【月刊★切実本屋】VOL.58 固定観念をぶっ壊せ!
1980年代頃、若い女性にされる質問で意外と多かったのが「どんなおばあさんになりたい?」だった。当時は若い女性だった私も何度か聞かれた。「かわいいおばあさん」と回答する人が多かったように思うが、それはかわいいおばあさん女優原ひさ子さんと、あの食器用洗剤「チャーミーグリーン」のCMのふわっとしたパステルカラーのイメージのせいだと思う。かわいいおじいさんと手を繋いで一対、みたいな。
中には「若いもんに嫌われる意地悪なばあさん!」と答える一見つわもの(桃井かおりとか)もいたが、それだって、今思うと、かわいいという回答と表裏一体な気がする。要するにどちらも、トシをとることをあまりわかっていないから言えた答えなのだと。
私もわかっていなかったが、パステルカラーのイメージはなかった。なのでできれば、当時わりとファンだった桃井かおり方面に寄せた答えを発したい気持ちはあったが、口にするのは躊躇した。なぜなら、自分の母方の祖母がまさに「若いもんに嫌われる意地悪なばあさん」系だったから。若いものに迎合しない明治生まれの気骨女と一目置いていたりもしたが、じゃあ、あのばあさんのようになりたいかと問われたら、大きく首を振った。いやだ、と。
齢を重ね、現在はばあさんに(「近く」と差し入れたい乙女心)なって思うのは、ほとんどの人は、自分がなりたいようなばあさんになんかなれないということだ。あれは、若いからこそ、加齢に無知だったからこそお気楽に言えたことだと。
トシを重ねると、自分の心身や状況に足元をすくわれることの連続だ。「なりたいばあさん?なに浮わついたこと言ってんの?あえて言うなら、いつまでも夜中のトイレにすんなり立てる足腰を持ったばあさんだよ」と本気で言いたい今日この頃だ。中には、いや、こころざしや気概や意志(←全部いっしょ?)があればなれるでしょう、という人もいるかもしれないが、そういう人は、とりあえず今は健康で、身内に翻弄されていなくて、経済的にも恵まれていて、なにより相当お目出たい人だ…と、シニカルな視線を向けてしまいそう…いや、完全に向けてる。
が、そんな昨今の自分のばあさん像を揺さぶる(「覆す」とまでは言わない)掘り出し物に出会った。柚木麻子さんの「マジカルグランマ」という小説の正子さんだ。
なんの予備知識もなしにこの小説を読むことができたことを私はラッキーだったと思う。展開が全く読めず、わーどうなるんだろうこれ、と楽しめたから。だから、ここでもストーリーには触れたくない気持ちがあるのだが
・自分にしろ親にしろ、老いに疲弊しがちな日々を送っている人
・上述のチャーミーグリーンのおばあさんや、映画『風と共に去りぬ』の黒人メイドであるマミィに違和感を覚えた人
・「マジカル」という言葉の最近の使い方を知っている人知りたい人
・トシとって転んだら、掴まった近くの人のズボンを引きずり下ろすことになってもいいから立ち上がりたい人
・見切り発車の手作りお化け屋敷に興味がある人
にはお薦めしたい小説だ。
書き留めておきたいフレーズがてんこ盛りだが、一個だけ引用。
いろいろあって、お化け屋敷を作ろうと思い立った70代半ばの正子さんは、亡き妻の喪失感とともに溜め込んだ壊れモノの「ゴミ」と暮らすご近所の老人である野口さんを誘うのだが、その際のセリフがこちら☟
【野口さん聞いて。いつか直さなきゃ、なんて思わなくていいの。壊れたまま、参加しましょうよ。ここにある壊れたままの方が、今の私にはいいの。腰が痛いまま、皺だらけのまま、私たち、楽なやり方を探して、パレードに出ましょうよ】
著者である柚木さんは、自らの出産の際のあれこれでこの小説のテーマを思い立ったそうだが、今の私に20年後の自分が曖昧模糊としているように(生きていると仮定して)、作家とはいえ1981年生まれの柚木さんに、現在の私が感じる程度であれ、ばあさん界の細部が分かっているとは思えない。小説の中で「腰が痛い」「疲れた」と書かれていても、その心理がうわっつらなものに映るし、登場人物のひとりの認知症の症状も、展開に都合のいい、ヒロイン正子を際立たせる駒に見えたりする。
でも同時に思うのだ。その世界のネガティブな内情をわかっているから、痛感しているからこそ、身動きできない、変えようとしないって存外に多いのではないか。まだ老いを本当の意味で実感していない外側からだからこそ、細部を気にせず破壊できる鎧、言ってみれば固定観念、がそこここにある気がする。
最近の私、固定観念固定観念ってばっかり言っている気がする。なんかスミマセン。
by月亭つまみ