◆◇やっかみかもしれませんが…◆◇ 第62回 姉妹のやっかみ
今月はじめ、母の妹が亡くなった。享年九十四歳。二人の息子KちゃんとYちゃん(従兄)が別々に最期の数か月の様子をメールで報せてくれたのだが、どちらの文面にも「大往生だと思っている」と記されてあった。最晩年、会うことはかなわなかったが、本当にそうだったのだろうなと思う。
メイコ叔母さんは母とふたつ違いで、ふたりは似ていないけれど似ていた。目の印象は違うのだが、顔の下半分や背格好、雰囲気には通ずるものがあった。ふたりともめがねをかけていたせいもあって、遠目にはそっくりに見えることもあった。
わたしの結婚式は40年前に身内のみでつましく開催されたが、艶やかなブラウスと黒のロングスカートで颯爽と登場したメイコ叔母さんを見た新郎(夫)側の親族はこぞって「つまみちゃんのおかあさん、今日はずいぶんハイカラだこと」と思ったそうだ。そして、直後に式場の控室から留袖の着付けを終えて出てきた母を見てこぞって「えっ!?」となったらしい。母には幾度も会っている夫ですら「もう少しのところで初対面の叔母さんに気安く声をかけるところだったよ」と言った。それを聞いた母とメイコ叔母さんはそろってきょとんとしたが、その表情はとてもよく似ていた。
そう、メイコ叔母さんはハイカラというかオシャレだった。
私が小学生の頃まで、夏休みになると、福島県中通りの県北と県南でそれぞれ家族と暮らす母とメイコ叔母さんは、こどもたちを連れて会津の実家に帰省して数日間過ごすのがならわしになっていた。実家近辺に居をかまえた母の兄弟家族も来て、要するに一族郎党が集結して夏の数日間を過ごしたのだ。
祖父は昭和30年代末に急逝してしまったので、母の実家=ばあちゃんち だった。ばあちゃんは孫たちに容易く甘い顔を見せる人ではなかったが、10人いた孫を分け隔てなくクールに扱った。わたしは下から3番目だったが、次に生まれた従妹弟とはけっこう年が離れていたので、長らく末っ子的立ち位置だった。メイコ叔母さんの長男Kちゃんと今は亡きわたしの長兄が年長組で、そこから男ばかりが4人続いていたので、夏の数日間のばあちゃんちは本当ににぎやかだった。
ばあちゃんちに滞在中、わたしはメイコ叔母さんのすっぴんを見ていない。いくら早起きしても、叔母さんはもうきちんとお化粧をしていた。頭に古式ゆかしいカーラーを巻いたままのときはあっても、顔は出来上がっていた。よほどのお出かけ以外は化粧をしなかった母と叔母さんのいちばんの違いは、ファンデーションが塗られた肌の質感、はっきり色味のついた口元だったような気がする。
かてて加えて、母に何度か「わたしは要領が悪かったのでばあちゃんにしょっちゅう怒られていたが、メイコが怒られるのを見たことがない。利発で要領がいいから、わたしを見てどうすればいいか学んだのだろう」と聞かされていたこともあって、わたしのメイコ叔母さん観は「人をよく観察して効率よく動く人」で、叔母さんの前ではちゃんとしなくてはと少し緊張した。
そうなのだ。母はときどき、妹に対する羨望ややっかみを表明することがあった。それはほぼ以下の3つ大別される。①気質 ②文字 ③結婚 だ。
①は上述のとおりで「利発で要領がいいこと」に対して、だ。
②は疑問だった。メイコ叔母さんの年賀状を見るたび、母は「メイコは字がうまい」としみじみ言うのだったが、母の書く字がメイコ叔母さんよりそんなに下手だと思ったことはなかったからだ。母の書く文字は読みやすく堂々としていたし、なんなら最初に「字はその人を表したりしない」と思ったきっかけは母かもしれない。なのになぜか母は妹の字を羨ましがった。わたしが異を唱えると「こどもにはわからない」ぐらいの反応を示した。
そして③だ。これはとてもわかりやすい、ある意味、ステレオタイプの失敗例、成功例だ。母からにじみ出る「妹の旦那は、堅実な仕事をし、夏の帰省が夫同伴でも明らかなように円満を絵に描いたようだ。それに比べて自分の夫は、帰省に同行したことはないし、銀行員として出世コースを歩んでいたはずが、いつのまにか脱サラをして、人生がギャンブルのような生活だ、飲む打つ買うの『飲む』は無縁だがあとのふたつは‥わたしはなんと不幸な女なのだろう」という思いは、こどもにも手に取るようにわかった。だから離婚することになったと知っても驚きはゼロだった。
ただ、母はこどもを比較したことはなかった。メイコ叔母さんにはふたりの息子がいたが、ひとりは国立の医学部を出て医者になり、もうひとりも有名私大を出て公務員になった。ある種の親から見ると理想のコースで、母は「ある種の親」のど真ん中のような人だったはずだ。でも、それを羨むようなことは一度も言わなかった。羨まし過ぎて回避している感じでもなかった。そこは母の美点と思われた。
そうではなかったことを知ったのは母が死んだときだ。メイコ叔母さんはわたしに「ねえちゃんが羨ましかった」と言ったのだ。思わず「へっ!?」と反応すると、「いつも娘がいることを自慢していたから」と。
母が唯一、妹に自慢できるのが、自分には娘がいることだったらしい。母に対してなにかと冷淡な「わたし」を特定してでは必ずしもなく、娘という存在の有無を誇示していたものと思われる。
なんだよ、それ。くだらねえな。やっぱり器がちっちぇ女だったな。なんかおかしいと思っていたんだよ。あの母が羨ましがらないわけがないって。そうか、逆マウントをとってやがったか。しかも、わたしという最弱武器ひとつで。徒手空拳か。無謀にも程がある。
そんなショックを内々に収め、叔母に対して間髪入れずに「でも、KちゃんとYちゃんがいいお嫁さんをもらってふたりも娘ができたじゃないですか」と返した自分を褒めてあげたい。本当にそう思っていたから言えたわけだが。実際、叔母さんはまんざらでもない顔をした。よかったーと思った。
やっかみなんて、裏を返せばかなりの確率で「やっかまれたい」なのだと、そのとき知った気がする。こだわりがある箇所だからやっかむし、それはやっかまれたい箇所でもあるのだろう。そう解釈すると②も腑に落ちる。ものすごく落ちる。
あの世で20余年ぶりに姉妹がそろった。これからは思う存分、姉妹仲良く、なんなら時にはマウントをとりあって、よろしくやったりやらなかったりしてほしいものだと、笑いたいような泣きたいような気持ちで思っている。
by月亭つまみ