【月刊★切実本屋】VOL.41 ただいま?
高校生のとき、母親の友人のノヒラさん(当時40代ぐらい)から、non-noとananをあわせて20冊ぐらいもらった。たぶん1976年前後に出た号だったと思う。
ノヒラさんは洋裁が得意で、自分でデザインもしていて、その参考のためにファッション雑誌を見るのだと言った。それが増えてしまったというので、一部を私が譲り受けたのだ。
私はとりたててファッションに興味があるわけではなかったが、通っている高校のすぐ近くに住むノヒラさんの家に自転車で乗りつけて、荷台に雑誌を括ってワクワクしながら運んだことは、その日の夕焼けの色と共に、今でもよく覚えている。未知の雑誌が、自分をどこかに連れて行ってくれる案内人のように思えたのかもしれない。
期待通り、このふたつの雑誌はとても刺激的だった。それまで、セブンティーンや女学生の友(Jotomo)を見ることはあったけれど、それらとは、洗練度と大人度が段違いだった。
ananはとにかくかっこよかった。けれど私には進み過ぎていた。モデルはほぼ西洋系の顔立ちで、そのファッションも特集も尖っていて、正直ハードルが高かった。一言で言えば「恐れ多かった」のだ。
その点、non-noは身近だった。表紙こそ洋風(?)だったものの、ファッションページには和風顔のモデルも多く、私は井上由美さんというモデルの容姿に憧れた。
私はnon-noで、世の中には、渋谷公園通り、ドイツロマンチック街道、オートクチュールとプレタポルテ、顔色に合う口紅、藤のバスケット、センス良く見える部屋のコツ、卒業旅行、見た目のいい料理の作り方‥などなどが存在することを知った。
ルネ・ヴァン・ダール・ワタナベの星座占いを読んで、占い全般をうさんくさいと思うようになり、映画は、オシャレという観点から見ると、登場人物のこだわりや心象風景がそれまでと違って感じられたりもするのだということを学んだ。
non-noは、私のミドルティーンからハイティーン時代にかけての文化とある種の知識の扉だったのだ。
このように十代の私に多大な影響を与えたnon-noだが、いちばんインパクトがあったものをひとつ挙げろと言われたら、意外や意外(?!)「娘と私の部屋」かもしれない。
これは、当時non-no誌上で連載されていた佐藤愛子のエッセーだ。愛子さんと娘の響子さんの日常が小気味よい文体でサクサクと綴られていて、すこぶる面白かった。
自分と同い年ぐらいの響子さんに対して「こんな面白いおかあさんがいてうらやましいなあ」という気持ちと、「こんなめんどくさい母親がいたらうっとうしいなあ」を混在させつつ、日々の出来事や心理の描写がやたら可笑しくて、ゲラゲラ笑いながら読んだ。
なのに、私はその後、佐藤愛子さんの著作に「ハマる」こともなく、書籍化された「娘と私」シリーズすら、読むことはなかった。ただただ、non-no誌上で読むことが楽しかったのだ。non-noじゃなきゃダメ、くらいな気持ちだった。いったいあれはなんだったのだろう。
ということを、先日、勤務先の中学校図書室にあった『九十歳。何がめでたい』を読んで、数十年ぶりに考えた。この大ベストセラーも「腐っても佐藤愛子」(腐ってないけど)で、世の中を、老いを、媚びることなく、怒り、叱り、嘆き、諦め‥ながらも、痛快に一刀両断してはネタとして昇華させる手腕が見事で、大変面白かった。
佐藤愛子さんは、繊細な考え方や生き方をする人には圧を感じそうな思考と文章の人なのかもしれない。でも、それだけではないと思う。どこかに減圧弁というか緩衝材がある。でなければ、自分は高校時代、ああも彼女に心を軽くしてもらえなかったと思う。
あらためて、佐藤愛子さんはやっぱり特別だと思った。そして、こんな大正生まれが居ることを、月並みだが心強く思った。
もしかしたら自分は、自分で思っているより、non-noのあのエッセーに影響を受けて生きてきたのかもしれない。
なぜなら、『九十歳。何がめでたい』を読んだとき、古巣に戻ったような、なつかしさと安堵感と、失われつつあるものに対する寂寥感を覚えたから。小難しいことをこねくり回す輩に対する若い頃からの嫌悪感と、自分の口癖「しゃらくさい」の原点も佐藤愛子さん‥なのかもしれない。
ありがとう、愛子さん、そして、ただいま。
by月亭つまみ