【月刊★切実本屋】VOL.26 お笑いと信用
先日、ミカスさんとお昼を一緒に食べました。
ミカスさん、おかあさんがグループホームに入り、肩の荷が少し下りた…かと思いきや、介護形態の変化と共に、在宅介護とはまた違う肩の重荷を感じている由。
介護、まったく一筋縄ではいきません。ミカスさんはさらに、親戚の伯母様のキーパーソンにもなっていて、その方の入所施設のお引越しも加わり、このところは関東圏の端から端(ざっくりした私の脳内イメージ)を頻繁に行き来するという物理的な負荷も担っているのです。
そんな忙しい中、介護+αに翻弄され、やさぐれ気味の私に「移動線上で会ってランチしませんか」と声をかけてくれたのです。ありがたいことです。
ランチの話題は、リアルタイムのお互いの介護についてはもちろん、仕事を含む将来や、お年頃特有の健康への不安、そしてなにより「昨年開催したこのサイト主催のイベント【カイゴ・デトックス】のこれからについて」でしたが、いやあ笑った!
シリアスな話も、いつのまにか(すぐに?)脱線して、くっだらない喩えや突拍子もない妄想ワールドになり、お腹の皮がよじれるか攣るかと思うほど笑い転げました。あんなに笑ったの、久しぶりかも。そしてミカスさんには逢瀬後、「つまみさん、どれだけお笑いが好きなんだ?」と総括されました(?)。
確かに、限られた時間の中で、私は、キングコングの西野、雨上がり決死隊の宮迫、そして次長課長の名前を出しました。お笑いの話自体は全くしていないにもかかわらず、です。「今後のカイゴ・デトックスをどうする?」「これからの運転資金はどうしよう」という案件に、もれなくお笑い芸人の名前を出す女…そりゃあ、どんだけ好きなんだ?!と思われて当然かも。
思えば、私は今日までお笑いに支えられてきました(遠い目)。
ライブに足繁く通ったとか、その手のテレビ番組を見まくった、という意味ではなく、自分の思考形態とか、言葉の選び方、物事の見方、ピンチの切り抜け方…などなどに、どれだけ影響を受け、救われてきたか…。これって、決しておおげさではありません。
これからも自分は、気の利いた人生訓や、深すぎてピンと来ない哲学などより、ついついクスッとしてしまう「今そこにあるお笑い」の方を優先して生きていきたいです。
ところで、
私はこの一年強、懸案まみれで、なにひとつ解決せず、脳内の未決箱が溢れかえっているのですが、ここにきてまたあらたな心配事が勃発し、非常に鬱々としています。そして、伊集院光著『のはなしし』で少し気を紛らせてもらっています。
伊集院光がお笑い関係者かどうかは意見が分かれるところかもしれませんが、そこは元落語家ってことで。
伊集院光といえばラジオ、のイメージがありますが、私はさほど彼のリスナーではなく、テレビの生活情報番組やクイズ番組、特に「100分de名著」の進行役のファンです。
頭の良さや滲み出る可笑しみもさることながら、人間というもののみっともなさや間違いを隠さないスタンスが好きです。屈折してそうだし、オープンマインドの人だとは思いませんが、基本的なところで腹を括っている感じがして信用できる気がします。
活字の方も、彼の声が聞こえてきそうな口語体の文章です。体言止めの多用など、多少クセがあって美文名文タイプではないし、難しい言い回しもうがった洞察も表面には出さない…のに、やっぱり信用できる。
たとえば、この本の【「休み」の話】の章。
彼はラジオの「完パケ」が病的に苦手なのだそうです。完パケとは、録音放送の手法で、生放送とは別の日に、2時間の放送なら2時間きっかり、CMもちゃんと入れて生放送のように録音し、それを当日、そのまま流すことだそうで、あえて「今日は録音です」と言わないのがふつうらしいです。なので、聴いている方は気づかないことが多い、と。
彼は以前、自分のこれをタクシーの中で偶然聴き、お酒を飲んでいたこともあって、「伊集院光さんのラジオを聴いているこの俺はいったい誰だ?」という妄想でいっぱいになったそうです。
それが録音であることの確信を得られないまま、自分が伊集院光であるという証拠をつかめないまま、タクシーの中の僕はどんどん妄想を加速させ、結果ゲロゲロ吐いた。すごく不快な経験だった。このとき僕の心の深いところに、自分のいない場所で自分の声が流れていて、聴いている誰もが今、伊集院光がスタジオにいることを疑わない。その状況が怖いとインプットされてしまったのだ。うまく言えないがこうして書いていても震える。
これ以後、彼は完パケを回避するようになります。
この手のエピソードは、往々にして自分の気持ちの落としどころを、尻座りのいい「罪悪感」方面にしがちな気がします。それか、自分の本領はライブ…要するに生放送だと再確認した、とか。それを、筒井康隆を彷彿とさせるような妄想で、怖くて最後はゲロゲロ吐くというオチにした伊集院光という人間…信用できる気がしませんか?
私だけかな。
あ~あ、ろくでもないことが多い毎日だけど、お笑いを見たり、くっだらない話や妄想でたまに笑い転げたりして生きて行こう。やっぱり笑わないとね。だって、喜怒哀楽の中で、笑がいちばん信用できる気がするんだもの。(「喜怒哀楽に笑はないねん!」と、銀シャリ橋本直風に突っ込んでください!?)
by月亭つまみ
【木曜日のこの枠のラインナップ】
第1木曜日 まゆぽさんの【あの頃アーカイブ】
第2木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 月刊★切実本屋】
第3木曜日 はらぷさんの【なんかすごい。】
第4木曜日 つまみの【帰って来たゾロメ女の逆襲 やっかみかもしれませんが】
まゆぽさんとの掛け合いブログです。→→「チチカカ湖でひと泳ぎ」
Jane
つまみさん
やさぐれたとはおっしゃいますが、それと同時につまみさんが抑えていたものが文章の中ではじけてきた感じで、そこがいい感じですよ。今日のカレー短歌の破調もすごくいいなあ!と思いましたわ。
とある看護婦長でアルツハイマーのお父様を在宅看護していた人が介護によるバーンアウトを防ぐために自分がやったことをまとめた記事を読んでいたら、笑いが一番効いたとありましたよ!つまみさんの笑いに対する感性も鋭いけれど、一緒に笑える人とたまにでも会えるっていうことが素晴らしいですね!
つまみ Post author
Janeさん!
コメントがうれし過ぎて、うれしいなあありがたいなあと心で思ったのを、返信したと勘違いしてしまいました。
…まるで、下手な言い訳ですが本当に(^^;)
どんなに落ち込んでいても、閉塞感に苛まれていても、可笑しいことに反応して笑ってしまえるうちはまだ大丈夫だと思っています。
愛想笑いではなく。
そうですねえ。
笑いこそ、誰かと分かち合えると、その価値も倍増する気がします。
私は、自分が面白いと思ったことを十代頃からとにかく言いたがりで、高校時代の友達に「もう、近づいてくるときから『ああ、また面白いことがあって、それを言いたいんだ』と顔つきでわかって、聞かないうちから笑っちゃう」と言われたことがあります。
まだ、精神年齢はそのままです(>_<)
Jane
そうそう。私はつまみさんの記事に出てくる人名のほとんどを知らないのですが、つまみさんが面白がっているところが楽しいんですよ。
つまみ Post author
Janeさん、Janeさんが高校時代からの友人に思えてきました(^O^)