ばあちゃんの心:好物三色盛り
母を物忘れ外来へ連れて行きました。
2か月に一度の通院には通常妹が車を出してくれるのですが、今回は他の用事と重なってしまい、姪が来てくれました。
最近の母は、喋っている時以外は何故か常に小さな声で歌を歌っています。それは、元気だった頃に音楽を聴くのが好きだった母のその名残なのかもしれません。
グループホームから病院へ向かう車の中でも母はずっと歌い続けていました。ちなみに、今回の歌は「かえるの合唱」。
「ちょうどかえるが鳴き出す季節だもんねぇ、ばあちゃん」と、姪。
病院に到着しても母の歌は続きます。
診察室に入る時にはしっかりと挨拶をし、先生からの質問には答えますが、それ以外は「かえるの合唱」。
「何か困ったことはありませんか?」という先生からの質問に、母ははっきりと「ありません」と答えましたが、私にはグループホームのスタッフさんから「先生に聞いて欲しい」と頼まれていたことがありました。
母は以前から不穏を抑える薬を飲んでいました。これは、ホームに往診をしてくれている内科医から処方されたものです。ところが風邪をひいて数日自室にこもった後、急にぼんやりとするようになり、足元がおぼつかなくなったというのです。件の内科医が「不穏の薬のせいかもしれない」と判断して薬を減らしたところ、ぼんやりはなくなったものの今度は不穏がひどくなり、「帰りたい」だの「お母さんに会いたい」だのと声を上げるようになってしまいました。
「ぼんやりするのも不穏になるのも、傍で見てるととても可哀想なんです。だから、物忘れの専門の先生のお考えを聞いていただけませんか?」とスタッフさん。薬の変更なども視野に、どうしたら母が気分よく過ごせるのかを相談してほしいとのことでした。
「かえるの合唱」を隣に聞きながら、「ぼんやりするそうです」「不穏になって声を上げるそうです」「一体どうすれば…」などと話していると、ふと母の歌が止まりました。そして、「帰りたい」という弱々しい声と共に母が泣きだしたのです。
ああ、ここまで不安定になってしまったのかと少し落胆しながら、私は「もう少し我慢してね」と母の肩に手を当てました。すると先生が母の手に自分の手を重ねて「ミカス母さん、大丈夫ですよ。僕がちゃんと考えますからね。ミカス母さんが安心できるように考えますからね」と。
母は「はい」と頷き、泣くのを止めました。
はっとしました。
母はわかっていたのです。
あまり思わしくない自分の状態。それについて助けを求める娘。いや、そこまで認識しているどうかはわかりませんが、少なくとも自分が問題の中心になっていることを察して不安になったのです。
もう少し母の感覚がはっきりしていた頃は、本人に聞かれたくないことや配慮が必要だと思われることは母のいない場で先生に伝えていました。それなのに、なぜ私は今の母に配慮は必要ないと思ってしまったのだろうか。先生は母の気持ちに気付いたというのに。
姪にその顛末を話すと、「ミカスちゃん、ばあちゃんはまだ心をなくしてはいないんだね。気を付けなきゃね。でも、なんだか良かった」
情けなさに身が縮みました。
母は私のことを妹の名前で呼び、時折歌を止めては「私、何も分からないの」と呟きました。その度に私は「分からなくても大丈夫」と言い、姪は「私が分かってることは教えるよ」と笑う。そのやり取りと「かえるの歌」でその日半分が終わりました。
診察後、姪が「おばあちゃーん」と呼ぶと、母は「はあい!」と満面の笑みで応えました。
変更した薬の効果を確認するために、今月末また母と病院へ行きます。次はしっかりと母の心の輪郭をとらえよう。歌の合間に母とたくさん話をしようと思います。
母の通院の日は少し疲れます。だから、出来合いのものを買ったり、とてもとても簡単なもので食事を済ませてしまうことが多いです。今日ご紹介する『好物三色盛り』はその究極。火、使わないしね。包丁さえあれば出来ちゃいます。あと一品欲しいな、と言う時にどうぞ。
好物三色盛り
- たくあんを幅5ミリ・長さ2センチほどに切ります。
好みの問題ではありますが、私は絶対的に黄色いたくあんをお勧めします。
なぜ?と聞かれると今一つ答えが見つからないのですが… - オクラは塩を振って板摺りした後にさっと洗い、ペーパータオルなどで水気をふき取ります。
その後、5ミリくらいの幅に切ります。
オクラ、さっと茹でてからカットするというやり方もありますが、私はシャキシャキとした食感が好きなので生のまま使います。 - 納豆は付属のたれか醤油を加えてよく混ぜます。
- 小鉢にたくあん、オクラ、納豆を盛り付け、真ん中に卵黄を乗せたら出来上がりです。
よく混ぜ合わせてそのまま食べるもよし。ご飯に乗せても、海苔で巻いてたべてもまたよし。
しっかりと焼いでバターを塗ったトーストに乗せても美味しいよ!
さて、母、次は何の歌を歌うんだろうな。
ミカスでした。
Naomi
― なぜ私は今の母に配慮は必要ないと思ってしまったのだろうか。
身につまされます。「不穏」は高齢者の介護で対応が辛いものの一つだと思いますが、渦中にいると「被介護者」というラベルでしか見れない時があったりしませんか?
私は母の不穏時に、ダンナ氏に「夜中のトイレ対応をたまにはやってほしい」みたいな愚痴をこぼして、「それはお母さんのプライドが許さないと思うよ」と返されハッとしました。真剣に対応すればするほど、必死に考えれば考えるほど、「被介護者」ラベルが分厚くなってしまう。介護にはそういう魔の時があるように思います。
「ぼんやりするのも不穏になるのも、傍で見てるととても可哀想」とおっしゃってくれる施設スタッフさん、素敵ですね〜。
病院だと「拘束もやむを得ませんので」ってすぐ電話かかってきますもん(苦笑)
そんな素晴らしい環境でも不穏になるのだから、やっぱり介護って難しいし、老いって奥が深いと思いました。
ミカス Post author
Naomiさん
「被介護者」というラベルでしか見れない…
そうなの。そうなんです!
ある程度の期間介護を続けてきてわかっていたつもりだったのに、個としての母を見ている時と無意識ながらも「被介護者」としてとらえてしまっている時があります。
「被介護者」ラベルを貼って処理をしようとしている、もしくは、処理してしまった自分に気付いた時の衝撃と自己嫌悪と言ったら…。
母をファーストネームで呼び、母の若い頃の出来事などを理解してケアをしてくださる皆さんには本当に感謝です。
それでも母は「帰りたい」と言うけれど、母が帰りたい場所はどこなのか、とことん追求してみたいような怖いような。
本人にも分からないのかもしれません。