【月刊★切実本屋】VOL.80 朝ドラと『化学の授業をはじめます。』の化学反応
「本が好きだって言うから誰が好きかと思えば〇〇〇〇(最初は「赤川次郎」と書いたが失礼かと思い伏字にした‥まあ、書いちゃったけど)だって!ガッカリ」的なことを言う人がたまにいるが、そんなことを言うあんたにガッカリである。赤川次郎(また書いた)の本を夢中になって読んでいた義母は、本を読むのが楽しいオーラを放っていて麗しかった。義母と赤川次郎(三回目登場)に謝りなさい!だ。
ガッカリついでに言えば、本なんて読まないと断言されてもわたしはガッカリなどしない。気持ちなんて、趣味に対しても人に対しても刻々と変化するのが当然だと思うので、今そそられなければスルーしたり、内心「んなもん、どこがおもしろいんだか」と毒ついていればいいと思う。そのうち潮目が変わるかもしれない。一生変わらなかったら一生毒ついてほしい。さらに言い募れば、読書を高尚な趣味だとする気持ちもまったくわからない。自明の理過ぎて説明する気にもならない。というわけで『化学の授業をはじめます。』の話だ。ここまでの前置きに特に意味はない。
『化学の授業をはじめます。』(ボニー・ガルマス著、鈴木美朋訳、文藝春秋)の舞台は1960年代はじめのアメリカである。日本より早い時期に女性の地位が向上したイメージの欧米諸国だが、さすがに60年前はまだえげつない意味でも女性であることが社会進出を阻んでいた。そこに生まれ育った、頭脳明晰で才能豊かで化学者としての熱意も尋常ではないエリザベス・ゾットがヒロインだ。
彼女を邪魔する男性たち(一部の女性も)の憎たらしさったらない。まさにえげつなさ全開!それが読み手の、エリザベスに対する感情移入に直結するわけで、それを狙ったデフォルメかとも思うが、実際も相当酷い事態が頻発していたのかもしれない。そして、その「えげつない男(一部女)側の金字塔的構成員」かと見紛うように登場するのが天才研究者キャルヴァン・エヴァンズだ。
エリザベスとキャルヴァンはなんだかんだあって恋に落ちるのだが(雑)、さほどページは割かれてはいないものの、その過程がじれったくて甘くて拙くてまるでハーレクインロマンスだ。この部分、書評やレヴューにあまり触れられていない気がする。他に紹介したい箇所がてんこ盛りの小説なのでしょうがないが、この瑞々しい、研究バカなふたりの恋の意外性‥に見せかけた妥当性、その純粋さの描写は、後の悲劇や爽快なエンディングを際立たせる強力な布石だと思うので、わたしは言及しておきたい。
この小説は、エリザベスが出演することになる料理番組のくだりがクローズアップされがちだが、それは彼女が「化学を研究し続けたい」「子どもとなんとか生き延びたい」、そして「強い喪失感を抱え持って生きるしかない」という人生三大優先項目をなんとかするために無自覚に選び取った一要素でしかないのだ。それが図らずも、世の女性の共感を得、勇気を与えることになるわけで、芯は実にシンプルな物語だと思う。
そこに、個性的なエリザベスの娘、賢いにもほどがある犬、優柔不断な男性陣、心強い隣人、往生際までどっぷりえげつない上司と修道院の関係者、終盤に登場するキーパーソン‥などが絡んでくるわけだが、どの人物も、エリザベスを際立たせるための都合のいい駒‥になりそうなところを回避し、それぞれが屹立しているところはさすがだ。
そしてなにより、この小説が、当時すでに60代になっていた女性のデビュー作であることがすばらしい。今まさに読んでいる『アレックスと私』というヨウム(小説『水車小屋のネネ』でおなじみ)の研究を綴った書の作者、アイリーン・M・ペパーバーグも、本の中で折に触れ20世紀の女性研究者が研究を続けることの難しさを語っている。今月からはじまった朝ドラ「虎に翼」も合わせて、このところ、女性が自分の決めた道で生きていくことに対して触発されることがなんと多いのだろう。
わたしも、うかうかしていられない。はて?さしあたって何をするか‥これから考えよう。
by月亭つまみ