◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第34回 ベテ編、ソッコーで頷いてるんじゃないよ
以前の記事(★)にも書いたが、『パンとスープとネコ日和』というドラマがけっこう好きだ。なんとなくしょぼい気分のときにこそ見たくなる。言葉にするとちょっとしゃらくさいが、「日常をごくごくまっとうに暮らすこと」がどんなドラマティックさや稀有な経験より自分にとっては大事、と再確認できる気がするのだ。
とはいえ、このドラマには気に入らない…というか、気になるところも少しある。まあ、気に入ったドラマでもたいてい、ひとつやふたつは、なんとなくしっくりしない展開やセリフがあったりするわけだが、パンとスープのそれは、まだ食堂を開業する前のベテラン編集者時代の小林聡美に、岸恵子扮する料理学校の理事長が口にする言葉だ。
「人は何年生きていても、今現在何をしているかが大事だと思うのよ」。
それに対して、ベテラン編集者(略称:ベテ編)聡美は「私もそう思います」とソッコーで頷く。
はたしてそうだろうか。
確かに、現在を差し置いて、過去の栄光や自分のピークに縋るばかりの人生は淋しいかもしれない。若い頃は私もそう思っていた気がする。
ベタな例を挙げれば、高校球児、高学歴、一部上場企業の元社員‥などなど、いくつになっても、折に触れて自分の過去の栄光を「匂わせる」人はいて、その気持ちはわからないでもないけれど、そんな何十年も前の自分を後生大事にいつまでも神棚に祭って、コトあるごとに‥なんなら、コトなんてなくても、人に誇示するのって残念な人、ぐらいに思っていた‥かも。
でも、オバフォーもアラフィフも過ぎ、昔の言い方をすれば「棺桶に片足を突っ込んだぐらいの年齢」(←もう少し、上品な言い方はなかったのか自分)になった今は思う、「人はいつの自分を後生大事に思っててもいいじゃん。そんなの自由じゃん」と。
今現在の自分が何をしているかが大事、などという言われた日には、病気だったり年とって心身が上手く動かなかったりする人は、いったいどうすればいいのだろう。今はままならない自分がすべてだと達観しろとでも?
たとえ、くだんの言葉の真意は「過去の自分の栄光にあぐらをかくのはいかがなものか」であったとしても、今まで生きてきたすべての時間の自分に、好調不調の波や好き嫌いはあったとしても、優劣はない、と思っている自分は、「今現在の自分が大事」と「あのとき、あの瞬間の自分を大事にしている」にも、同じように優劣はないと思う。
過去の自分を心の糧にして今を暮らすって、なにも、今をおざなりにしてるわけじゃないと思う。今が大事だからこそ、そのための燃料、起爆剤として過去を思うってのもある。
ちょっとうさんくさいですか?ですよねえ。
実はこれ、最近、仕事で、年下のチーフに「図書館とは」「司書とは」と蘊蓄を、衒いMAXで延々と開示されて、表面上は「はあはあ」「なるほど」「ですよねえ」と相づちを打っていたものの、内心、「だーれーにー向かって言ってんだ!んなこと、下手すりゃ30年前から知っとるし、やっとるわ!っるせえ!!」とドロドロ感じた腹いせみたいなものなのだった。
私憤御免。はい、私は大層な者ではありません。
by月亭つまみ
Jane
私も同じように、過去のピークの自分をにおわせる人って鼻持ちならないと若いころは思いましたが、自分も明らかにピークを過ぎた今では、「ああこの人にもこんな面があるんだ人間だねえ」などと、聞きながら共感を抱けるようになりました。なんか人生段々良くなるのが成功物語みたいだけど、逆だから不幸とは限らない。あの時は良かったと思うのはべつにネガティブなことじゃない。そんな時を持てたのを、有難く大事に、運が良ければ忘れずにいきたいです。
Jane
話はそれますが、昨日お話した日本人の方、だれかに似ているけれど思い出せないと思ったら、岸恵子さんでした。優雅な物腰、気品ある容姿….。この記事のお陰で思い出しました。向かい合う小林聡美と岸恵子の図、いろんな意味で私とその方みたいな感じだったかも。
つまみ Post author
Janeさん、本当に。
若い頃、思い描いていた「佳き人生」って何にもわかってなかったなあと、中高年になってしばしば思いますね。
かっこいい、ポジティブ、人が思う成功‥それらが本人にとって幸せとは限らないし、誰しももがいてて、カッコ悪くて、こんなはずじゃなくて、でもそれが一周まわってかっこいいということもあるし、ただ生きているだけで何が悪いの?とも思います。
こんな風に今、思うのですから、今思い描く10年後のイメージや理想なんて、まったくアテにならないことも言わずもがな。
とっくにピークを過ぎても、だからといってどうってことない、というのも、若いときは思わなかったし‥要するに、なるようにしかなりませんね(雑な締め)。