◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第46回 そこに服があるから着る人、のその後
一年ほど前、That’s Dance!第16回で通販の話になり、お調子者の私は、「買った服を返品するなんて、覚悟が足りない」「自分に合う服は…なんて言っているうちは素人。服に自分を合わせに行くのがプロ」「そこに服があるから着る」などと発言し、ミカスさんとカリーナさんを煙に巻こうと(?)した。
実はこれらは、それまで考えたことがなかったことばかりだった。なのに、口から勝手に出ちゃったのだ。なんていいかげんな人間なのだろう。その場の勢いとはおそろしい。
それでも、気のおけない相手との、こういった自分でも思いがけない発言は雑談の醍醐味だと思うのでとても楽しかったし、時間が経つにつれ、このときの自分のセリフが、自分で思うより本心だったような気がしてきたのだった。
そんな矢先、先日、CometさんがTwitterでこのときの私の発言に言及してくれた。「服を自分に合わせる技を知りたい」と。「表面は服の話だけど、根っこはとても大切な心の持ち方だと思う」とまで言ってくれた。
言い過ぎだよCometさん、とは思ったものの、満更ではなかった。またもや、お調子者力を発動させて、じゃあこれについて考えてみるか、と思った。
服を厳選し、それをセンスよく着こなそうという意識より、「なんとなく目に留まった」「これで自分がどんな風に見えるか、など考えずに、価格と素材だけで購入した」という雑な服との出会い(?)が多い私は、オシャレに対するストライクゾーンが良くも悪くも広いのではないかと思う。いっそなんでも来い、来たものは拒まず着ますよ、は、長年の雑な暮らしで培った意識改革(!)だ。
そうなのだ。意識が改革されちゃったのだ。その分、誰かが作ったルールに沿って自分を分類されると窮屈だ。その分類で選んだ服が、スタイルよく、センスよく、なんなら若く裕福に、自分を見せてくれるとしても。
カテゴリーの中の自分を前提にして服を決めると、服は日常じゃなく手段になる気がする。よく見せたい見られたい思いは自分にもあるが、もっと自由である種いいかげんな、カテゴライズと真逆なオシャレじゃないと、褒められてもあまりうれしくない。ま、そもそもそんなに褒められないけれども。
そんな矢先(二度目の「そんな矢先」登場!)の昨日(7/27)、勤務先の中学校で、懇意にしている理科のシブカワ先生(女性)がニコニコしながら図書室にやってきた。
出校している先生方が、通常の服装よりラフないでたちが多い夏休み期間だが(しかも学校は引っ越しの真っ最中)、シブカワ先生も、いつもの品のいいシャツや白衣姿ではなく、白地になにか、ちまちまっとしたイラストが描かれているTシャツを着ての登場だった。よく見ると、それはヨシタケシンスケさんのイラストだった。
そして、私たちは以下の会話を交わす。ほぼ忠実に再現している…と思う。
私「それはもしかして、ヨシタケシンスケ展の戦利品ですね」
シ「そうなんですよ。いろいろ買ったグッズのひとつ。月亭さんにお見せしたくて着てきましたよ」
私「わあー、うれしい。いいもの見た!ふだんのシブカワ先生のイメージと違うという意味でも麗しい。いいですねえ」
シ「そう言っていただくと着てきた甲斐があります。このTシャツで電車に乗るのはちょっと恥ずかしかったんですけど、こういうのは、着てなんぼ、反応してくれそうな人に見せてなんぼかと思って着て来ました。今日一日、気分はヨシタケシンスケでやっています」
私「どうですか、ヨシタケシンスケになった感じは」
シ「なかなかいいですよ。なんでもあけられそうな気がします。あけられませんが」
私「さすがシブカワ先生!なんか大事なことを教えてもらった気がします」
シ「えっ!?なに?少なくても、教師的なことはも何言ってないはず。言ったのかな」
シブカワ先生は、たぶん私より5~6歳ぐらい年下の(もっと下だったらごめんなさい先生)ユーモアとノリが私好みの、学校の先生にもこんなにセンスのある人がいるんだ的な(ごめんなさい学校の先生全部)人なのだが、さらに好きになった気がする。楽しそうに、軽々と、服に自分を合わせる姿を私に見せてくれたからだ。
服も人生も、あんまり厳選したくない。想定どおりにいかないときの、あれ?こんなはずじゃなかったという落胆が大きい気がするから。なりゆきに自分を合わせる、うっかり選んだものに自分を合わせる、その方が自分を見失わないで済むし、機嫌よく暮らせるときも多いと思う。だいたい、どうしてもこれじゃなきゃ、なんてこと、人生にそんなになくね?
自分らしく生きるというのがあるとしたら、私の場合は、知力も体力も審美眼もあまりない自分を認めておもしろがること、時にまっとうに落ち込むこと、そして、そんな自分の目の前に次々に出現する雑多なモノ(&人)たちとなるべく楽しくやること、あわよくばネタにすること、なのかもしれない。服はその可視化、ランドマークだ。
う~ん、なんか書くほどにうさんくさい。そして、That’s Dance!の発言をうまく明文化できなかった。もっといろいろ思うことはあるのだがなあ。でもタイムリミット。まだ力不足でしたので、次回にご期待ください…と無責任に締めてみる。
by月亭つまみ