【月刊★切実本屋】VOL.50 わたしとちいさないきもののこと(懺悔の値打ちもない)
1997年から2011年まではイヌと暮らし、2014年から現在まではネコと暮らしている。
母親が動物嫌いだったので、自分もイヌやネコが苦手な子どもだった。嫌いというより、母の刷り込みが功を奏して(?)怖かったのだ。それでも、動物と暮らすことに憧れはあって、小さければ良かろうと、十歳ぐらいのときに小鳥を(ジュウシマツとベニスズメをそれぞれつがいで、別々の鳥かごで)飼った。今思えば、明らかに近所に住む同級生に影響されたのだが、当時は自分の意志によるチョイス、ぐらいに思っていた。その2種類はどちらも、その同級生の家で飼育されていた鳥だったのに。
ベニスズメは小さいわりに気性が激しく、あまり懐かず、鳥かごの中で常時、羽をバタバタさせている印象だった。ジュウシマツは、その後、こっちがたじろぐほど卵を産み、孵し、数が増えた。2羽とも真っ白だったので、増えたら、どれが親でどれが子かわからなくなった。あまりに増えるので人にあげたりしたが、選んだそれが、親なのか子なのか定かではなく、それ自体が問題というより、もうどうだっていいやと思っている自分に問題があるんじゃないかということもうっすら自覚していた。
ベニスズメが死んでしまったときもあまり悲しくなかったし、ジュウシマツの世話もどんどんおざなりになってきて、母親によく叱られ、兄ふたりには「こうなると思ってた」的な皮肉を言われた。
兄たちの言葉は的を射ていた分、やり場のない情けなさと苛立ちを誘発し、われ関せずの小鳥たちを、憎くは思わないまでも、より冷めた目で見るようになった。数年前、自分がどうしてあんなに小鳥が欲しかったのか、もうわからなくなってしまった。近所の同級生とは仲たがいをし、家を行き来することはおろか、おしゃべりもあまりしなくなっていたことも理由かもしれない。
私が小鳥を飼う1年前ぐらいから始めた父親の商売がうまく行ってないこと、それでパートに出た母親がいつも疲れ切って不機嫌そうだったこと、次兄がせっかく入った高校に行かなくなったこと、けっこう話が合った長兄が大学に入って家を離れたこと…などなど、当時の自分にはネガティブな気分になることがいろいろあった。とはいえ、小鳥の飼育を(精神的に)きちんとやり遂げられなかったことをその気分と結びつけるのは違うとはわかっていたのだった。でも、罪悪感を抱きつつもそこに逃げがちな自分がいて、同時に、自分には動物を飼い「続ける」能力がないのかも、と怖れに似た思いを抱いた。
そんなわけで、大人になって、よもやイヌやネコと暮らすようになるとは、そして、飽きずに溺愛し続けるとは、思わなかった。
でも、子どものときの自分の闇(?)の記憶のせいか、家に来たイヌとネコを心から大事に思いながらも、いつまで経ってもわずかな申し訳なさがつきまとう。
おこがましいっていうか、「こんな私ですが、イヤじゃなかったら一緒にいてくれる?できればなるべく長く」という、まるで、熱狂的なくせに超卑屈なファン、みたいな心境で暮らしている。
贖罪というと言葉は重すぎるかもしれないが、人間と暮らすいきもの全般に対して「いきものとの暮らしを語るのはどうしても人間側になっちゃうけど、主体はそっちだからね。どうか自由にやってください」と思っている。
はらぷさんが参加した小冊子「ちいさないきものと日々のこと」は、いきものに対しても、生活全般に対しても、不遜じゃない人々の言葉が紡がれていて麗しいと同時に眩しい。なんとなく浮き足立った気分のときにテキトーなページ開いて読むと、定型文に書けないあたりまえこそ手強く、地に足をつけていないと自分が持ってかれるぞ、と褌を締め直したくなる。
この続編にあたる小冊子が編まれたそうだ。来たる11月3日に発売になるとのこと。
そこにははらぷさんに加え、なんと!カリーナさんも参戦するんですってよ、みなさん!驚き桃の木山椒の木!!
私も参加させていただきました。スーのことをどこかで思いきり書きたいと思っていたのでとてもうれしく、幸福な体験でした。気楽に読めるけど渾身の文章書きました。関係者の皆様、本当にありがとうございました。装丁も他の方の文章も(はらぷさんも!)楽しみです。ワクワク! https://t.co/V3DVfA0k3p
— カリーナ(野田敦子) (@t_Carina) October 13, 2021
私は参戦も乱入もしていないが(したかったんかいっ!?)この続編方向にカリーナさんを引き寄せ、手繰る糸の束の1本になったとは自負してもいいんじゃないかと思っている。
だから、ジュウシマツよ、ベニスズメよ、あのときの私を許してください(論旨がめちゃくちゃ)。
by月亭つまみ