ゾロメ日記 NO.82 「よもじ猫」オープン&猫の日 に寄せて
◆2月22日 「輪廻転生」 よもじ猫NO.2222 byつまみ
「もう生きものを飼うのはよそうや」
2011年の大晦日にマロ(雑種犬・雌)が死んだとき、義父が口にした言葉だ。
マロは知人からもらい受けた中型犬で、義父が、それはそれは可愛がった。可愛がることは予想できたが、あそこまで蜜月の十余年を過ごすとは思わなかった。
マロは散歩でしかおしっこやうんちをしなかったので、我慢させるのはかわいそうだと、義父は日に何度も、下手すりゃ、4回も5回も散歩に行った。もちろん、雨の日も雪の日も。そのせいで、義父とマロのコンビは近所では有名だった。義父の名前は知らなくても「マロちゃんのおじいちゃん」として義父は近隣にその名をとどろかせていたのだ。
だから、マロが死んだときの義父の言葉はやたら胸に沁みたし、これから大丈夫だろうかと心配になった。でも、義父の泣き言はそれだけだった。その後もマロの話題を避けるナーバスさは見せなかった。夫とわたしの方がずっとマロの不在を嘆いた。
とはいえ、義父の中でのマロの存在が薄れたわけではなかった。義父はしょっちゅうマロの夢を見るらしく、寝言でよく「マロ~」と呼ぶのだと、隣で寝ている義母が呆れ口調で言った。
マロがいなくなって2年が過ぎた頃から、夫とわたしは猫を飼いたいと思うようになった。義父母がちょっと退屈そうなのも理由だった。友達が譲渡会のことを教えてくれたので、それがどういうものなのか、まずは様子を見に行くことにした。2014年4月のことだった。
そこで、尻尾のない、推定年齢1才の三毛猫と出会った。夫がケージの前を通り過ぎようとしたら、「ミャー」と声をかけてきたのだった。世話役の、タナダさんというハツラツとした女性と、マツナカさんという非ハツラツな男性が口をそろえて「この子はとても臆病なので、ふだんは知らない人に声をかけたりしない。びっくりした」言った。夫とわたしは、いわゆるセールストークかと、あまり気にとめなかった。
夫がまず抱っこさせてもらうと、猫は全く嫌がらなかった。これにもタナマツコンビは驚きの声を上げた。タナダさんが独り言のように「さっき(別な人に)抱っこされたときは震えてたのに」と言った。次にわたしが抱っこしようとすると、猫は夫から離れたくないそぶりを見せた。ようやっと受け取ったわたしは、つきたてのお餅みたいな猫のあまりの柔らかさと、「自分が抱っこしたとたん震えられたらヤだな」という思いで恐れをなして早々にケージに戻した。
猫の可愛さにあっけなくKOされたわたしたち(特に夫)は、その猫を引きとることにした。
猫が来る日は奇しくも夫の誕生日で、夫は「こういうときに自由が利かなくてなんのための自営業か」と、誰もなにも言っていないのに高らかに宣言して仕事を休んだ。猫は、タナマツコンビに連れられて、東京の西部から東部のわが家に、2時間近く車に乗ってやってきた。
到着後、労をねぎらうと、タナダさんが「フシギなんですよ。ずっとおとなしかったのに、道を間違えたときだけ一声鳴いたんです。まるで、これから行く場所がわかってて『そっちじゃない』って言うみたいに」とさほどフシギでもなさそうに言った。
えっ?
義父は、マロが死んだときに言った言葉などすっかり忘れたように猫を可愛がった。義母も猫可愛がりした。猫が義父母の部屋に行くと、揃って名を呼んで、抱っこ争奪戦を繰りひろげた。ふたりが呼びやすそうな「ミィ」という名前にして良かったと思った。でも、ミィちゃんがダントツに好きなのはどう見ても夫なのだった。
ミィちゃんが来た1年後、義父は視力をほとんど失った。でも、わずかに残った視野の中をミィちゃんが横切ると必ず気づいて「今、ミィがそこにいるね」とほぼ正確な場所を指さした。たまにそれは掃除機だったり座布団だったりもしたが、夫とわたしは「うん。今までそこにいた」と言った。間違いを差し引いても、義父のミィちゃん察知力はちょっと神がかっていた。まるで、長く一緒にいて気配でわかるみたいだった。
ねえ、やっぱりあーた、もしかして…
義父が入院し、退院はもとより、一時帰宅も難しいとなった去年の1月、病院に詰めていた夫が病棟の看護師さんになにげなく「もう一度、父親に猫を抱かせてやりたい」と言ったところ、その直後、ナースステーションでは「月亭さんに猫を抱っこさせる方法はないか」という緊急ミーティングが開かれたらしい。残念ながら、その直後に義父の容態が悪化して叶うことはなかったが。
去年の夏、義母が入院したときも、ミィちゃんの存在は義母のリハビリのなによりのモチベーションだった。義母は何度も「ミィちゃんに会いたい」と口にした。
どう考えても、これはあれだよねえ。
とにもかくにも、今、ミィちゃんは、足の状態が思わしくない義母の心のオアシスだ。義母は痩せていて手が冷たいので、義母の膝の上はミィちゃんにとっては居心地のいい座り場所ではないらしく、長く自分のところに居てくれないのが義母の現在の大きな悩みだ。
1日に何回、義母の「あー、また膝の上から飛び出しちゃった!おばあちゃんのところから降りても行くところなんてないでしょっ!」という嘆きの声を聞くことか。そのうち、ミィちゃんの「いや、いっぱいあるんですけど」という返事が聞けるかもしれない。
ミィちゃんは家に来た当初からとても臆病で、今も家人以外には懐かない。たまに来客や親戚に抱っこされると、1分後にはぶるぶる震え始めるし、家人以外の前ではよほどのことがない限り、声を発しない。自分から声をかけるなんて金輪際ない。
譲渡会のときはタナマツコンビのセールストークだと聞き流していたことが、どうもまったくそうではないらしいと思い知る一方の日々だ。フシギだ…っていうか、結論はここにしかたどり着かない。
ミィちゃんはマロの生まれ変わりだ。
えっ?やっぱりヤバいですか、わたし(笑)。
by月亭つまみ
【木曜日のこの枠のラインナップ】
第1木曜日 まゆぽさんの【あの頃アーカイブ】
第2木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊 切実本屋】
第3木曜日 はらぷさんの【なんかすごい。】
第4、5木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 ゾロメ日記】
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
まぁ
つまみさん、こんにちは。
今回の記事を読んで思い出したことがあります。
私の友人は昔、大学生活を断念するほどの重い病を患い郷里で闘病していたのですが、容態は深刻になるばかりでついにはドクターからご家族に覚悟してください、と宣告されたそうです。
ところがその数日後、彼女の愛犬がなんと彼女と同じ症状になりあっという間に亡くなってしまいました。
愛犬が亡くなってから彼女は回復に向かい無事退院。
今も元気に暮らしています。
彼女も彼女のご両親も、愛犬が全部引き受けて持っていってくれたんだと信じてます。
この話を何度となく聞いた私もそう思ってます。
それ以外考えられないですよね?
だからミィちゃんはマロちゃんの生まれ変わりだと思います。
そんなことってあると信じてます(^^)
つまみ Post author
まぁさん、おはようございます。
わー、貴重でフシギで深淵なおはなしを教えてくださってありがとうございます。
そうですかあ。
動物と暮らしていると、今までの自分の領域みたいなものでは説明できない出来事がけっこうあって、じょじょにそれに対して「ん?」と思うハードルも下がりますよね。
「人間の常識や尺度なんて狭いんだろうな。生きとし生ける物の世界はずっとずっと広くて、不可思議さに満ちてもいるんだろうな」と思うようになり、フシギはフシギのままで受容したりします。
でも、それにしても、まぁさんのお友達の話は、ちょっとすごいです。
人も動物も、思っているよりずっとずっと感応し合って生きているのかもしれませんねえ。