◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第3回 時に正しさは五月蝿くて怖い
人間ドッグや各種ガン検診をマメに受けている人に引け目を感じる。晴れやかな顔で太陽の方を見ながら「家族が…こどもがいる者にとっては当然の義務だと思う」などと宣言された日にゃ、いろいろな意味で「スミマセン」としか言えない。
わたしだって基本的な健康診断と3個のガン検診(うち、1個は検便…いちいち言わなくていいか)は年に一度受けているが、実はそれすら、なんとかパスできないものかとひそかに思っている(思ってるだけです…今のところ)。なので、この手の発言にヘラヘラしながら「確かにそうですよねえ」と追従している自分は相当嘘くさい。内心、早く話題を変えてくれないかな、変えろっつうんだよ、ともぞもぞしているのである。
選挙の日のTwitterの「選挙に行ってきた」という善男善女のつぶやきも少し苦手。ここ数年、棄権はしてないが(たぶん)、よんどころない事情で棄権しそうになったときは、選挙がらみのツイートが「行ってきたアピール」「わたしは政治のことをちゃんと考えてる宣言」に思われ、軽い脅迫のようにも感じた。過剰反応か。
どちらも、ちゃんと、漏れなく行く人が120%正しい。そこに異論をさしはさむ余地は1ミリもない。話題を変えろとか、苦手とか、言ってる方がどうかしている。
重篤な病気から身を守るには、なにより早期発見早期治療だし、あのときちゃんと検査を受けていれば…的な話に対しては、それまで特に好感を持っていたわけでもない芸能人でも、知り合いの知り合いの知り合いであっても、心底、身につまされ、同情し、復帰を願い、自分も気をつけよう、ちゃんと検査を受けなきゃ、と心に誓ったりする。
選挙に対しても、どんなささいなことであれ、政治に何かを求めるなら、要するに自分がこれからも生きて行くつもりなら、選挙に行くことが基本で前提、と設定するのは当然でまっとうだし、投票率が上がることを、わたしも毎回心から願う一人だ。「選挙、行こうよ」になんら文句はない。いや、もうまったく。
でも、確かにそうなのだけれど、真っ直ぐな目で迷いなく正しいことを言われるのはなんだか苦手なのだ。真っ直ぐな目はちょっと五月蝿い。まるで、バンジージャンプ台にいる自分に後ろから「ここから飛ばないと次に行けませんよ。はい、どうぞ。イッチニーノーサン!ほらっ!」とせっつかれるみたいなうっとうしさがある。最初は飛ぼうと思っていたのに、飛べなくなる、飛びたくなくなる気がする。
自分のペース、タイミングでやりたいのだ。あせらせないでほしい。感情の流れを端折らずに進みたい。案件に対して、よけいな劣等感や罪悪感を発動したくない。義務ではなく権利、ぐらいに思って実行したい。たとえ到達点は同じでも、雰囲気や風潮に押し出されて、ではなく、自分の意思で動きたい。
検診や選挙ぐらいで、なに、しちめんどくさいことを滔々と言ってるんだ?と自分でも思うのだけれど、飛べ飛べとせっつかれるのは不快だ。そして、正しさが強くなり過ぎるのは、もしかしたら刹那的な露悪さより自分にとっては怖い。
いくら正しくても、それを笠に着ると、時に暴走するような気がする。でも、正しいから暴走に見えない。当事者も気づかない。だって正しいから。それが怖い。
たとえば、検診の間をあけた人がガンになったとき、悪気なく「自業自得だ」的な言い方をする人がいる。受けていれば…の悔いと、それは話が違うんじゃないかと思う。ガンの発症自体、検診を受けなかった落ち度だとでもいうのだろうか。発見時の進行の違い、生存率の差(生存率って、書いててつくづく生々しい言葉だと思う)はわかる。身近にもいたから。それは承知で言うのだが、怖い。
世界は、正しさを最優先に生きるべき場所で、それから少しでも逸脱したらどんな咎が待ち受けていようが文句は言えないとしたら、なんて息苦しいんだろう。自業自得という言葉が、自分の正しさを確認して安心するためばかりに使われるのだとしたら、そんな四字熟語…使用禁止にしてしまえ!(暴言)
全方位に正しいとされていることこそ、モンスター化しそうで不気味だと思ってしまいがちなわたしは、つくづく小心者なんだろうなあ。あと、検診に関しては、結果が出るまでの時間と結果表を開く瞬間、そしてヘンに検査に引っかかったりしたときの、あの言いようのない不安感がたまらない。
…やっぱり、単なる臆病者か。臆病でやっかみ屋、しちめんどくさいどころか、じゅうめんどくさいな。
by月亭つまみ
◆木曜日のこの枠のラインナップ
第1木曜日 まゆぽさんの【あの頃アーカイブ】
第2木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊 切実本屋】
第3木曜日 はらぷさんの【なんかすごい。】
第4木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 やっかみかもしれませんが…】
まゆぽさんとの掛け合いブログです。3ヶ月ぶりに更新しました。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
中島
今日のやっかみ、なんか好き〜^^
昨日、舌痛症の話をしてたら、きっと真面目なんだね〜と言われ、ちょっと黒い気持ちになりました。
そうだよ、真面目だよ、余裕ないよ、小さいやつだよって心の中でやっかんだ 笑
アメちゃん
私はあれですね。
Twitterで「デモに行こう!」「声をあげよう!」
っていうのがニガテです。
なんか
「デモに行く人=政治に関心がある人vsデモに行かない人=政治に無関心な人」
と対立されてる感じがするんですよね。
私だって、現政権は私至上最悪の政権だと思うし
早々に退陣してほしいと切に願うのですが
皆と一緒にこぶしを挙げない、シュプレヒコールを起こさないのは無関心なのだ…
と思われるのは、ちょっと違うよな…って。
なんか、他人に強制する空気ってニガテです。
つまみ Post author
わーい、中島さん、コメントありがとうございます。
「なんか好き~」って、言われてうれしい言葉のかなり上位です♥
「真面目だね」って言われると、イラッとしますよね。
オメーになんて、わたしの真面目じゃないところなんて見せてやるかよ!人生、損したな、と言ってやりたくなりますね。
つまみ Post author
アメちゃんさん、こんばんは。
デモ、確かにTwitterでグイグイ押されると、そこに 行く人VS行かない人 の対立構図ができてしまう気がします。
でも(←シャレみたい(^^;)、行く人の中にもたぶん温度差があって、行ったことのない人(私)はつい「デモに行く人はみんなものすごく問題意識が高くて尖鋭的」とか思ってしまいがちですが、こぶしやシュプレヒコールの外側の参加者も案外たくさんいて、もしかしたらその人たちは、「今の政治に危機感や嫌悪感があるけれどデモには否定的な人」と交じりあった層のような気もするのです。
デモに行ったことがあるけれど、真ん中の方には行かなかったというお知り合いに「じゃ、なんでデモに行ったの?」と聞いたところ、「こぶしを上げたり、大声を出したりしたいわけじゃないけれど、今の政治にものすごく危機感があって、焦燥感も募って、行動せずにはいられなかった。だからデモという場所に行ってみた。実際に行ったら、自分のような人間がけっこう多いかもしれないなあという印象を持った」と言っていて、ああ、そういう参加のしかたもあるのかと思いました。
あ、でもたぶん、そういう人は、Twitterで同調圧力を感じさせるようなツイートはしないと思うので、アメちゃんさんがニガテな空気を出す人ではないですかね。