【月刊★切実本屋】VOL.53 今年初のヒット本はこれだ
新年早々、極私的ヒット本に出逢った。中島たい子さんの「かきあげ家族」だ。
中島たい子さんの書く小説は以前から好きで、この場所でも『院内カフェ』についてアツく語ったことがあるが⇒★ 『かきあげ家族』は今までの彼女の小説のイメージとは少し違う気がする。
リアルさが必ずしも「生きづらさ」に特化してないとか、「心身のバランスのとりかた」は人それぞれなのだとあらためて思うとか、彼女の小説はこれまで、どちらかというと、登場人物の内面の切り取り方が斬新で私には印象的だったのだが、今回は、70歳間近の一見下世話な初老男性を主人公しにし、ジェットコースター的展開と、ミステリーのお株を奪う先の読めなさの通俗街道まっしぐら路線。それが私にはとても新鮮でなぜかかっこよく映った。
中井戸八郎は69歳の映画監督。彼が撮ってきた映画はコメディオンリーで、そのせいか、自分が発掘した素材なのにその映画の監督を降ろされてしまう。別な監督でシリアスに仕上がった映画は高い評価を得てヒットし、彼は腐り、引退という文字が脳裏をよぎる。そこに、大御所監督の遺言で八郎が譲り受けて物置に仕舞っているはずの脚本が、ネットオークションに出ているという事件が勃発する。
八郎の妻は元女優で、子どもは3人いるが、こぞって訳アリ。八郎と行動を共にすることが多い不登校の孫の吾郎とて祖父にべったりではなく、家族の潤滑油ではありながらも、ある意味、誰よりもクールに八郎を見ている。
くだんの脚本はいったい誰が、なんのために…。
映画を愛する八郎の思考は過去の名作に依るところが多く、それもこの小説の大きな魅力だ。
映画をモチーフに、八郎だけでなく、家族が抱える問題が顕わになる。そこには「絶対的な正解」などというものはなく、問題は問題を生み、物語の後半には隠し玉的な驚愕の事実が発覚し…とにかく、タイトルどおり、家族という具材が、ひとつひとつ屹立しながらも境目なく絡み合うかきあげの様相を呈するのだ。
それでも、この小説はとても清々しい。そしてなぜか微笑ましい。映画になぞらえた分析や極論はたくさん出てくるが、どれも予定調和ではないし、具材同士は絡み合っても、それぞれがべったりくっついていないせいか、胸焼け感は皆無だ。何より、筆致が明るい。
特筆すべきは173ページ。ここで八郎は、自分の息子と、ロングカットで全編をつないでいる映画「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」について話をし、こんなことを言うのだ。
【悩んでいると、本当に一日が妄想をともなったロングカットだ。人生というものは、まさにカットのないまわしっぱなしのフィルムだ。そう思わせるあの映画は、ファッショナブルな映像のためにロングカットを使っているわけじゃない。】
これ、どこかで聞いたセリフに似ていると思ったあなた、そう!これって、ミカスさんとカリーナさんと私がやっているPodcast「That’s Dance!」のepisode43でカリーナさんが言ったことと肝は同じではないか。
https://twitter.com/t_Carina/status/1469491609855471616
思わず、膝を打ってしまった。
この小説のどこに自分がヒットしたか考えてみる。もしかしたら、アラ古希の成長物語だからかもしれない。でもそれは、瞳を輝かせて「いくつになっても人は成長できる」と言うみたいなポジティブさとは違う気がする。絶望や諦めや将来の不安といったネガティブ寄りの感情や状況にも、希望や成長は存在し得る、そんな人生の掌握できなさ、得体の知れなさが、妙に心強くてグッときたという感じ。
もっともっと話題になって、多くの人の目に触れてほしい小説だ。そして、読書量は減ってしまっている昨今だが、本を読むってやっぱり面白いなあとあらためて思った。
今年もよろしくお願いいたします。
by 月亭つまみ