◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第40回 ジェーン・スーさんにやっかむ
Amazonプライムで、ジェーン・スーのエッセイをドラマ化した「生きるとか 死ぬとか 父親とか」を見た。
スーさん(ドラマでの役名はトキコだが)の父親と私の父親には、山っ気があって、そとづらが良くて、女性の影がちらつくことが妻子にダダ洩れで、商売に失敗して長く住んだ家を売ることになり引っ越す段になってもどこか他人事っぽくて家族をイラつかせ…などなど、いくつもの共通点がある。見ていて何度も「私の父親の話じゃん!」と思った。
ドラマは、収まりのいい場所に結論づけようとも、全部言葉で説明しようともせず…だからといって「あとは見ている人たちにお任せ」的に逃げている感じではないところがよかった。そして、一筋縄では決してない、人の感情の振り幅を、その振り幅分、直接描かなくてもちゃんと感じさせてくれるところに好感が持てた。演じ手たちも、主役級からそうじゃない人まで、みんなそこにいた。間や動きや佇まいがそれぞれ違っていて、息遣いが聞こえそうだったり、ちょっとクセがあったりして、とてもリアルだった。
終盤は、長い間、トキコと父が無意識に結託(?)して、亡き母を美化、神聖化してきた事実に重点が置かれる。そんなことを続けていると大事なものを忘れるという焦燥、現実から目を背けていた後悔、そして贖罪、とでもいうものが描かれていくのだ。
若いトキコ役の松岡茉優と、母親役の富田靖子のひりひりするような回想シーンをふんだんに差し挟みながら、それで浮き彫りになる娘の絶望と諦観と開き直り、父親の弱さ、狡さ、そして憎めなさは、私に、自分が今まであまり感じたことのない感情をもたらした。
それは ああ、私はやりそびれちゃったよ!遅かりし由良之助!!(忠臣蔵の討ち入りの月なので寄せてみました)という感情だ。
そうなのだ。私は、自分の父親を、単なるろくでなしのまま、アップデートを試みることさえしなかった。実際に父が、向こうが透けて見えるような薄っぺらな人間だったか否かはどうでもいいのだ。問題なのは、自分が一度たりともそれを確認しようとしなかったこと、父のことを知ろうとしなかったことだ。
自分の父親=父親失格者 の烙印を押し、その印が付与された人間としてしか父親を見なかった。最期まで。
父は8年前に死んで、今はもう、父のことを知っている人を探すのすら困難だ。
父が自分で勝手に決めた老人ホームに入るときに「月々受け取る年金額以上の費用が毎月かかるホームに入るなんて、私はおすすめしません。どうしてもと言うなら、まずは手持ちの株を売らせなさい!」と私に電話してきてまくし立てた(?)父の最後の恋人も、父が入所した数か月後に突然、病に倒れてしまった。
思えば濃い女性だった。私は彼女から父の悪口をしょっちゅう聞かされたが、本当に苦痛だった。そんなに嫌なやつなら付き合わなきゃいいじゃん!と何度言いかけたことか。でも、悪口は言いつつも面倒見のいい彼女に離れられるとこっちの負担が増す、という計算が働いて、一度もそれを口にしなかった。
スーさんは、意を決して老いた父親と向き合い、ある意味「自分の見たいような世界しか見ない」父親を、軋轢を生むこと覚悟で曝し、書くことで、父親を生身の、単なるろくでなしから「憎みきれないろくでなし」に昇華させた気がする。
これって、家族にしかできないことかもしれない。そして、そうすることが、生きているのに不在だった家族を家族にし直す、唯一の方法なのかもしれない。
私の父親は、娘にとって不在のまま逝った。「それはそれで存在のひとつの形ではないか。家族にし直さなくてもいいんじゃない」なんてしゃらくさいことは言いたくないし、聞きたくない。なぜなら、ドラマに感化されたのは明らかだけれど、今になって、父親が何を感じ、どう生きてきたかを、がっかりさせられることを覚悟で知りたかったなあと思っているから。
ろくでなしと憎みきれないろくでなしは、ジュリーに歌われるまでもなく別物だ。その間に流れる川を、父親が生きているうちに飛び越えたスーさんがうらやましい。やっかんでしまう。
by月亭つまみ
爽子
このドラマ、毎回録画してみていました。
わたしの父ももういません。
死ぬまで現役で仕事をしていたので、いつもそばにいたわけではないのですが
父のことは好きでした。
それがわかっていたのか、母や弟には「わがまま」な人なのに、私の前だけは
とても「いい子」でした。
後で真実を聞いて、コケました。笑
弟や母がなぜ父の言わんとすることをこうまでわからないのか、不思議でした。
でも、こうして思い起こしてみると、わたしが理解していた父は本当の父ではない気もします。
真実はやぶの中。
わたしに、死んだ後、こんな風に思い出したり、いろいろと考えてくれる人、いるでしょうか。
ひとりもいないかも・・・。
つまみ Post author
爽子さん、こんにちは。
好きと言える親、単純にうらやましいと思ってしまいますが、家族に見せる顔が違っていたり、妻子からの見方も偏っていたりもするかもしれないわけですから、〇か×、白か黒ってわけではないですよねえ。
本当の〇〇って、逃げ水みたいで、知ろうとして近づくと実態が見えなくなるものかもしれませんね。
自分が死んだ後は、私は忘れてもらっていいかなあ。
子どもや孫がいれば、どんな形であれ、残ると思いますが、忘れられていくことに無念さはないかなあ。