犬でわかる。一度の経験で語れることなんてない。人生もか?
初めての犬だったパロンが、亡くなって4年後、いまの犬・スーを迎えました。「パロンがこうだったから、まあ、こうだろう」「パロンにはこうしたから、これで大丈夫だろう」。たかが一度の経験で犬を知った気になり、余裕をかましていました。
そのすべてが裏切られました。
まず、その大きさです。パロンは10キロでしたが、スーは17キロ。愛護団体の「12キロから14キロの間になるだろう」という推定をも軽く破り、すくすくとデカくなりました。たかが7キロ、されど7キロ。この違いは大きいです。パロンは何かあったらスッと抱きかかえられたけどスーはできません。「抱いて運ぶ」という対処法が不可能となって初めてわかる「抱いて運べる便利さ」よ!!
「抱いて運べる」ということは、持ち運びしやすいということですもんね。キャリーバッグに入れてどこでも連れていけるということでもあります。そういえば、パロンは自転車のかごも好きでした。あー。持ち運びしやすかった!
スーには、さらに「持ち運び」の点で困ったところがあります。それは車に酔って大量のよだれを流すこと。デカい上に車が苦手。まあ、デカいといっても17キロの中型犬なんですが、パロンを飼っているときとは違う「覚悟」や「算段」が求められると感じます。
この運搬困難な犬は、自力移動においては抜群の能力を発揮します。つまり、散歩が猛烈に好きで歩行距離が非常に長いということです。さらにパロンと決定的に異なるのは、「知らない道を開拓する」姿勢です。パロンが決して足を踏み入れなかった幹線道路沿いやJRの線路沿いなど騒音の激しい道もへっちゃら。小さな路地も住宅地も、どこにでも行こうとします。毎日が、大冒険。
道々で出会う犬も平気。誰にでも気軽に挨拶して、遊ぶ子とは遊び、会釈だけの子とは会釈だけ(つまりお尻の匂いをかぎあう)して機嫌よく別れます。ツイッターにしばしばアップしていますが、木や枝がことのほか好きで、気に入ったものを見つけると口にくわえて運び、いつまでも噛んだり、なめたり、放り投げたりしています。
不思議なのは、これだけ野外のテリトリーが広いのに家の中では狭いリビングから動かないこと。ソファの上とストーブの前、ベランダの一部だけを住まいとし、ほかの部屋には行きません。パロンが、誰もいない部屋でゆったり孤独を楽しんでいたのとは正反対です。
そういえば、パロンは野菜を一切食べなかったけれど、スーは、野菜も果物も大好物です。
2度目の犬でわかりました。犬は一匹一匹違うのです。パロンとスーは、何もかも違う。まるごと違うといってもいい。共通点は、犬ってことだけ。
一度だけの経験で語れることってほとんどないのでしょうね。わかった気になってはいけないのです。ああ。でも人生は一度だけ。しかも自分の人生だけ。生まれて、生きて、死ぬまでに「わかること」ってほんとに少ないのだろうなあ!(感慨)。
間もなく午前6時。しみじみしながら、今日も散歩に行ってきやす。
週末から雪の報道が続いています。犬の散歩に行く方も、そうでない方も、滑って転ばないようにお気をつけて。温かい部屋でオバフォーをじっくり読んで過ごすのもオススメです。先週の土曜日は、毎度楽しい連載ハラミさんの「Mサイズがキツい、アラフィフの『衣』の日々~ コレ、入るかしら?」と「カレー記念日今週のおかわり」が公開されていますよ。読み逃した方はぜひ。