ゾロメ日記 NO.67 極私的 年度末 絵本考
★3月某日 粘土松?
年度末だ。小学校で働いていると、年末より年度末の方が大きな区切りであることを毎年実感する。1~2月なんて、来たるべき大団円の助走期間、まるで1980代の東急田園都市線における東京メトロ(当時は「営団」)半蔵門線みたい。尻尾っぽい。…東京ローカルな喩えでスミマセン。
でも、それらはあくまで大人が抱く感覚で、子どもたちにとっては、そんな認識はなく、「粘土松?つぎの工作?」ぐらいなのかもしれない。そう思ったのは、今日の1年生の図書の時間に担任の先生が「みなさんが1年生として月亭先生に本を読んでもらうのは、今日が最後ですよ」と言ったところ、けっこうなボリュームで驚きの声が上がったからだ。来月には、自分がもう1年生じゃなくなることをわかってない子が多かったようだ。ま、私が異動で今の学校からいなくなる可能性もおおいにあるわけだけれど。
現在の小学校図書室での仕事ももうすぐ4年目に入る。その間、1年生への絵本の読み聞かせは、基本的にほぼ切れ目なくやってきた。それまで、絵本にはあまり興味がなく、読み聞かせとの距離も遠かった。今でも絵本への個人的な興味が高い方とはいえないし、読み聞かせは仕事だからやっている。気が進まない、という意味ではない。冷静と情熱のあいだ…平常心という感じ。
ただ、ある程度の期間続けてきたので、平常心の輪郭が、ぼんやりしたものから、少しくっきりしたものに変わった気はする。そして、ややもするとそれを「読み聞かせと昵懇になった」と捉えてしまいそうになる。
それでいいのだろうか。いいのかもしれないが、仕事であるがゆえに近視眼的になるのはなんだか不本意。そこにうっすら漂う違和感がぬぐえない。【帰って来たゾロメ女の逆襲 第50回 猫と絵本(入口編)の巻】を書いた頃のあの純粋な気持ち(言葉のアヤ)を忘れたくない気もする。
そんなわけで、今まで1年生に読んで、印象的な反応があった絵本を思いつくまま挙げてみることにした。視界が晴れてなにか見えてこないだろうか、と。そうカンタンには見えてこないかもしれない。でも、こないならこないで、「見えなかった」という意味があるのかも。昼間の月だって、見えることに深い意味を持たせるだけじゃなく、見えないことに何かを感じるってのもあるし…なあんて、強引か。
『もぐらバス』 人間の住む地面の下に、もぐらの掘った道が縦横無尽に通っていて、もぐらの運営するバスが走っている。でも住んでいるのはもぐらだけではなく、カメやネズミやカエルもいる。見えない場所に対する無限大の想像力を喚起させる、いかにもピタゴラ装置や『中をそうぞうしてみよ』の佐藤雅彦さんっぽい絵本だ。でも子どもたちは、巨大たけのこが道路を塞いでしまった、という事件にくぎづけで、そのたけのこを無料で配るというアナウンスへの反応がいちばん大きかった。「え~、タダなの!」「もったいない」と。そこかいっ!ああ、経済の申し子たちよ!?
『王さまと九人のきょうだい』 なぜかびっくりするほどウケるのである。年度や学年をまたぎ、もう何度も読んでいるが、反応の良さはテッパン。なんでそんなにウケてくれるの?とこっちが引くくらい(引かないけど)。読んだ後、この絵本を借りたがる児童が続出するのも特徴。「ながすね」って渋いっすね。
『そらいろのたね』 半世紀経っても色褪せない、こういうのを不朽の名作というのだろう。うっすら教条的なにおいがしないでもないが、それを補って余りある(?)ファンタジーだ。「こどもがひゃく にん、どうぶつがひゃっぴき、とりがひゃっぱ」というくだりに、「ぜんぶでさんびゃくも~!?」とクラス中大興奮。絵本自体も小ぶりの上に、大村(山脇)百合子さんの絵もちまちましているのに(揶揄ではない)、ページの片隅に同じ作者の「ぐりとぐら」が小さく登場した際の子どもたちが発見する早さったらなかった。ウォーリーやミッケ!で鍛えられているのか。
『おじいちゃんのコート』 大人が喜ぶ類の絵本かなあと思ったが、試しに読んだら、みんながコートの行く末を本気で面白がる感じが伝わってきた。「コートだけがボロボロになるんじゃなくて、おじいちゃんも最初は若かったけど、だんだんおじいちゃんになった。頭もハゲちゃった。」と感想を言ってくれた子がいて、すごくグッときた。
『パパのしごとはわるものです』 感情はひとつではないのだ。一見真逆な、うれしいと悲しい、誇らしいと情けない、の間にもたくさんの感情があって、共存もするのだと気づかされハッとする。続編の『パパはわるものチャンピオン』と併せて、私の勤務校では人気の絵本。真剣に見聞きしてくれているのがこちらに伝わるので、読んでいて緊張もする。そして楽しい。
『?あつさのせい?』 読み聞かせのあとにクイズにしたら、みんな内容がしっかり頭に残っていてびっくりした。子どもの記憶力、すごい!自分だって、子どものときはそうだったんだろう。ああ無情。
★3月某日 さびしんぼう
本当に、異動で来年度から勤務校が変わることになった。掛け持ちで2つの学校に行っているのだが、ふたつとも変わることに。通勤距離を短くしたかったので自分が望んだことでもあるのだけれど…あ、今、すんごく淋しくなってきた。
by月亭つまみ
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
nao
お疲れ様でした。
異動で新しい学校へ行くのも緊張感があるでしょうけど
また楽しい出会いがあることと思います。
1年生への読み聞かせ、いいなあ。
息子が小学生の頃にはボランティアでやって
子どもの前でも足が震えるほど緊張するのですが
絵本選びはとても楽しかったし、反応してくれるとうれしかった。
「みつやくんのマークX」という本を息子が好きだったので読んだことがありました。
感想文集みたいなのに取り上げてくれた子がいて嬉しかったです。
つまみ Post author
naoさん、こんばんは。
ありがとうございます!
反応はうれしいですよねえ。
私も緊張しいなので最初は緊張しましたが、場数を踏んだら平気になって、そんな自分もいるんだあと感慨深いです。
『みつやくんのマークX』、知りませんでした。
Amazonで紹介を見ました。面白そう♥
読んでみます。
知らない本が多いので、教えていただけてうれしいです。
はらぷ
4年かあ、たいした年月ですよね。
おつかれさまでした!
勤務の学校が変わるのは、さびしいですね。
そして、つまみさんがさびしいように、子どもたちもさびしいだろうなあ。
2年生として月亭先生に本を読んでもらうことはできないんだものね。
自分が子どものときに、図書室の先生がいたらよかったなあと思います。
先生でも親でもない、ふつうの大人よりちょっと自分たちに近い大人。
そういう存在が子どもには必要だと思うし、そういう大人を、子どもたちはちゃんと見分けてますよね。
大きくなって、小学校のとき月亭先生って図書の先生いたなあ、って思い出すかなあ、でも、忘れちゃってもそれはそれでいいのかも。本の記憶は残るから。
紹介してくれた絵本についてつまみさんが書いていること、子どもを予断なく見て、思わぬ反応に驚き、おもしろがって、でも子どもをわかろうとしたり分析したりジャッジしたりしない、わかんないままでもいいっていうところがほんとにいいなあー。
私もなんと4月から児童担当に変わるのですけど、つまみさんみたいに、頭でっかちにならずに向き合えるかな。
この回は、勝手に私のために挙げてくれたと思ってだいじにします…!(←ずうずうしい)
つまみ Post author
はらぷさま、ありがとーございます。
個人的なやりとりのことを書いて、ちょっといやらしいというか気が利かないですけど、今の仕事を始めるときにもはらぷさんに「子どもたちには、先生でも親でもない、ふつうの大人よりちょっと自分たちに近い存在は必要だと思うし、そういう人がいるっていいなあ」と言ってもらって、それはずっと今の自分にあります。
なにか迷ったときにはそれが浮かびました。これからも浮かぶと思います。
先生や親にとっては、そういうポジションって、無責任ないいとこどりだけど、先生でも親でもないからね、実際(´∀`)
そこは勝手に居場所を作らせてもらうよ、と。
私のことを覚えておいて欲しいとは思わないし、正誤的な意味での本好きにならむしろなって欲しくないと思うのですけど、図書室やそこでの時間が、面白いこと、興味のあることを見つける時間、そして入口、になればいいなあと思います。
挙げた本、すんごく偏っているごく一部の世界の中でのセレクトと反応だけど、参考になるとしたら、こんなにうれしいことはないです。
公共図書館での児童担当はやったことがなかったです。
いろいろ教えてください。