◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第51回 なんでだろう~は テツandトモ
2005年~2010年に勤務した公共図書館は若い女子が多い職場だった。新館オープンに伴い、わりと大人数がいっぺんに採用され、わたしもそのうちのひとりだったのだが、良く言えば個性的、ふつうに言うと、めんどくさい女子の巣窟だった。最年長のわたしは、同世代の女性上司AAさんと、折に触れ「ここは一人一派閥の職場だからなあ」と呆れ顔で言ったものだった。まだ、はらぷさんとは出会っていない頃のことである。
職員の中に、タケダさんという女性がいた。トシは30歳ぐらい。華やか系のキレイな人で、一見、彼女こそめんどくさい代表かと見紛うような、ちょっと派手めのファッションとビジュアルだったが、違った。ノリがよく、仕事上ではめんどくささのない、ざっくばらんな人だった。タケダさんは視聴覚資料担当だったが、彼女がAV機器に囲まれたブースで、美しいネイルが施された華奢な指で手際よくCDケースを開け閉めしているさまは、美しくてかっこよかった。
タケダさんは、少し鼻にかかった声でゆったり話す人で、口癖は、話のちょっとしたすきまに挿まれる「なんだろう」だった。今でこそよく耳にする「なんだろう」もしくは「なんだろ」だが、当時はさほど一般的ではなかった気がする。少なくても、わたしが知るこの言葉の最初のヘビーユーザーは、タケダナミコさんその人だった。
正直、「なんだろってなんだよ?」と思わないでもなかった。でも、自分のペースが揺るぎなくあるタケダさんが、(いい意味で)もったいぶったように放つ「なんだろう」には、母における「たらちね」のような、彼女がこれから口にする見解全般の枕詞に近い様式美があった。なんなら、「近う寄れ」や「苦しゅうない」に匹敵すると言っても過言ではない(ちょっと過言だが)、ある種の威厳すら感じられた。
タケダさんが「なんだろう」と言いながら自分のこめかみや耳にかかった髪を細い指で払うのを見るたびに、わたしはうっとりした。そして、タケダさんは女子じゃなくて女性だな、きっと、もっと若い頃からそうなんだろうな、それに比べて自分はいったいなんなんだろうな、と思ったりした。
猫も杓子も「なんだろう」と言って憚らない現在だが、わたしはタケダさん的文脈(?)で使用したことがない。なぜ断言できるかというと、意識して使っていないからだ。
「なんだろう」が、人々の「考えつつ表明する見解」の枕詞として世を席巻する以前は、同じ局面で使われたのは「なんというか…」や「なんて言ったらいいか」、もしくは「え~と」「あのう」「う~ん」だったと思う。でも、「なんだろう」の方が収まりがいいし、もたつかないし、洒落ているので、人々は好んでこの言葉を使うようになった。特に、知的、もしくは自分が知的だと自覚がある人ほど、会話や自分の意見の空白を埋めるように無意識に挿入している印象がある。
「なんだろう」には、考えながら話しているだけですわたしはバカでもグズでもありません、のニュアンスを感じる。オフィシャルな場には適さない(「なんでしょう」は長嶋茂雄以外に聞いたことがない…古い!)が、だからこそ、「なんだろう」の遣い手は「ここは『なんだろう』を使っていい場面!」の見極めが迅速で、敵ながら(敵なのか?)あっぱれだ。
わたしが使わないのは、タケダさんによって、この言葉は畏れ多いという妙な劣等感が植えつけられたからだ…というのはたぶん建て前。言いよどんだり、的確な言葉が見つからない「間」を繋ぐ言葉として、「なんだろう」は若干潔くない気がするからかも。「なんだろう」とコールされるたびに「なんだっていいよ」もしくは「知らんがな」とレスポンスしたくなるし、「それにしても、タケダさんの『なんだろう』は別格だったなあ。パイオニアよ永遠なれ!」と目を潤ませてしまう(言い過ぎ)。
ちなみに、タケダさんにはどうしようもない元カレがいて、その元カレと、上述のAAさんのどうしようもない元夫の出身大学が同じだったと、AAさんが大笑いしながらわたしに教えてくれたことがある。「奇遇ですねえ」と一緒に笑ったが、よくよく聞いたら、それはわたしのどうしようもない父親の出身大学でもあった。
「奇遇どころじゃないですよ。『どうしようもない三役』そろい踏みですよ!」と驚きのあまり、意味不明な反応をしたわたしが、念のために父親の学部名を言うと、AAさんの元夫も同じだった。マジか。
怖くて、タケダさんには元カレの学部名は聞けずじまいだった。もしかしたら、聞いたけれど記憶から抹消したのかもしれない。
今年の総括的結論。東京のX大学法学部出身のダメ男率は高い。(どうでもいいわっ!)
by月亭つまみ
Jane
いろいろ心の中でツッコミ入れたくなる枕詞ですよね。そんなに今多用されているんですか。知らなかった。
つまみ Post author
Janeさん、こんにちは。
さりげなく、ちょいちょい挟む人、ホントに多いですよ。
すかさずツッコミを入れたくなる人と、そうでもない人がいますが、自分でもその基準はよくわかりません。
「なんだろう」を含めた自分の見解を、人は拝聴して当然と思っているかいないかですかねえ。
あ、また敵を増やすかも(敵なのか、とまた書いてしまう)。
Jane
最後にその日本語を生で聞いたのは、もう既に数年前、一対一の会話で。言った方はその後アメリカの大学で博士号をとって教鞭をとられるようになった中年男性で、さもあらんでした。好感度の高い方ですよ、でも「なんだろう」という言葉以外、話されたこと、覚えてない。この会話の内容すべてを凌駕する「なんだろう」の威力、なんだろう…。
つまみ Post author
Janeさんとわたしを悩ます「なんだろう」問題、他の人はさほど気にならないのですかね。