という思考も揺さぶられた。これから全身全霊をかけてこどもを育てようとする人が世の中にはたくさんいるのに、いろいろなことに耳を塞いで部外者ヅラをしてていいのかと。
ちょうど、そんな自分が気になっていたタイミングだったからよけい、小関さんの報を聞いてハッとしたのかもしれない。
◆6月某日 君よ愛するひとを守り給え
わが家は築30余年の木造住宅だが、もう何年も前から一階の床に亀裂が入って抜けそうだった。このたび、やっと重い腰を上げて、プチリフォームをすることにした。
事前チェックで床下に入ってもらったところ、基礎工事が丁寧なので床材の張替だけで済むと言われ、ホッとする。義母がさもありなん、という感じで語ったところによれば、わが家を建てたのは、その数年前に建てられたお向かいの家の工事の仕事ぶりに感じ入った義父が「自分の家を建てるときもぜひともあそこに」で決めた工務店だという。
重ねて義母曰く「もっと安くやれるって言ってきたところもあったんだけど、おとうさんががんとして聞かなかった。それに、うちを建てるとき、あたしたちはすぐ隣のアパートに仮住まいをしたでしょう。小うるさいおとうさんが毎日工事を見張ってたわけだから、手抜きなんかできないわよねえ」。
義父がいかに家族を守ることに心を砕いてきたかを思い知ることは同居してからこっち何度もあったが、義父が亡くなっても終わらない。そういえば、義父の古い古い道具箱から出てきたハサミもそうだ。先端が丸いハサミ。こどもたち(義姉と夫)が小さいとき、ケガをしないようにと、義父はハサミすべてにヤスリをかけたらしい。糸切りバサミも剪定用のハサミも。…過保護にも程がある。
父の日、微笑ましく義父を想う。
◆6月某日 何を語ろう
仕事で、毎週1年生に読み聞かせをしている。個人的には「聞きたい人だけ聞けばいい」と思っているのだが、授業の一環なのでそうも行かない。中には、「読み聞かせがキライ」という子もいるんだろうな。いてもいいけど。
でも、でも、である。以前にも書いたし、いろいろなところでも言っているが『どうぶつえんのおいしゃさん』は別格だ。先週、クラス全員がひとかたまりになってこっちに迫ってくるような見方聞き方をされる、というのを実感した。
40年も前の、情報も絵柄も古い本なのだが、そんなことは絵本の力とはまったく関係ないのである。そりゃあ、こどもが大好きなうんこは出てくるけど。次から次と動物が登場するのもいいのだろうな。
おりしも、上野動物園でパンダの赤ちゃんが誕生した。特集コーナー設置好きなので、早速、ミニ特集コーナーを作って、動物の赤ちゃんの本や動物園ガイドといっしょに、このテッパン絵本も並べようと思ったが、読んだ直後、激しい争奪戦が繰り広げられるほど借り手が殺到したので、コーナーには当分並びそうにない。
こうなると、次の読み聞かせのハードルが上がる。今週はむかしばなしで逃げるか(姑息)。
※オフコースのしっくりする動画がなかったので、佐藤竹善バージョン。
by月亭つまみ
第1木曜日 まゆぽさんの【あの頃アーカイブ】
第2木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊 切実本屋】
第3木曜日 はらぷさんの【なんかすごい。】
第4、5木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 ゾロメ日記】
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
アメちゃん
なんか引っかかる、とか、嫌いな言葉を持ってる人に
親近感ってわきますよね。
理屈で説明できない、なんかわからんけどイヤ、、という感覚。
私は「スマホ」とか「トリセツ」「オトナ女子」なぁんていう言葉は
嫌いなのでぜったい使わないんですけど
(「スマホ」って、音感がまぬけなんですもん・・)
多勢の流れに流されたくないなぁという思いがあるんです。
たかだか言葉だけど、ゆずれない。
もうレジスタンス。
でも、こういうのって
それこそ、つまみさんが不安におもっておられるここ数年の日本の状況も
「こればっかはゆずれない。」
という多勢に流されないことが、ストッパーになるような気がします。
流されないことで、冷静にウソを見破ることが出来ますしね。
つまみ Post author
アメちゃんさん、こんにちは。
そういえば「オトナ女子」ってなんだか妙に恥ずかしいです、私も。
引っかかる言葉って、「臆面もないことへの嫌悪感」かもしれないと思い至りました。
そうですね。
たかだか言葉だけれど、たかだか言葉だからこそ、というゆずれなさがなくなってしまうと、なし崩し的に決壊するものがあるような気がします。
妙に自信ありげだったり、わかっているよ風な物言いが気に食わんのも、臆面のなさだったり、作為的な流れだったりがうさんくさいんですよね、きっと。
アメちゃんさんのコメントで、もっと自分の感覚に敏感になろうと思いました。
ありがとうございます。
花蓮
この歌を久しぶりに聴きました。リアルタイムではなんか軽い気がしてあまり好まなかったんです。こんかい佐藤竹善さんバージョンで聴けたのもよかったのかもしれない。
東北大震災のあとに聴いたこの曲は染みました。
またつまみさんの各段のタイトル引用が素晴らしいですね。私はつまみさんの文章のファンなのです(気持ち悪くてすみません)
私には子供がいますが30歳になります。
もう大人だから大丈夫。わたしにはリアルタイムではなくて助かった、という逃げ腰の薄汚さがあり、今回そこもつかれたおもいです。
本当は何も「もう、大丈夫」なことなんてないのですよね。
昨日、田舎で遅れて封切りされた「人生フルーツ」を片道一時間半かけて観てきました。
そちらのつまみさんの考察も楽しみにしています。
つまみ Post author
花蓮さん、こんばんは。
竹善バージョンを聴いて初めて、オフコースは意外と屈託がある唄い方をするのだなあと思いました。
透明感、とかよく言われてましたけれど、透明にもいろいろあるのかもしれませんね。
それにつけても
花蓮さんのコメントが嬉しすぎます。
気持ち悪いの真逆です。
ああ、生きてて、ひとりよがりの文章を書いてて、よかったー!と思いました。
ありがとうございます。
私は、何かといろんなことが直視できないヤワな人間です。
スポーツ中継も、リアルタイムで見るのが苦手なくらいヘタレです。
「逃げ腰の薄汚さ」という表現にびくんとしました。
ああ、これからどうしよう。
自分は変われるのでしょうか。
「人生フルーツ」、かなり偏屈な感想を書いた気がします。
カリーナさんがどう拾ってくれるか楽しみです。