【月刊★切実本屋】VOL.11 青いかも。
先月、木皿泉さんのトークイベントに行ってきました。
ご存知の方も多いかもしれませんが、ドラマ「すいか」「野ブタ。をプロデュース」「昨夜のカレー 明日のパン」などの脚本家で、エッセイや小説も書いている木皿泉(きざら・いずみ)は男女ペアでの共作のペンネームです。
おふたりは神戸在住。男性の和泉 務(いずみ・つとむ)さんは現在闘病中で、トークイベントは妻鹿 年季子(めが・ときこ)さんのみの登場でした。
※今回の記事、トークイベントの部分に関しては、妻鹿さん=木皿さんってことで、よろしくお願いします。
イベントの会場に少し早く着き、開場を待っていたところ、ひときわ良く通る笑い声が近づいてきた…と思ったら、それが木皿さんでした。
白髪が程よくブレンドされたボリューミーなショートカットに黒のハイネックといういでたちは、一見やり手の女性管理職でしたが、開場待ちの面々への会釈や声のトーンは、気のいい近所のパワフルなオバチャン。
トークは、木皿さんと、料理家の女性との対談という形式でした。ふたりは同世代とのことですが、華奢なビジュアルも相まって全身から繊細オーラを放つ料理家と、ふくよかで鷹揚に見える木皿さんは、醸し出すモノが対照的でした。
でも「空気を読まない」ところは共通していて、予定調和なやりとりは一切なく、けっこうスリリングな対談でした。ネットで騒がれているという料理家の不倫疑惑問題が本人の口から語られるにいたっては、ほぼ見ず知らずの人のこんな話まで聞いちゃっていいの?と、ちょっとお尻のあたりがもぞもぞとしたことでした。
木皿さんは、がらっぱちで下世話です。“芯を食った”質問もふつうにします。するけれど、「自分は特別」的ないわゆるアーティト臭はまったくしません。不倫疑惑問題のときも「話の流れで聞きますけど」という印象で、下品な感じは皆無でした。
下世話と下品って、責任と自己責任ぐらい似て非なる言葉ですね。
木皿さんの発するストレートな雰囲気と言葉はなんだかとても新鮮でしたが、同時に既視感も覚えたのでした。それはわたしが、木皿ドラマの何本かを繰り返し見ていることと、『二度寝で番茶』という本を、折に触れ開いているからだと思います。
『二度寝で番茶』は2010年に出版された木皿さん最初の本です。いくつかのエッセイと、和泉さん(大福)と妻鹿さん(かっぱ)の対談が載っています。
最初に読んだときは、対談での大福さんの「名言」が印象的でした。木皿泉というペンネームは「キザな和泉」が語源とのことですが、その名のとおり、テーマごとに「決め打ち」のようなセリフがあって、やたらキザかっこいいと思いました。たとえば
自由とは、選択の余地がないがんじがらめの中で獲得するものです。
ゆっくりゆっくり、後ずさりしながら見渡すものが増えていく。それが年をとるということです。
みたいな。
何度もこの本をめくったのは、大福さんの珠玉の言葉に触れたかったからです。
でも、イベント後にこの本を開いたところ、今度はかっぱさんの言葉がやけにくっきりとし、心に響きました。本人の顔(表情)を見、声を聞いたことで、活字の言葉がそれまでより説得力を持ったということなのかもしれません。
かっぱさんの言葉は、名言とか珠玉というスペシャルな感じはなく、揺るぎないくらいの平易さに満ちています。生き方とか人生観というより、日常の瞬間瞬間すべてに、分け隔てない関心とか好意とか敬意とか信頼が感じられるのです。たとえばこんな感じ。
話した内容は忘れたけれど、なんか良かったなぁ、またあの人に会いたいなあとか思うこと。そういうイメージを残すドラマを書きたいんですよね。
人間って、ずっと悲しんでるわけじゃないんですね。牛乳飲みたいとか考えたりしてるんですよ。
本当は、運命の人に会いたいんじゃなくて、違う自分に会いたいんじゃないでしょうか。
特別な自分なんて、絶対にないですよ。そんなの、幻想です。
負けてる時の方が調子がいいですね。何もかも絶好調の時は、書く仕事に緊張感が持てなかったりするんですよねえ。
自分の思いのまま暮らすのは快適かもしれないけれど、どこまでいっても一人だと思い知らされるだけのような気もするなぁ。
こうして「かっぱ語録」をピックアップしてみて気づきました。自分にとっての木皿ドラマの魅力は、まさにこの、日常の瞬間瞬間の、誰も、なにより自分が、ないがしろにしがちな気持ちに光を当ててくれるところなのだと。
その光は、輝かしくもまぶしくもなく、控えめで、ぽってりと明るい気がします。たとえ日々の生活が、雑然としてとっちらかっていて、バランスや効率が悪くて、希望に乏しく見えたとしても、照らし出された瞬間のその場所には必ず、唯一無二の、かけがえのない幸せの切れっ端のようなものがあるんじゃないか、と思わせてくれる。
潤沢なお金とか、やりがいのある仕事とか、あたたかい家族とか、健康とか、頭の良さとかセンスとか達成感とかポジティブ思考…それらは素晴らしいけれど、そういうものがいくらあっても見つけられるとは限らない、でも、どんな瞬間にも「在る」幸せの切れっ端。それを探す手がかりが、木皿ドラマ、木皿ワールドだと思うのです。
…なんか、妙にアツく語ってませんか、わたし。「幸せ」って二回も書いちゃって、われながらちょっと気色悪い。でも、こういうことが臆面もなく言えてしまうことこそ、木皿マジックなのかもしれません。
一生、成熟なんて、達観なんて、してやるかっ。
by月亭つまみ
【木曜日のこの枠のラインナップ】
第1木曜日 まゆぽさんの【あの頃アーカイブ】
第2木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊 切実本屋】
第3木曜日 はらぷさんの【なんかすごい。】
第4、5木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 ゾロメ日記】
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
ゆみる
つまみさん、私も5~6年前に「二度寝で番茶」を読みました。
図書館で借りたので手元に本はないのですが、
本の中の特に気にいった文章を二か所、ノートに書き写していました。
一か所はつまみさんが書かれていた大福さんの「決め打ち」のような文章で、
「森林パトロールみたいなものです。
常日頃からあちらこちら見回っているんです」
たしかかっぱさんに大福さんの文章か言葉を誉められたか、感心されたかの
場面での文章だったような。
もう一か所は「もしかしたら明日のことをあれこれ思うのは、
とても幸せなことかもしれない。希望は待つことから生まれるからだ」
「幸せの切れっ端」のほうですね。
また「二度寝で番茶」読んでみようと思います。
今度はまた別の文章を書き写したくなるかも。
つまみさんが紹介された部分も読みたいですし^^
つまみ Post author
ゆみるさん、こんにちは。
コメント、ありがとうございます!
おおっ!
ノートに書き写す!
わたしもたまにやりますが、最近はついつい入力に頼ってしまいます。
やっぱり、手書きの方が、残るというか効く、気がします。
書いてくださった部分、「森林パトロール」はわたしも印象的でした。
読書は教養か楽しみか、について語り合うところで、かっぱさんが「どんなテーマを出しても、大福さんは瞬時にそれについての本と章を教えてくれる」と感心したとき、大福さんが「常日頃からあちこと見回っている。そういうのが好き。森林パトロールみたいなもんです」と言うんですよね。
「もしかしたら明日のことをあれこれ思うのは…」は、前半のエッセイ、「明日を待つ」の一節です。
この中では「昨日できなかったことが、今日できるようになり、今日できたことが明日できなくなる。」というのも響きました。
コメントがうれしくて、ゆみるさんの再読の楽しみを半減させるようなネタバレ(?)をしてしまいました。
お、お許しを!(^^;