◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第57回 なにかとanniversary
好きだった人やモノが、いつのまにかそんなに好きじゃなくなることは、ある。ままある。なにかのきっかけで「あーそういえば好きだったなあ」と遠い目をするとき、そこにあるのは郷愁だけではない。ちょっとしたうしろめたさ、情けなさ、困惑‥。自分の気持ちの変化に対しての驚きもあったりする。
好きじゃなくなることは、寂しくて気楽だ。体型を整えるためのガードルを履かなくなることに似ているかもしれない(たぶん似ていない)。その手の感情を手放すことは、年々増えている気がする。
とはいえ、執着が増している分野も少しはあるにちがいない、そう思って脳内を捜索してみた。でも思い当たるのは軒並み健康方面で、これこそが加齢なんだろうなと、定年と諦念が手に手をとってテイネンに一体化している図が浮かんだ。今、小田嶋隆著の『諦念後 男の老後の大問題』を読んでいるせいだろう。ああ、小田嶋さんの文、おもしろい!亡くなってから気づいた。
そんななか、わが偏愛ドラマ「すいか」は初回放送から今年で丸20年になった。
2000年に母を亡くし、2004年には同居する義母がわりと大きな首の手術をし、2006年は1年の闘病の末、長兄が力尽きた年だ。「すいか」は、わたしにとっては激動の2000年代前半のど真ん中に放送されたドラマだったのだ。
第1話を見たとき、「ちょっと変わったドラマ!新鮮!」と思った。続きが見たくなり、心地よさは徐々に滋味に変わった。ドラマのなかには、おいそれとは言語化できない気持ちや、一般的には重要事項扱いされてはいないものの生きるよすがになる日常などが、押しつけがましくなく、結論を求めず、雑多なテイで存在していた。そのなかから自分に必要なものを見つければいい、という意味で成型されていないと感じるドラマは、それまでわたしのテレビドラマ視聴歴になかった。
そして、第9話はまさに「20年後」がテーマだった。母親の呪縛にからめとられて幸せじゃない20年後しか想像できないヒロイン基子(小林聡美)が、母親(白石加代子)におもいきって自分の気持ちを話す。聞いたせつなは反発する母親だったが、その後思いもかけない行動をとる。
8話と9話は、全体からみるとはちょっと暗めなのだけれど、その分、人の心の深部にまで気持ちが行き届く回だった。
で、このたび、その20年後が実際に来てしまったというわけだ。
まさか20年後がこんなに早く来るとは思わなかった。そして、「すいか」がまだこんなに語られているとも思わなかった。今年が記念すべき年だということと、今年の前半にあの「あさイチ」の推し活特集で、この20年ずっと「すいか」を推し続けている方が取り上げられたこともあって、今、わたしのTwitterのタイムラインには「すいか」の話題が飛び交っている。本当にすごいことだ。
20年経っても、このドラマの魅力は自分のなかで色褪せていない。とはいえ、気持ちの濃度はずっと同じというわけではない。人も世の中も変わっていくものだから当然だ。でもそんな変化のなかでも、自分は居ていいのだ。変化しようとしまいと。そう教えてくれたのはこのドラマだ。
この20年の、特に前半は、いわゆる「聖地巡礼」もした。それで、ドラマに近づき、なんとならばその世界に自分も入りこみ、すぐそばに登場人物たちがいるような、自分の日常と続いているような気持になった。それは思いのほかうれしかった。でも、行動することが「好き」のバロメーターだと思ったわけではない。気持ちを他の複数の「すいか」ファンと共有したいともあまり思わない。わたしはきっと、今年開催される「すいか」のアニバーサリーイベントに、エールは送りながらも参加はしないだろう。
理由は自分でもよくわからない。誰かとサシで語り合うならかけがえのない親密な時間になりそうだが、集いに飛び込むのは、勇気以外にも処理しなければいけない感情がわたしにはあるのかもしれない。
ここまで書いて、ああ、これって、まさにオバフォーのイベントにおける読者の方々の気持ちなのでは?と思い至る。フットワーク軽く来てくださる人もいれば、行きたい気持ちはやまやまでも躊躇する人もいらっしゃるであろうことが、自分を鑑みてもわかる。前者もありがたいが、後者の存在の想像もある種の励みだ。
「すいか」が20周年、このサイトは10周年、皇太子(当時)と雅子様のご成婚から30年、そしてわたしは結婚40周年、なにかとanniversar yearだ。‥ま、最後のはとってつけたわけですけどね。
by月亭つまみ
アメちゃん
つまみさん、こんにちは。
私も好きなものへの情熱が続かないので、うしろめたさとか情けなさって分かります。
その昔、ひょんなことから市川雷蔵にハマった時期があって
映画のビデオテープは買い漁るわ、写真集は買うわ
京都までポスター展にも駆けつけるわで、
そしてつまみさんと同様、雷蔵さんの空気を感じたくて
大映当時住んでたらしい京都の鳴滝まで行こかなーなんて
思ったこともありました。
結局は行かなかったんですけど、情熱はシューっと引いてしまって
ビデオテープも処分してしまいました。
最近、三島由紀夫の「金閣寺」を読んで
雷蔵さんがこの原作の映画に出てたから、そういや好きだったなぁと
一冊だけ手元に残してた写真集を見返したりしてます。
でも仮にファンイベントがあったとしても参加はしないと思いますね。
同志でも、人と群れるのがニガテだからかもしれません。
つまみ Post author
アメちゃんさん、こんにちは。
市川雷蔵!
渋かっこいい!!
ハマったときの情熱って、あとで思い起こすと尋常ならざる行動力だったりしますよね。
ビデオや写真集収集もイベントまでの距離も、ハードルが上がるほど燃えたりして。
私も、つかこうへいの演劇にハマっていたとき、当日券のために、ほぼ始発で紀伊國屋ホールのチケット売り場に並びましたが、その時点からすでに高揚感いっぱいでした。
あの頃の情熱‥まぶしいです。
すごく不遜な言い方をしてしまいますと、自分の好きなものって、それについて自分が誰よりも「わかっている」と思っていたいわけです。
自分のものさしですから、それはそれでいいんじゃないかとも思うわけですが、もっと下世話で、ファンの集い的なもので、それを壊されたくないというか、井の中の蛙大海を知らずのままでいたいというか。
器量が狭いですね、われながら(^^;