【月刊★切実本屋】VOL.32 ああ、一人芝居
家の中のモノを一気に減らした。複数のたんす、寝具、テーブル、イス、衣類、食器、そして雑多な(思い出の)品たち…。手元に残したモノの方が少ないかもしれない。
断捨離とかダウンサイジングなどという信念とは無関係の、ただただスペースの都合での「敢行」だったけれど、やってみたら心地よく、今ではまるでそうすることが必然だった気さえしている。われながらとんだご都合主義者だ。
数をいちばん減らしたのはなんといっても本。
本棚3個に2列入れしていた量を、クローゼットの棚3つ分に減らした。またもや2列入れはしているが、かなり処分した。しかも、残した8割は夫の本で、私のは「エースをねらえ!」全巻と大島弓子、田渕由美子、くらもちふさこなどのコミックスが少し、そして、一度読んだがこれからも読むであろうと厳選した(?)わずかな単行本と雑誌。
若いときは、本に囲まれた、なんなら本に埋もれた、部屋が理想だ、ぐらいに思っていた。でも徐々に気持ちは変わってきた。どうしても手元に置きたい本はあるけれど、本をたくさん持ちたいとは思わなくなった。本好きの醍醐味、本屋での衝動買い、大人買いもほぼしない。
初版本とか稀覯本への執着もない。本という形状は好きだけれど、こだわりはあまりなく、人にすぐあげてしまい、あげたことすらすぐ忘れる。無類の本好きには舌打ちされそうである。
自分でも、つまらない人間に成り下がったものだと思わないでもない。若くないし、特に趣味もないのだから、せめて本ぐらいケチケチせずに買えばいいのに、ともうひとりの自分が呆れたりもしている。…ああ、一人芝居。
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自分の中のせめぎ合いはせめぎ合いとして、今回はとにかく、減らさざるを得ないことに疑問の余地はなかったので、チャッチャカチャッチャカと選別した。そして、処分を決めた本は、近所の、障がいを持った人の就労支援の特定非営利活動法人に寄付した。
古書店に売れば少しはお金になったのだろうが、最終的にはそういうお店やネット販売に行き着くことになるとしても、自分たちにではなく、障がい者の就労支援にいくばくかのお金が落ちる方がいい気がした。作業所の前をよく通っていたので、彼らの通勤や、時に楽しそうに本のクリーニングをしている様子を見ていたせいもある。
でも、なんだかんだ言いつつ、本の寄付は、善意というより本を処分することに対する罪悪感との相殺のようなもののためだったかもしれない。
★★★★★
ところで、モノを減らすための取捨選択作業していると、それがなんであれ、時間と共に、感情も感覚も麻痺しがちだ。だから判断を誤る。
モノを減らすこと自体はやってみたら心地よかったとはいえ、今回もあとになってから「どうしてあれを捨ててしまったんだ!?」と後悔したモノが、食器にも衣類にも本にも複数ある。
本では…たとえばキース・ピータースン。
1990年初頭に刊行された新聞記者ウェルズシリーズの『暗闇の終わり』『幻の終わり』『夏の稲妻』『裁きの街』の4冊。確か、その4冊がシリーズ全てだったと思う。
全部3回ずつぐらい読んだ。当時、私の中では海外ハードボイルドシリーズのベスト3に入っていた。
(あと2つは、ローレンス・ブロックの「マット・スカダーシリーズ」とロバート・B・パーカーの「スペンサーシリーズ」…かなあ)
新聞記者という設定も斬新だったし、ハードボイルドのわりには静かな雰囲気なのが好みだった。同僚の女性記者も魅力的で、芹澤恵さんの訳も良かったっけ。
なんで捨てちまったんだ!あの頃、「このシリーズはもっとトシを重ねてからまた読むだろう」と思ったのに。30代前半の自分、怒ってるだろうな(?)。
しょうがない。そのときは木皿泉さんの小説&ドラマ『昨夜のカレー、明日のパン』で、ヒロインのテツコが言った言葉で立ち向かおう。
「手放すってことは、裏切ることじゃないよ。生きる方を選ぶってことだよ。」
ああ、一人芝居。
by月亭つまみ
okosama
本、減りましたねー!
本棚公開の回がありましたね?
かぶった本探しをしたような(笑)
http://dosuru40.com/zorome-comeback/15586/
つまみさんも私も、5年間で色々ありましたね。
爽子
本の処分は、とてもつらいです。
なので、時間がかかっても、ほぼ図書館を利用するようになりました。
断捨離もトキメクお片付けもなかなかできませんが、あるとき、スイッチがはいってしまい、結構なスピードで処分してしまうことあります。
寄付ができたなら、最高です。
わたしも一人芝居に付き合おう。せ~の。(この時点で一人ではないよね。)
凜
つまみさんこんばんは。
本の処分たくさんされたんですね。私も先日近所の図書館に、予約件数が多くて蔵書数が少ないものを選んで寄付しました。ブックオフにもっていけば確かにいくらかはお金になるけども、ものすごく殺伐とした気持ちにさせられるんですよね・・・。
図書館の方が、たまたまそのシリーズ本のファンで、ものすごく喜んでもらえました。
その本も、持っていても良かったんですが、持っていることが重たく感じることってありますよね・・。
あ、おすすめの「母親ウエスタン」読みました!母性からくる飢餓感というのか、あの行動力、そして去られた後の子供たちの切実な慕い方・・でもやっぱりこれからもウエスタンしていくんじゃないかなーという含みがありますね。
つまみさんスペンサーシリーズもお好きなんですね!
どっかの大企業の副社長が英語の教材に勧めてて原書読んでみたものの10pくらいで挫折しました・・・。
Jane
30代後半か40代前半に、すべての本を処分しました。結婚以来引越しが多く、ついにアメリカに引っ越すことになった時、親に荷物を残していくことに文句を言われ、夫に本は一冊も持って行ってはいけないと言われたからです。
それ以来基本図書館で借りています。
かなり前ですが、ここで漫画について語った企画がありましたね。だいぶ私が好きだった漫画が出ていたのですが、今思えば「日出処の天子」くらいは実家にこっそりとっておいても良かったかもしれないと後悔していました。
日本語補習校の中の図書館には漫画が結構あるのですが、その中にもなく。
ところが、つい先日、地元の巨大図書館の、ほとんどだれも借りる人はいなくなったであろう古い本やビデオなど集めた上階の、小さな外国書籍のコーナーの、これまた少ない日本書籍の中に、唯一の漫画として「日出処の天子」があるのを発見。ここには七年住んでおり図書館通いは日常でしたが、今まで気が付きませんでしたな。
ずっとここで眠っていたのですか、厩戸の王子よ。
と思い開いてみましたが、なんだか遠い世界のもののようで全然入り込めない。借りる気も起きませんでした。
変わったんだな、自分。
もし今度また引っ越すとして、手放したくないと思うようなものはもう何一つない。
ところで、定期的に見かける方で、厩戸の王子によく似た日本人女性がいるんです。あの切れ長で冷たそうな眼と無表情なしれっとした佇まい。笑ったところをみたことがない。いつも一人。
素敵!とか友達になりたいとかではなく(畏れ多い、というか、なんか怖い)妙に心がざわざわしてしまい、意識せずにはいられない。つい見てしまうので、向こうも私を見る。
多分今後も言葉一つ交わすことなく終わるんだろうけれども、なんだかあの人を知っているような気がする(錯覚)。
だからどうということもないんですけれども。
つまみ Post author
okosamaさん
わおー!発掘ありがとうございます。
まさに5年!
ずっと長いこと、3つの本棚でやってきて、この記事のときは2つだったのでした。
その後、結局またもう1つの本棚にも侵食して、最終的には3つだったのだという、月亭旧ハウスの本棚事情を、okosamaさんのおかげで脳内年表にすることができました。
いろいろありましたねえ、お互い。
そして、これからもいろいろあるんでしょうね。
残りの人生、いいことばかりじゃないのは目に見えてますが、笑う時間、わくわくする時間はなるべく減らないで欲しいものです。
つまみ Post author
爽子さん、こんにちは。
スペースが許せば、管理能力があれば、モノなんて減らさなくてもいいと思うのです。
どっちもないもんで(^_^;)
古本は平気で買うくせに、本を古本屋に売る行為が苦手です。
査定されるのがイヤなのかも。
安く買い叩かれて「っち!」と思うのも、たまに高い値がついて、ラッキーと思う自分も、なんかイヤかも。
じゃ、二人芝居でも一緒にやりますか。
チケット、捌けるかな(^O^)
つまみ Post author
凛さん、コメントありがとうございます。
殺伐とした気持ち、わかるような気がします。
図書館ですか。喜ばれてよかったです!
私はつい、近くて、取りに来てくれるところを選んでしまいました。
「母親ウエスタン」の感想、ありがとうございます。
深刻なような、お気楽なような、フシギな世界でした。
でも現実って案外そうですよね。
百%善意とか、すべて整合性のとれた状況なんてそんなにない気がします。
スペンサーシリーズ、好きだった、という過去形なのですが、当時は、マッチョさも、予定調和さも新鮮で面白くて、新刊が出ると勇んで買いに行きました。
菊池光さんのアクの強い訳も好きでした。
原書はとうてい無理なので、菊池さんには恩義を感じています(ウソ)(^_^;)
つまみ Post author
Janeさん、コメントがなんだか短編小説のようです。
本にまつわるエッセイ、としてもいいですねえ。
本を介して、自分が変わったこと、世界は同じところにとどまっていないこと、を意識させられるってけっこうありますね。
同じ本を読んでも、感じることはその都度違うし。
若いときは心に響いたのに、時を重ね読むと全然ピンとこなかったり、その逆も。
だからこそ、生きてるのは楽しい(時には辛かったり苦しいけれど)気がします。
今感じる思いは絶対じゃないって、なんかいいです。
厩戸の王子に似た日本人女性、なんだかイメージが湧きます。
私の抱くイメージはまとっぱずれだったりしますが、ああ、あの感じ、と思ってしまいます。
既視感が漫画由来なのか、もっと幻想的な説明しようのないものなのか。
私が考えても、答えはでないのですけれども。
Jane
つまみさんだったでしょうか、いつかカレー短歌で、人見知りしてる暇はないってうたわれたのは。
それを思い出して話しかけてみようかなーと何度か妄想したんですけど。「あの、あなたは山岸涼子の漫画の登場人物に似ていますね」。どこがと言われたら困るな、だって病的な、クセのあるところが、似てるんだもん。
つまみ Post author
Janeさん、その短歌、わたしですわたしです!
確かに、山岸凉子の漫画の登場人物はこぞって個性的なので「似ている」と表明するハードルは高いですね。
病的もクセも、決して揶揄してるわけじゃないと理解されるのはけっこう難しいかも。
でも、言いたい気持ち、すごくわかります。